歴史が好きで経験豊かな「車中泊旅行家」が、岡山県にある続日本100名城で、「羽柴秀吉」「黒田官兵衛」が仕掛けた水攻めの舞台となった「備中高松城」を、当時の状況とともに詳しく紹介しています。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド

この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づきまとめた、『一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台』をクルマで旅するためのガイドです。

~ここから本編が始まります。~
「備中高松城」は、語り継がれる「羽柴秀吉」と「黒田勘兵衛」の伝説の舞台。

備中高松城 DATA
備中高松城址資料館
〒701-1335
岡山県岡山市北区高松558-2
☎086-287-5554
無料
10時~15時
月曜 定休
「備中高松城」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2014.01.12
2018.02.11
2025.12.28
「備中高松城 」での現地調査は2025年12月が最新です。
備中高松城

「備中高松城」はなぜ有名?

「羽柴秀吉」の軍師をつとめた「黒田勘兵衛」の、奇想天外な「水攻め」によって陥落した「備中高松城」は、「岡山城」「鬼ノ城」「吉備津神社」などの史跡が数多く揃った、岡山県の「吉備エリア」の中心付近に位置している。

「高松城」が香川県にあるため、混乱を避けるために慣習的に「備中高松城」と呼ばれることが多いのだが、大河ドラマへの”出演回数”からして、圧倒的に知名度が高いのはこちらだと思う(笑)。

出典:NHK
「備中高松城」攻めは、「官兵衛」が人生でもっとも冴えた采配を振るった戦だ。
沼城で難攻不落といわれた「備中高松城」を、広大な人造池の中に孤立させて士気を奪い、「信長」死去の情報を得るやいなや、わずか1日で「毛利軍」と和睦を結び、後世に語り継がれる「中国大返し」を敢行して、「秀吉」を天下人へと導いた。
戦の詳細については、あまりの長文になるためここでは割愛するが、こちらのページに詳細がうまくまとめられている。
また、「高松城」水攻めのリアルな映像が見てみたいという人には、2026年の大河ドラマが、まさにこの時代に脚光を浴びる「豊臣兄弟」なので、再びそのシーンが描かれるかもしれない。
ただ主人公の「秀長」はこの戦には参加していないようだし、予算がかかるだけにどうなるか…(笑)。その時は映画「のぼうの城」を見てみよう。
「備中高松城址」の見どころ

「備中高松城址」は、城跡と云っても櫓(やぐら)や石垣が残っているわけではなく、当時を偲ばせる遺構は、本丸跡に城主「清水宗治」の首塚がひっそりと建っている程度で、あとは整備された公園とモニュメントが目立っているだけだ。

その中の「見どころ」といえるのは2023年6月にリニューアルされた「備中高松城址資料館」で、見学は無料。
ただ戦いの詳細は、こちらのサイトのほうがよく分かると思う。
そもそも「秀吉」あるいは「官兵衛」のゆかりの地という視点に立てば、この「城めぐり」の本当の見どころは「備中高松城址」ではなく、「高松城」を孤立させるために「羽柴軍」が延々3キロにわたって築いたという堤防跡になる。

その堤防跡が、こちらの「蛙ケ鼻築堤跡(かわずがばな ちくていあと)」だ。
「高松城址」から900メートルほどのところにある「蛙ケ鼻」には駐車場もあるが、道が狭いうえに休日は渋滞するので、歩いて行くほうがいいかもしれない。
「水攻め」の真実

記録によれば、「秀吉」はわずか12日間で高さ7メートル、長さ3キロもの堤防を作り、東京ドーム約40個分もの巨大な人造湖を出現させたというのだが、400年も前の時代に、本当にわずか12日間で3キロもの堤防を築くことができたのか?
実は2018年1月29日に、BS朝日の「歴天 ~日本の歴史を変えた天気~『備中高松城の水攻め』」という番組が放送され、筆者は偶然それを見ていたのだが、その中で見事に答えが解明されていた。
確かに前回の訪問時に、なぜ築堤の遺構が「蛙ケ鼻」にしか残っていないのか?という疑問を筆者も抱いたのだが、それについても「一発回答」といえる話だった。

水攻めの築堤の詳細を最初に記した史料は、実際に「備中高松城」に籠って戦った「中島元行」が書き残した「中国兵乱記」で、そこに記された長さ26町(約2.8キロメートル)、幅9間(16.2メートル)、高さ4間(7.2メートル)という数字が、長年「定説」の根拠とされてきた。
その後、江戸時代中期の1791年(寛政3年)に、地理学者の「古川古松軒」が「備中高松城跡」と周辺地域を踏査し、築堤されたのは「蛙ヶ鼻」から松山街道(現在の国道180号線)までの約300メートルだったという新たな見解を示したが、日の目を見ることはなかった。

それから200年近い歳月が流れた1985年(昭和60年)6月、大雨による洪水で「備中高松城址」一帯が、まるで水攻めの光景を再現したかのように水没した様子が撮影された。
現在は排水ポンプの設置によって冠水しなくなっているらしく、もはや同じ光景は見られないため、歴史を証明する貴重な写真となっている。

撮影したのは、「備中高松城址」のすぐ脇で和菓子屋「清鏡庵」を営みながら、生涯をかけて郷土の歴史を研究されてきた「林信男氏」(故人)だ。
「林氏」は1999年11月に自費出版した237ページに及ぶ「高松城水攻の検証」の中で、「備中高松城水攻め」は、定説の1/10程度の長さの築堤があれば十分可能であったことを、地形と気候の面から検証し、同時に「水攻め」を根本から覆す事実を発表している。
定説では「羽柴秀吉」は「備中高松城」の南方に長大な堤を築き、近くを流れる足守(あしもり)川を堰きとめ、川の水を堤の内側に放流する。
おりからの豪雨で、足守川の勢いはすさまじく、城はみるみる水浸しになった」ことになっているが、林氏によると、写真を撮った1985年(昭和60年)6月は、足守川が決壊していないにもかかわらず、洪水が生じていたという。
つまり、もともと「備中高松城」周辺は大雨が降ると洪水になりやすい地形だった。
そして「水攻め」の時も、同じように大雨が数日間続いていたという事実を、異なる古書から調べて当てている。
さらにNHKは深掘りし、この地域に大雨が続くことを、同じ瀬戸内気候の中で育った「黒田官兵衛」は知っており、また地元の農民からもそういう情報を得ていたのではないか… と推察。
つまり築堤の本当の狙いは、足守川を堰き止めて決壊させるのではなく、洪水の排水口にあたる「蛙ヶ鼻」を封鎖することで、それにより、本来引くはずの水をそこに貯め続けることにあったわけだ。

1997年(平成9年)。
地元の「県立高松農業高校・土木課」が、精密に土地の高低差を測定した結果、旧松山街道に沿った一帯が、「備中高松城」の周辺より1メートルほど高い「自然堤防」であることが判明する。
それによって「古川古松軒」や「林氏」が考えたように、「蛙ヶ鼻」と自然堤防の間の約300メートルを塞き止めれば、水攻めが可能だったということが物理的にも立証された。
実におもしろい話だが、ほとんどの「備中高松城」に関するガイドには、「水攻め」「中国大返し」」の話は書かれていても、この話は記載されていない。
ちなみに今をときめく歴史家の「磯田道史氏」は岡山市出身で、少年時代から「備中高松城址」付近をよく訪ね、「林氏」にも可愛がられていたという。
おそらくこの件についても、きっと熟知しているに違いない(笑)。
「備中高松城」のアクセスと車中泊事情

まず「備中高松城址」には、30台が停められる無料駐車場が用意されている。

そこから100メートルほどのところにある「備中高松城址資料館」が、2023年6月にリニューアルされ、現在は隣に24時間利用できる公衆トイレができている。

公衆トイレながら、多目的トイレにはウォシュレットが完備されている。
問題はここで車中泊をする必要性だが、
日の短い時期に行く場合、もし筆者が見てきた場所を同じように訪ねるとしたら、14時に「備中高松城址資料館」に到着しても、見終わるのは17時近くになると思う。
その際は暗くなってから移動するより、車中泊環境の整ったここで車中泊をするほうが安心だろう。
最寄りの日帰り温泉
岡山みやび温泉 大家族の湯
役10キロ・20分
☎086-805-2619
おとな平日870円・土日祝920円
7時~23時(受付最終22時)
無休
コンビニ
ファミリーマートまで約1キロ
スーパーマーケット
「マルナカ小山店」まで約2キロ
なお「備中高松城址公園」に最寄りの車中泊スポットでは以下の2つが挙げられる。
また翌朝に、日本100名城に名を連ねる「備中松山城」が雲海に浮かぶ姿を見たい人には、「道の駅かよう」がお勧めだ。
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