25年のキャリアを誇る、歴史にも明るい車中泊旅行家が、福島県の「会津」を快適に旅する方法を紹介しています。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド
この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づきまとめた、『一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台』をクルマで旅するためのガイドです。

~ここから本編が始まります。~
会津を楽しむ秘訣は、中途半端な観光情報を見る前に歴史を把握するか、面倒ならいっそスルーしてしまうこと。

「会津エリア」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2009.07.22
2010.08.23
2011.10.17
2012.04.29
2012.10.17
2013.08.20
2020.07.15
2021.04.11
2024.10.12
「会津エリア」での現地調査は2024年10月が最新で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2025年5月に更新しています。
会津の旅を満喫するには、旅行者向けの正しい予習が欠かせない。

会津のイメージ

土地勘のある関東在住の旅人なら、「会津若松」の少し先には、紅葉で有名な「裏磐梯」があることや、お隣の「猪苗代湖」周辺が利便性の高いアウトドアフィールドであることをよくご存知だと思う。
しかし、そういう土地勘を持たない東海・北陸以南に住む旅人の場合、「会津」のイメージをそこそこ明快に答えられるのは、歴史好きか、しっかり予習をしている人だけだろう。

筆者の感覚では、「会津」は「喜多方」より具体的なイメージの湧かない場所だ。
ゆえに『「喜多方」や「裏磐梯」に行く際に通る、名前だけ聞いたことがある町』という、地元の人にすれば”ありえない話”が、偽りのない本音だと思う。
これまで9度足を運んできた筆者が、まさに「ドンピシャ!」だなと感じる「会津」のイメージは、2013年に放送されたNHK大河ドラマ「八重の桜」の、坂本龍一が手掛けたこのテーマ曲に集約されている。
初めて聞くと「暗っ、重っ!」と感じる、この「質実剛健」というか「堅物っぽい」というか(笑)、けしてフランクとは思えない感じこそが、「会津」が長年大事にしてきた伝統の賜物なのだろう。
でもそんなところに、行く価値あるの?
そう聞きたくなるのはよく分かるが、筆者の答えは予想に反して「おおあり!」だ。
そのひとつの理由はロケーションにある。
「会津」のロケーション

まず「会津」は「北陸道」と新潟で直結している「磐越道」に近く、関東方面からだけでなく、関西方面からも首都圏を通らずにアクセスできる。
いっぽう国道なら、「日光」「那須」方面から、「旧会津西街道(国道121号)」で「鬼怒川温泉」「川治温泉」を抜けて「会津若松」に出たあと、「裏磐梯」から「米沢」を通れば、山形県の中心部に近い「天童温泉」、さらに秋田県の「田沢湖」から岩手県との県境に位置する「八幡平」、そして最後は青森県の「十和田湖」へと通じる「国道・東北中央ルート」が描ける。
こうなると、時間とお金に余裕がある旅人にすれば、居住地を問わず「会津」は無視することのできない町になる。
「会津」観光の難点

筆者が「会津」を旅する理由が「おおあり!」と云う理由は、もうひとつある。
それは「会津」が持つ観光地としての「クオリティー」で、それを正しく知れば、日本人なら誰もが「会津若松」が『「喜多方」や「裏磐梯」のついででいいわけがない』ことに、間違いなく気がつくはずだ。
しかし、それを伝えるのが難しい。
なぜならそこには、さきほどの「暗っ、重っ!」と感じる「歴史の壁」がある。

中高年なら「戊辰戦争」という言葉はご存知だと思うが、歴史は過去からつながっており、観光ガイドのように『こちらが「戊辰戦争」の際に、「白虎隊」が自刃した悲劇の舞台「飯盛山」です』と結果だけ解説されても、ほとんどの人は悲劇の本質に辿り着くことはできていないはずだ。
まだ少年のような若い兵士が自ら命を絶ったという事実は、確かに「切なく虚しいこと」だが、彼らがその道をなぜゆえに選択したのか、もっと云えば
なぜ新政府軍は、既に勝敗の決した戊辰戦争で、わざわざ会津くんだりまで攻め寄せてきたのか…
悲劇の大元はそこにある。

出典:NHK
冒頭で触れた「八重の桜」を見ていた人や、日本史が好きな人には特に難しくもない話だが、そうでない人にこの壁を超えて「会津」の歴史と、それにまつわる史跡・旧跡の見どころを上手に伝えられる人がいるとしたら、筆者には「池上彰」氏くらいしか思い浮かばない(笑)。
ところで
観光地では、なぜグルメと絶景に人気が集まるのだろう…
その答えは、面倒くさい予習が要らないからに尽きる(笑)。
大半の日本人には、『旅は自分へのご褒美で「上げ膳据え膳」が当たり前』という”無意識の常識”が植え付けられている。
だから旅行会社は儲かるわけだが(笑)、誰もがその『重力のような潜在意識』に逆らって頑張る必要はない。
ただ車中泊の旅人は、その『重力のような潜在意識』に逆行できるだけの、『でっかいエンジンを搭載したロケット』の使い方を知っている。
「会津」攻略の3つの方法

てなわけで、筆者なりに「会津」に対する3つのアプローチ方法を考えてみた。
ひとつは素直に面倒なことはやめて、「会津」は『「喜多方」や「裏磐梯」へ行く通過点』でいいと割り切ることだ。
短絡的・逃避的と思う人があるかもしれないが、もっとも合理的でマーケットのニーズにもあっている。
そして、そのガイドがこちらになる。
次は、本格的な歴史にあまり関係しないものを見て楽しむこと。
会津西街道の宿場町だった「大内宿」や、「SLばんえつ物語」がそれに当たるが、「会津」の横顔が見えるので、筆者は「けっこうありかな」と思っている。
そして最後は、この機会に「会津」の歴史に目を向けてみることだ。

一般的に「会津」と云えば、幕末に徳川幕府軍が京都において、「鳥羽・伏見の戦い」で薩長を主体とする新政府軍に敗北を喫して以降、江戸城無血開城の際に「恭順」の意を示したにもかかわらず、新政府軍に受け入れられず攻め込まれ、白虎隊の悲劇を生んだ「戊辰戦争」の最後の舞台となったことで有名だ。

しかし実際に「会津」に残る見どころは、その結果よりも「それまでに至る歴史」と大きく関連しており、「鶴ヶ城」にしてもそこを外せば、『ただの桜の名所』に終わってしまう。

また幕末の「会津藩」は「京都守護職」を勤めていただけに、京都とのゆかりも強く、深いかかわりを持つ存在が「新選組」だった。
ただし前述したように、歴史には連続性があり、観光ガイドのように「人気順」とか「有名な順」に史跡を見てしまうと、そういう背景がウヤムヤになる。

筆者は「京都」はもとより「会津」をも通り越して、戊辰戦争敗戦後に再興を許された、青森県に残る「斗南藩」跡にまで足を運んできた。
その経験を踏まえたうえで、筆者が思う「会津」を理解する鍵は、『会津藩成立前後の歴史』にある。
つまり、最大のターニングポイントとなった「会津藩成立」の前後に分けて、その歩みを追うことから始めれば、スムーズに正しい「会津」の理解に辿り着ける。
『よ~し、この際に会津のことをちょっと予習してから現地に行くか』と思った人は、ぜひ続きをご覧いただきたい。
ちなみに下は、筆者が「歴史オタク」にならないで済むよう、『旅行者のための歴史ガイド』に仕立てたものだが、少々話が長いのが”玉にキズ”かな(笑)。
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