歴史が好きで経験豊かな「車中泊旅行家」が、2022年にリニューアルを果たした日本100名城の「岡山城」を、江戸時代に隣に築庭された大名庭園「後楽園」とともに詳しく紹介しています。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド

この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づきまとめた、『一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台』をクルマで旅するためのガイドです。

~ここから本編が始まります。~
「岡山城」は、令和の大改修で博物館度が大幅にアップした新感覚の日本100名城

岡山城 DATA
岡山城
〒700-0823
岡山県岡山市北区丸の内2丁目3-1
☎0866-22-1487
大人400円
岡山後楽園+岡山城天守閣 720円
9時~17時30分(受付最終17時)
通常無休
12月29日~12月31日 定休
「岡山城」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2015.10.10
2016.12.18
2025.12.27
「岡山城」での現地調査は2025年12月が最新です。
岡山城と後楽園

「岡山城 」はなぜ有名?

岡山城は、幼少期から終始「秀吉」に重用され、その後も豊臣政権の五大老のひとりとして忠誠を誓った「宇喜多秀家」が、「秀吉」がこの世を去る前年の1597年(慶長2年)に、約8年の歳月をかけて天守を完成させた名城だ。

「秀吉」の指導を受けて築かれた、その時代の大坂城と同じ黒い外観の「烏城(うじょう)」として有名で、「安土城天守」に似ていると云われる不等辺五角形の天守台や、旭川を利用した高度な防御機構が特徴とされている。

戦国時代から江戸時代の過渡期に築かれた城郭として歴史的重要性を持ち、後に加えられた「後楽園」との美しい景観が評価され、日本100名城のひとつに選定された。

豊臣時代の「宇喜多秀家」は、岡山城主として備前・美作・備中半国・播磨3郡の57万4,000石を拝領していたが、「関ヶ原の戦い」で西軍の主力として敗れ、八丈島へ島流しとなった後は、岡山城を「小早川秀秋」、ついで「池田家」が受け継ぎ、城下町が整備・拡張されたことで、現在の岡山市の土台が築かれてきた。

出典:三井住友トラスト不動産
ちなみに「岡山城」は、1873年(明治6年)の廃城令発布後も、軍の重要拠点として機能したため取り壊しを免れ、昭和まで天守が残っていたことから国宝にも指定されていたが、終戦直前の1945年(昭和20年)の空襲で焼失した。

しかし戦後の1966年に鉄筋コンクリートで再建され、その後は戦国時代から江戸時代の岡山の歴史を伝える博物館となった。

なお隣接する大名庭園の「後楽園」は、江戸時代の1687年(貞享4年)に「池田光政」の後を継いだ「綱政」が着工し、1700年(元禄13年)に約13年の歳月をかけて完成している。
「岡山城」の見どころと楽しみ方

前述したように「岡山城」は太平洋戦争で空襲を受けおり、天守はコンクリートによる再建なので、歴史的価値は薄いのだが、城内には「月見櫓」と「西丸西手櫓」、そして歴代の城主たちが築いた石垣が戦火から逃れて現存している。

それらの詳しい見どころについては、ただの”受け売り”になるだけなので(笑)、以下の記事を参考にしていただきたい。
筆者が代わりに詳しくお伝えしたいのは、「令和の大改修」工事を経て、2022年(令和4年)11月3日にリニューアルオープンを果たした天守の中だ。

もともと天守には地下1階から6階まで7つのフロアがあり、岡山の歴史を伝える資料が展示されていたが、今回のリニューアルを機に、岡山市出身の歴史学者「磯田道史」氏の監修をもとに、「岡山の歴史の入口」をテーマにした系統的・物語性のある展示に刷新されている。
「磯田道史」氏といえば、2014年から10年以上続いているNHKの長寿番組、「英雄たちの選択」のパーソナリティーで親しまれている人気の歴史学者だ。
歴史番組の制作や大学で教鞭をとるいっぽうで、映画化もされた「武士の家計簿」の執筆も行うなど、その多才ぶりには目を見張るものがある。
その「磯田」氏が監修したというのだから、期待感いっぱいで新しい岡山城に出向いたのだが、その出来栄えは想像以上のものだった。

歴史の集積地であるお城を”史跡”としてだけではなく、『歴史を体験・体感できる場所』として捉え、岡山ゆかりの人物や出来事をさまざまな切り口から発見できる体験型の展示や、映像を充実させた構成はとても斬新だった。

それでありながら、歴史ファンにも物足りなさを感じさせないところが、「磯田」マジックの真骨頂というところだろう。
詳しい博物館の展示については、あまりにも長くなりそうなので、公式サイトでご覧いただきたい。
ここからは、後の「後楽園」に通じる岡山藩成立の経緯を辿りたい。

「関ヶ原の合戦」後に岡山城主となったのは、「豊臣秀吉」の甥で「毛利一族」の養子になっていた「小早川秀秋」だ。
そう「関ヶ原の戦い」で、東軍への寝返りの代償に「徳川家康」から「岡山城」を与えられた男だが、そのわずか2年後に21歳という若さで病死する。

「小早川秀秋」には跡目がいなかったため改易となり、1603年に「姫路城」を大規模に改修して現在の姿に造り上げた姫路藩主「池田輝政」と、「徳川家康」の娘「督姫」の間に生まれた「池田忠継」が、28万石で入封して「池田家」による統治の歴史が始まる。

それから約30年後の1632年、後に水戸藩主「徳川光圀」、会津藩主「保科正之」とともに、江戸時代初期の「三名君」と賞賛される、「徳川家康」の曾孫で「池田忠継」の甥にあたる「池田光政」が、因幡鳥取藩から備前岡山藩へ国替えとなり、3代目藩主として登場する。
「光政」は後述する「閑谷学校」の設立や「児島湾」の干拓、さらには「備前焼」の量産政策などを行い、その後明治まで続く「池田家」による藩政の基礎を築いた。
そして、その息子で跡目を継いだ4代藩主「池田綱政」が、「日本三名園」のとして知られる「後楽園」を造園する。
「後楽園」とは

広大な「沢の池」を中心に築山や茶室を配置し、散策しながら移ろう景色を楽しむ典型的な池泉回遊式庭園の「岡山後楽園」は、江戸時代は主に藩主が静養する場所だったが、日を定めて一般の領民にも観覧が許されていたという。

水戸の「偕楽園」、金沢の「兼六園」とともに、日本三名園に数えられている「後楽園」の名前は、中国の「岳陽楼記」に記されている「民衆が心配するより先に心配し、民衆が楽しんだ後に楽しむ 」という「先憂後楽」の精神に由来しているが、1953年に東京にある「後楽園(現・小石川後楽園)」との混同を避けるため、地名の岡山を冠することとなった経緯を持つ。

岡山城とともに1945年(昭和20年)の空襲で、建物や樹木の多くを失ったが、「後楽園」には江戸時代の絵図や記録が詳細に残っていた。
そのおかげでほぼ完全に復元され、300年以上の歴史を持ちながら江戸時代の姿をほぼそのまま再現できていることから、国の特別名勝に指定されている。

最大の見どころは、「延養亭」と命名された園内でもっとも眺めが良いとされる藩主の居間で、園内の「唯心山」や、対岸の操山を借景として取り込んでいるのだが、残念ながら一般客は敷地の中には入れない。

「唯心山」と呼ばれる高さ約6メートルの築山は、「綱政」の息子の「継政」のアイデアから生まれたものだという。

なお園内には「タンチョウ」が飼われているが、江戸時代にタンチョウは長寿・吉祥・高貴さの象徴とされ、将軍家や有力大名に特別に飼育されていた。
「後楽園」でも、庭園景観と藩主の威信を示す目的で飼育されていたが、明治以降はいったん途絶え、昭和31年に再開されたとのこと。
最後に「後楽園」での所要時間は、空いていれば正門から入って主要スポットを周り、南口から出るまで約30分ほど。
ただ写真を撮りたい場合は、撮影スポットの”空き待ち”に時間がかかるので、1時間はかかると思って行くほうがいいと思う。
☎086-272-1148
入場料
おとな500円
シニア200円
※シニアは後楽園・岡山城の共通券720円より、個別に買うほうがお得!
開園時間
3月20日から9月30日
7時30分~18時(受付最終17時45分)
10月1日から3月19日
8時から~17時(受付最終16時45分)
「岡山城 」の駐車場とアクセスマップ

岡山城の駐車場は、隣接する「烏城公園駐車場」がいちばん近くて分かりやすく、天守入場者は1時間の割引が適用される。
利用時間:24時間・年中無休
普通車料金
最初の1時間 300円
以後30分につき 100円
8時~22時/上限 平日800円、土日祝1,000円
岡山城藩主「池田光政」ゆかりの旧閑谷学校

「閑谷(しずたに)学校」は岡山城から約40キロ、クルマで50分ほど離れた山里にあるため、通常の旅行ガイドでは、このように「岡山城」と合わせて紹介されることは少ない。

だが、「池田光政」によって作られた経緯を考えれば、このほうが妥当だと思う。
岡山藩主となり、儒学(特に朱子学)を藩政の基本理念とする「光政」は、「国を治めるには、まず人を育てることが大切だ」と考え、身分に関係なく学べる教育の場を必要とした。

「閑谷学校」の建設には、「岡山藩」の多くの土木事業を担った藩士「津田永忠」があたり、「光政」の没後も跡を継いだ「綱政」の下で整備が進められ、1701年(元禄14年)に現在も残る建造物群が完成した。
1670年(寛文10年)の開校から、1871年(明治4年)に閉校されるまで、約200年間にわたって存続した「閑谷学校」は、『日本最古の庶民のための公立学校』として、2015年(平成27年)に「日本遺産」の「近世日本の教育遺産群」の構成要素に認定されている。
その「閑谷学校」のランドマークが「講堂」だ。

当時の技術の粋を集めた建築で、創建当時の姿をほぼ完全に保ったまま現存していることから、国宝にも指定されている。

床は拭き漆(ふきうるし)で仕上げられており、鏡のように周囲の景色を映し出す。

「講堂」を含む学校全体の屋根瓦には、耐久性の高い「備前焼」が使用されており、その独特の赤みが青い空と緑豊かな環境に映える、清楚で落ち着いた佇まいを醸し出している。

重要文化財の「聖廟」を守るように、大正期に植えられた2本の楷の木(カイノキ)は、「孔子」にゆかりのある樹木で、例年11月中頃には鮮やかな黄色・赤色に色づくという。

出典:山陽新聞
こちらがその時期の様子で、見頃にはライトアップも行われている。

さらにこちらの「石塀(いしべい)」も国指定重要文化財だ。
接合材を使わず、石を巧みに積み上げた「空積み」という技法で造られ、全長は約765メートルにも及んでいる。
だが、筆者が感じた「閑谷学校」最大の見どころは、「講堂」の裏手に延々と続くこの「石塀」の終点に建つ「学房跡」だ。

設立当初の建物は、江戸時代末期の1847年(弘化4年)に焼失してしまったが、明治時代に廃校・再興を経て、1905年(明治38年)に、その学房跡地に新校舎としてこちらが建てられ、現在は「閑谷学校資料館」として使われている。

ここを見ずして「閑谷学校」に行ってきましたとは云えないだろう(笑)。
☎0869-67-1436
おとな400円
9時~17時
12月29日~31日 休館
駐車場無料
岡山県 車中泊旅行ガイド

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