この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、現地取材を元に「車中泊旅行における宿泊場所としての好適性」という観点から作成しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
島津家と篤姫のことがよく分かるのは、ここ。
観光客にとって、城山地区でいちばん有名なのは、たぶんこの西郷さんの銅像だと思う(笑)。
マスコミが揃いも揃って、鹿児島市内のランドマークが如くのように取り上げるのだから、それはイタシカタのないことだ。
だが、もともとこの一帯は薩摩藩の居城・鶴丸城(鹿児島城)があった場所で、もし焼けていなかったり、再建されていたなら、今とはずいぶん違う景色だったと思う。
我々はお城といえば、姫路城や熊本城のような、「天守」がそびえ立つ名城を連想しがちで、鶴丸城のように外からは石垣しか見えない平城には、なかなか興味を覚えない。
だがその鶴丸城は、日本100名城の97番に選定されている。
これが、鶴丸城の正しい見方
手っ取り早く云えば、このマップの左側のグリーン部分が鶴丸城の敷地だったと思えばいい。
そこで、クルマを黎明館の駐車場に停めたら、「歴史と文化の道」を歩いて「鹿児島まち歩き観光ステーション」に行き、まずはこのマップをゲットしよう。
その時、ついでに西郷さんの銅像を撮影するのを忘れずに(笑)。
それから「県立博物館」まで行き、マップの左下に見える「照国神社」から観光をスタートしよう。
名君「島津斉彬」を祀る照国神社
鹿児島県でもっとも参拝者の多い神社とも云われる照国神社の祭神は、西郷どんが尊敬してやまかった藩主・島津斉彬(なりあきら)だ。
薩摩藩の第11代藩主・島津家第28代当主の島津斉彬公は、勝海舟に「幕末第一等の英主」といわしめた名君で、西郷隆盛を見出し、篤姫を徳川家に嫁がせたことで有名だ。
列強が動めくアジアの情勢に通じ、それに対抗できる近代兵器を自ら作るために、集成館と呼ばれる工場群を整備し、薩摩藩の富国強兵に成功した。
しかし、こころざし最中の1858年(安政5年)、鹿児島で病で倒れ急死する。死因はコレラとも毒殺とも云われているが、真実は今もわからないようだ。
照国神社は、天皇から照国大明神の神号が授けられた1863年(文久3年)の翌年、南泉院跡に建立されたが、1877年(明治10年)に勃発した西南戦争により、社殿と宝物を焼失する。
その後1882年(明治15年)に復興されたものの、1945年(昭和20年)には太平洋戦争で再び焼失し、1958年(昭和33年)に復興造営されている。
それにしても… つくづく戦に縁のあるお殿様のようだ(笑)。
探勝園に建つ、3人の殿様の銅像
さて。照国神社と隣接する、鶴丸城の二の丸庭園跡を造成した「探勝園」には、名君を偲ぶ銅像が見上げるように立っている。写真はその筆頭格である島津斉彬公で、3銅像の中央に位置する。
こちらは斉彬公の亡き後、薩摩藩の舵取り役を勤めた島津久光公の銅像。
斉彬公の母違いの弟にあたるが、斉彬公の跡取りたちは、若くしてこの世を去っていたことから、久光の嫡男・忠義を養子にし、家督を譲る準備をしていた。
そのため正式な藩主になることはできなかったが、まだ19歳と若い忠義の後見人として藩政に関わった。
ドラマを見る限り、久光公には斉彬公ほどの才覚はなかったようだが、大久保利光・小松帯刀、そして一度は自ら「島流し」の刑に処した西郷どんなどの優秀な家臣に支えられ、斉彬公の意思を継いでいく。
そして最後が、薩摩藩最後の藩主となった島津忠義公。
実質の藩主としての実績は、1867年(慶応3年)の大政奉還後になるため、わずかだが、西郷どんや大久保との関係は悪くなく、彼らの動きを後方から静かに支えていたようだ。
今度は場所を少し移して、黎明館の建つ本丸跡へ。
鶴丸城跡
記録によると鹿児島(鶴丸)城は、江戸幕府ができる直前の1601年(慶長6年)頃に、島津家第18代当主で、のちの薩摩藩初代藩主となる、島津忠恒(家久)が築城に着手し、背後の山城(城山)と麓の居館で構成されていた。
以降、1871年(明治4年)に廃藩置県が実施されるまで、約270年間にわたり島津氏の居城となる。
ちなみに別名「鶴丸城」の由来は、屋形の形状が鶴が羽を広げたようであったことによるそうだ。モノクロの写真がそれなのだろう。
遺構として現存しているのは、石垣と堀、大手門との間に架かる石橋、そして西郷隆盛の私学校跡地である出丸跡。特に私学校の石垣には、西南戦争の際についたとされる弾痕が数多く残っている。
そのため、城跡は現在、鹿児島県の史跡に指定されている。
写真の絵は、1873年(明治6年)の火災で焼失した、鶴丸城の正面中央にあった御楼門。明治維新150周年の記念事業として、それを2020年3月31日までに復元することが決まっている。
鶴丸城本丸跡に建つ、鹿児島県歴史資料センター黎明館
さて。1901年以降、鶴丸城址は学校・学術関連施設の用地に使用され、現在は本丸跡に鹿児島県歴史資料センター黎明館、二の丸跡には鹿児島県立図書館、鹿児島市立美術館、鹿児島県立博物館などが建てられている。
1983年に開館した写真の黎明館は、鹿児島の歴史を「原始・古代」「中世」「近世」「近・現代」の4つの時代に分け、展示・紹介している歴史資料館で、ここに行けば、前述した島津斉彬公の功績を詳しく見ることができる。
大河ドラマ「篤姫」コーナー
1階ホールには、2008年に放送されたNHK大河ドラマ「篤姫」のコーナーが設けられており、見ていた人は懐かしい気持ちになれること請け合いだ。
「篤姫」は、島津家分家の娘から徳川十三代将軍・家定の御台所となって、江戸城無血開城に大きな役割を果たした女性で、大河ドラマでは宮崎あおいが若々しくもキリッとした演技で、好評を博した。
展示されているのは、ドラマの中で実際に使われた衣裳や小道具類。
写真は2010年12月に篤姫(天璋院)の功績を顕彰するために建てられた天璋院像。篤姫は江戸に上る前の二ヶ月間、ここ鶴丸城で暮らしている。
鹿児島県歴史資料センター黎明館
午前9時~午後6時(入館は午後5時30分まで)
月曜日と毎月25日休館(土・日曜日の時は開館)
入館料:おとな310円
入館者は駐車無料
広い駐車場は青空でゲートもなく、入庫時に受け取る駐車申請用紙に、黎明館で押印してもらえば料金は無料になる。