25年のキャリアを誇る車中泊旅行家がまとめた、歴史と情緒に満ちた瀬戸内の港町「鞆の浦」の、見どころと駐車場及び車中泊に関する情報です。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド

この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づきまとめた、『一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台』をクルマで旅するためのガイドです。

~ここから本編が始まります。~
”潮待ちの港”と呼ばれた「鞆(とも)の浦」は、中世の瀬戸内を今に伝えるノスタルジックな日本遺産

「鞆の浦」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2009年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2011.04.21
2016.12.05
2022.04.21
2025.04.19
※「鞆の浦」での現地調査は2025年4月が最新です。
鞆の浦 車中泊旅行ガイド【目次】
鞆の浦のロケーション

歴史に興味がある人なら、一度はその名を耳にしたことがあると思う「鞆の浦」は、広島県福山市の瀬戸内海に出っ張った、沼隈半島の先端にある小さな港町だ。
ご覧の通り、高速道路はもとより、主要国道からも遠く隔たった場所にあるため、この町を偶然通る旅人はまずいない。
それは今も昔も変わらないのだが、大きく違うのは「交通手段」だ。

現代人にはピンとこないが、「鞆の浦」が栄えた中世から近世の日本は、海上交通、すなわち船が主な交通手段で、それを利用したのは、多くの供と荷物を伴う公家や武士、さらには豪商などの富裕層だった。
よって「鞆の浦」の歴史と栄華は港から始まるのだが、その背景には、”嫌でも「鞆の浦」に入港せざるを得ない理由”があった。
鞆の浦の概要

潮待ちの港
「鞆の浦」には、「潮待ちの港」という別名がある。
古来から瀬戸内海では、満潮時に西は「豊後水道」や「関門海峡」、東は「紀伊水道」から潮が流れ込んで「鞆の浦」沖でぶつかり、逆に干潮時には「鞆の浦」沖を境に、東西に分かれて流れ出している。
沿岸航海が主流だった当時、瀬戸内海を横断する船は、まず満ち潮に乗って「鞆の浦」へ入り、そこで潮の流れが変わるのを待ち、引き潮に乗って船出をしていた。
”嫌でも鞆の浦に入港せざるを得ない理由”とは、その「潮待ち」のことだが、おかげで「鞆の浦」は海上交通の要所として、歴史に深く名を刻むことになる。
史実に基づく港町「鞆の浦」の正確な始まりは不詳だが、遣隋使や遣唐使の船が瀬戸内海を往来した飛鳥・奈良時代を経て、平安時代には既にその形態を整えていたことが、発掘調査で確認されている。
港湾施設は日本遺産、町並みは重要伝統的建造物群保存地区

「鞆の浦」が大きな発展を遂げたのは、西廻り航路が開発され、北前船などの商船が出入りするようになる江戸時代で、現存する当時の港湾施設の常夜燈・雁木(がんぎ)・大波止・焚場跡・船番所跡は、日本遺産の構成文化財に指定されている。

さらに往時の地割りと暮らしぶりが良好なかたちで残る町並みは、「重要伝統的建造物群保存地区(略して重伝建地区)」にも指定されている。
ということで、
基本的に「鞆の浦」の観光は、これらが残る港町を、のんびり歩きながら見て周るのが一般的だ。
鞆の浦の楽しみ方と観光の秘訣

NHKの大河ドラマ「龍馬伝」と「麒麟がくる」の2作に登場する「鞆の浦」は、歴史好きにとって山陽の外せない旅先であることを、筆者もよく理解している。
ただ「歴史」については好き嫌いもあることから、ここではあまり興味のない人でも楽しめる話を優先し、最後に番外編というかたちで『鞆の浦に残る、特筆すべき歴史と事件』の話をするとしよう。
まず、「鞆の浦」の楽しみ方は2通りある。

ひとつは史跡にとらわれず、常夜燈に代表される日本遺産の構成文化財と重伝建地区に残る、「鞆の浦」のノスタルジックな雰囲気を肌で感じて歩くことだ。
これまでお読みいただいた「潮待ちの港」の話を知っているだけでも、何の予習もなしに「鞆の浦」へ来ている人とは、きっと感じることは違うはずだ。

その重伝建地区には、カフェや食事処、さらには名物の「保命酒」を今も製造販売している店が軒を連ねている。

「保命酒」は江戸時代からこの地で造られてきた、約350年の歴史を持つ伝統の薬味酒で、十三種類の漢方薬と麹米・もち米・焼酎を合わせて漬け込み醸造する。

甘みと薬効があることから、福山藩から幕府への献上品として用いられ、各地の大名や豪商にその評判が広がった。
冬に飲むと体を温め、夏に飲むと夏バテ予防になるとされていて、試飲もできるが、アルコールなので残念ながらドライバーは対象外になる。

その保命酒の酒蔵を保存展示しているのが、重伝建地区にある有料施設(入館料500円)の「太田家住宅」だ。

太田家住宅は、往時の商家の佇まいを現代に伝える、歴史的価値の高い建造物群で、1991年(平成3年)に国から重要文化財の指定を受けている。

中には主屋や炊事場、保命酒蔵が見事に保存されており、玄関には杉玉掛けもあって、造り酒屋の構えを色濃く残している。

これらの建物群は江戸時代中期から後期にかけて、「保命酒屋」の中村家が拡張・増築していったものだが、明治に入って廻船業を営んでいた太田家に継承され、今日に至っている。

なお「太田家住宅」は、幕末の政変によって長州へ都落ちした、「三条実美」ら尊王攘夷派の公卿7人が、「鞆の浦」に立ち寄った際に一時の憩いを得たことでも知られており、公卿らは保命酒に陶酔し、その美酒を褒め称える歌を残している。
太田家住宅
☎084-982-3553
おとな500円
10時~17時
火曜 定休
ちなみに類似品に「養命酒」がある。

「保命酒」と「養命酒」の主な違いは、「保命酒」は医薬品ではなく、薬味を漬け込んだ健康酒であるのに対し、「養命酒」は医療用として健康維持や病気の治療に使われる。
写真は長野県の駒ヶ根にある「養命酒造株式会社」のファクトリー・ミュージアムで、手作りのような「鞆の浦」の酒蔵とは対照的だった。

散策に疲れたら、無料の「鞆てらす」に立ち寄って一休みするといい。
「鞆町町並み保存拠点施設(鞆てらす)」は、町並み保存の推進や地域住民と来訪者の交流の場、観光の周遊拠点となることを目的に、「重伝建地区」の中に2022年7月にオープンした真新しい施設だ。

現地では最初にここへ足を運び、鞆町のさまざまな情報を収集したうえで町歩きをすることを勧めているが、「重伝建地区」は狭いエリアなので、まずはひとしきり自由に散策してから休憩を兼ね、確認の意味で立ち寄ってもいいと思う。

いっぽう「鞆の浦」は、スタジオジブリの宮崎駿監督が、「崖の上のポニョ」の構想を練った地として知られており、「鞆の浦」のさまざまな場所がモチーフとしてアニメの中に生かされている。

出典:スタジオジブリ公式サイト
ただあくまでもモチーフなので、云われればそうかなという程度だ(笑)。
ネット上にある多くの情報は、どちらかと云うと、無理に両者を結びつけている感じで、本来の「鞆の浦」の魅力を伝えているようには思えない。
ここまで記してきたような自然と歴史を持つ「鞆の浦」に、「宮崎駿」監督も惚れ込んだのであって、『「宮崎駿」監督が素晴らしいと云うから、「鞆の浦」はこんなにいいところだ』と紹介するのは、ライターとしては根本から認識を誤っている短絡的な話だろう。
さて。

それではちょっと物足りないという人には、休日なら無料で参加できるボランティア・ガイドツアーをお勧めしたい。

筆者が参加した日は、「鞆の浦」の歴史的絶景が眺望できる名所、「福禅寺 對潮楼(たいちょうろう)※入場料は別途おとな300円)」にも立ち寄り、その景色の由来の説明を含めて、1時間半で要領よく「鞆の浦」の見どころを案内してもらい、充実した時間を過ごしている。
無料ガイドコース(※土・日・祝のみ)
集合場所:福山市営渡船場(鞆の浦 第一駐車場)前
所要時間:約1時間30分
予約不要
午前:集合時間 11時20分
午後:集合時間 14時20分
福禅寺 對潮楼の「日東第一形勝」

平安時代の950年頃、空也により創建されたと伝えられる「福禅寺」には 、江戸時代の1690年頃に建てられた「對潮楼」と呼ばれる客殿があり、「朝鮮通信使」のための迎賓館として使われ、日本の漢学者や書家らとの交流の場にもなっていた。
「對潮楼」の座敷からは、穏やかな瀬戸内海に「仙酔島」や「弁天島」がぽかりと浮かぶ、和やかな景観が一望できるが、この絶景を「日東第一形勝(日本で一番美しい景勝地)」と称したのが、1711年に訪れた「朝鮮通信使」の「李邦彦(イパンオン)」だった。
「朝鮮通信使」は、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄慶長の役)によって断絶した日本と朝鮮の国交を回復するため、徳川家康の意向で朝鮮から日本に送られるようになった外交使節団のこと。
1607年から1811年にかけて、江戸幕府の将軍が代わるごとに日本を訪れ、計12回にわたり来日し、学問や文化の交流を深めていた。

出典:Amazon
ちなみにこの景色は、谷村新司が歌う「いい日旅立ち」のCDジャケットにも使われている。

またここは、幕末に「鞆の浦」沖で紀州藩の軍艦と衝突して沈没した、「坂本龍馬」率いる「海援隊」が操船する「いろは丸」の、賠償交渉が行われた場所としても知られている。
ボランティア・ガイドツアーに参加すれば、このくらいの説明が聞けると云えば、その値打ちが分かるだろう。
そして「鞆の浦」のもうひとつの楽しみ方が、その史跡めぐりになる。
歴史に興味があれば、筆者のように自分で深堀りして調べるのも楽しいのだが、それには時代背景からくる縦横のつながりが分かっていないと難しく、ゆえに史跡もその断片を見たところで、感動や感銘は得られない。
冒頭で、番外編というかたちで『鞆の浦に残る、特筆すべき歴史と事件』の話をしようと書いたのはそのためだ。
史跡を外せば、「鞆の浦」の観光は午前中で十分終われる。

それを考えると、「鞆の浦」は「しまなみ海道」のゲートウェイにあたる「尾道」と抱き合わせてめぐるのがお勧めだ。
両者は同じ港町でありながら、町の生い立ちも人々の営みもまったく異なるが、いずれも瀬戸内海と我が国の関わりを知るうえでは、ぜひ訪ねてみたい場所であり、間違いなく「ディスカヴァー・ジャパン」が体験できると思う。
ちなみに「ディスカヴァー・ジャパン」のルーツは、1970年代に広告代理店の電通が、『日本を発見し、自分自身を再発見する』というコンセプトを掲げて仕掛けた、高度経済成長期にふさわしい国鉄の乗客拡大キャンペーンにある。
以下の記事にはその懐かしいCM動画もリンクしてあるので、興味があれば後ほどあわせてご覧いただきたい。
鞆の浦の駐車場&車中泊情報

まず「鞆の浦」には、4つの公営駐車場が用意されている。
鞆の浦 第1駐車場

筆者のお勧めは、「仙酔島」を往復する「平成いろは丸」の「市営渡船のり場」に隣接している、こちらの「鞆の浦 第1駐車場」だ。

重伝建地区に近く、前に「福禅寺 對潮楼」が建ち、裏は海で仙酔島もよく見える。
また渡船乗り場の中に、洋式の水洗トイレ(ウォシュレットなし)もある。

ゲートは高さ2.38メートルのハイエースでも入庫できたが、出入口と駐車区画の幅が狭いため、キャブコンには厳しそうだ。
鞆の浦 第1駐車場
収容台数 35台
8時~17時/30分毎200円
17時〜8時/1時間毎200円
夜間最大料金2,000円
鞆の浦 第2駐車場

「鞆の浦」の観光駐車場の中では、もっともわかりやすく出入りもしやすい。
こちらも敷地内に洋式の水洗トイレ(ウォシュレットなし)が併設されており、コンビも近くにある。
キャブコンは、もしかするとこちらなら入庫できるかも?という程度(笑)。
「鞆の浦」で車中泊をするのなら、トイレと夜間最大料金設定のある、第1か第2駐車場がベストだと思うが、観光するのに1日まではかからない「鞆の浦」では、普通なら車中泊までする必要性は感じない。
鞆の浦 第2駐車場
収容台数 35台
8時~17時/30分毎200円
17時〜8時/1時間毎200円
夜間最大料金2,000円
鞆の浦 駐車場

「福山市鞆の浦歴史民俗資料館」の麓にあるが、前の道は一方通行で、常夜燈や医王寺の方からアクセスする。
ただまわりの道が狭いうえに、人が頻繁に通るため、日中はアクセスがかなり大変。軽自動車向きの駐車場かも。
鞆の浦駐車場
収容台数 25台
8時~22時/30分毎100円
22時〜8時/2時間毎100円
広島県営 鞆町鍛冶駐車場

出典:理研軽金属工業株式会社
ホテル鴎風亭の前にあり、「鞆の浦」の重伝建地区まで徒歩約10分。
2017年2月に2階建ての立体駐車場にリニューアル。トータル3層で1階にはトイレを完備しているが、1.2階のフロアには2.1メートルまでの高さ制限がある。
また隣と屋上に平面駐車場があるが、入口の高さ制限までは調べられなかった。
広島県営 鞆町鍛冶駐車場
収容台数230台
8時~22時/4時間まで1時間毎150円
4時間を超え7時間まで1時間毎100円
7時間を超える場合1,000円
22時〜8時/1時間毎100円
なお「鞆の浦」の公営駐車場4か所のリアルタイムに近い空き状況は、下記のページで確認できる。
最後に。

「鞆の浦」に最寄りの道の駅は、約8キロ・クルマで15分ほどのところにある「道の駅 アリストぬまくま」になる。
ただこの道の駅は16時に閉店してしまうのと、入浴施設が遠いのが難点だ。
だが前述したように、「鞆の浦」の観光は普通であれば半日程度で済むので、「尾道」と抱合せにして、午前中に「鞆の浦」、午後から「尾道」の順に周れば、アクセスと設備に恵まれた「道の駅 みはら神明の里」がスムーズに使える。
【番外編】鞆の浦に残る、特筆すべき歴史と事件

ずいぶん長編になってしまったので、2日以上かけて書いた筆者はもちろん、最初からお読みいただいた貴方も、ここでここでいったんコーヒーブレイク(笑)。
続きは、2010年に放送された大河ドラマ「龍馬伝」と、2020年の「麒麟がくる」を見ていた人には、間違いなく喜んでもらえると思うが、『まあ、歴史フリークというのはこんなもの』という視点でご覧いただくのもいいと思う(笑)。
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