歴史が好きで経験豊かな「車中泊旅行家」が、岡山県にある日本100名城で、みごとな石垣の総構えを持つ「津山城」を紹介しています。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド

この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づきまとめた、『一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台』をクルマで旅するためのガイドです。

~ここから本編が始まります。~
「津山城」は、行って良かったと思える名城

出典:岡山観光WEB
津山城 DATA
津山城
〒708-0022
岡山県津山市山下135
☎0868-22-3310(津山市観光協会)
入城料 おとな310円
営業時間
4~8月:8時40分~19時
3・9月:8時40分~18時
1~2月・10~12月:8時40分~17時
12月29日~31日 休城
普通車30台、大型車5台
(津山観光センターを利用)
「津山城」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2026.01.18
「津山城 」での現地調査は2026年1月が最新です。
津山城

「津山城」はなぜ日本100名城に?

「津山城」は、中国自動車道「津山インター」と「院庄インター」のほぼ中間に位置する津山市街の中心地にあり、両インターから約15分のところにある。

自分がノーマークだったから云うわけではないが(笑)、正直「津山城」の存在を知らない人は多いと思う。
というのは、
日本100名城に名を連ねているのは、世界遺産でもある「姫路城」を筆頭に、国宝指定されている「彦根城」や「松江城」、あるいは大きな戦の舞台となった「会津若松城」や「小田原城」、さらには歴史上に名を残す名将が築いたとされる「熊本城」や「仙台城」など、それほど歴史に興味がない人でも、旅行好きなら一度は耳にしたことがあるであろうものが多く、「名城」というよりは「有名城」のイメージが強い。
それに比べると、「津山城」の影が薄いのは明らかだ。

「津山」と聞いて「ホルモンうどん」しか思い浮かばないのは、ちっとも恥ずかしいことじゃない(笑)。
それゆえ、
現地に足を運ぶと”おったまげる”。
なぜゆえ、こんなデッカイ城がここにあるんじゃあ~?!

”霧に隠れた名城”とはこのことだった。
そんなわけで、
「津山城」の話はこのあたりから始めていくことにしよう。

「津山城」が日本100名城に名を連ねている最大の理由は、『日本屈指の“完成度を誇る城郭遺構”で、石垣の完成度・城郭構造・歴史性がそろった、近世平山城の優等生であるから』とされている。
そうなると、ますます、なぜそんな城がこの地に必要だったのかが気になってくる…
筆者が好んで使う「ディスカヴァ・ジャパン(日本発見)」というのは、そういうことを知ることだ。
「津山城」の歴史と概要

その謎を解く鍵は、津山の歴史にある。
現在の津山市は、元々は古代に「ヤマト王権」を脅かすほどの勢力を誇った「吉備国」の北東部に位置しており、「ヤマト王権」との戦いに敗れた「吉備国」が、「備後(びんご)」「備中」「備前」に分国された後の713年(和銅6年)に、「備前国」からさらに分割して新たに成立した、「美作国」の中心地として栄えてきた。
その歴史から「美作国」には地方豪族が群雄割拠しており、戦国時代を迎えて「豊臣・毛利家」の領地にはなったものの、「関ヶ原の戦い」以降は再び不安定となり、周辺勢力の草刈り場となっていた。

江戸時代に入り、この状況を打破して津山に安定をもたらし、西方への睨みを効かせるべく、徳川幕府から送り込まれた精鋭が、「織田信長」の小姓として知られ、「本能寺の変」でともに最期を遂げた「森蘭丸」の末弟にあたる「森忠政」だった。
「津山藩」初代藩主として、津山城を築城した「森忠政」は、6人兄弟の末っ子だったが、兄がすべて亡くなり森家の家督を次ぐことになる。
森家当主となってからは城の改築を何度も繰り返して技術を磨き、「秀吉」の下で「名護屋城」や「伏見城」の普請にも携わることで、着実に知識を高めていった。
「秀吉」亡き後は「徳川家康」に接近。
「関ヶ原の戦い」には東軍として参戦し、1603年(慶長8年)に信濃川中島から、18万6,500石で「美作国」に入封された。

出典:津山城
それから約13年かけて築城された「津山城」は、五層五階で地下一階の天守と、70以上の櫓に加え、それらを取り巻く石垣や堀などを備えた威風堂々の総構えで、まさに津山藩主としての威信を、まわりに誇るものだったという。
しかし「津山城」は、1873年(明治6年)の廃城令により、天守・御殿・櫓などの建物がことごとく取り壊された。
そのため城跡は一時期荒れ放題となったが、1900年(明治33年)に「鶴山公園」として再出発し、1963年(昭和38年)には国史跡に指定され、今日に至っている。
「津山城」の見どころとめぐり方

「津山城」の名物で、見る人に大きな威圧感を与え、迷路のように立ちはだかる「一二三段(ひふみだん)」を筆頭とする見どころは、文化庁が制作した以下の動画をご覧いただくのが、いちばん分かりやすくて正確だと思う。
なので、当サイトでは公式サイトにも出ていない、城内散策時の留意点を紹介する。

まず駐車場だが、筆者が利用したのは「津山観光センター」を併設している、公営の無料駐車場だ。

「津山観光センター」は朝9時から営業しており、「津山城」の城内マップも置いてあるので、初めて行く人にはお勧めで、帰りにはお土産品も買うことができる。

続いて、日本のお城は「天守」のみ有料というところが多いが、「津山城」には天守がなく、見どころが本丸に至る間の石垣でもあるため、南側にある「冠木門(かぶきもん)」に料金所がある。
入城料はおとな310円だが、後述する「備中櫓」の中にも入れるので、筆者の感覚では割安に思えた。
ただし、ここから「備中櫓」に行き着くまでの石段がちょっと厄介だ。

というのは、石段の段差は”欧米人・サイズ”になっている(笑)。
インバウンド全盛の今の状況を予見していたのなら恐ろしい話だが、おそらくこれも防御の一環だったのだろう。
甲冑を来てこの段差を本丸まで登るのは、想像しただけで太腿に乳酸が溜まる。
ただ幸いなことに、端に木製の補助段があるので、こちらを歩くようにするといい。

そしてこちらがゴールとなる「備中櫓(びっちゅうやぐら)」。
ちなみにその名前は、初代津山藩主「森忠政」の娘婿で、鳥取藩主から備中松山藩の初代藩主となった池田「備中守」長幸(ながよし)にちなんでおり、「長幸」が「津山城」を訪れた際にこの櫓が造られた、あるいは整備されたと云われている。

2005年(平成17年)3月に復元(再建)が完了した「備中櫓」の中は、まだ真新しさが残り、畳の上に座って前述の動画を観ることもできる。

最後は天守台からの眺めだが、この日はガスに覆われていてお手上げ。
ということで手も足も出ず、早々に霧上げてきた(笑)。

出典:岡山観光WEB
ただ「津山城」は、「日本さくら名所100選」にも名を連ねており、約1000本が満開を迎えた景観は、まさにピンクの雲海に浮かぶが如くだ。
次回はぜひ、その季節に足を運んでみたいと思った。
「津山城」の車中泊事情

まず「津山城」は、約8キロ・15分のところに「道の駅 久米の里」があるので、仮に桜や紅葉の季節にライトアップを見るため、夜まで城内にいたとしても、近くの駐車場で車中泊をする必要はないと思う。
あとは、どういうプランで「津山城」を訪ねようとするかだが、岡山には4つの日本100名城があり、それを”時計回り”でめぐる場合は、やはり「道の駅 久米の里」がお勧めで、逆に”半時計回り”に攻めるなら、「道の駅 彩菜茶屋」のほうがロスなく行ける。
ちなみに筆者がまわった岡山県の名城は、この「津山城」と、「羽柴秀吉」「黒田官兵衛」コンビによる、奇想天外な「水攻め」の舞台となった「備中高松城」を含む以下の5つで、それぞれにオリジナルの記事を綴っている。
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