25年のキャリアを誇る車中泊旅行家がまとめた、宮城県の名勝・松島と初代仙台藩主「伊達政宗」の関わりに関する情報です。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド
この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づきまとめた、『一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台』をクルマで旅するためのガイドです。

~ここから本編が始まります。~
戦国時代の荒れ果てた松島を再興したのは、初代仙台藩主「伊達政宗」。

松島の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2009.07.20
2012.04.28
2015.07.11
2016.09.09
2020.07.16
2025.06.03
※松島での現地調査は、2025年6月が最新です。
松島は伊達政宗ゆかりの地

松島の歴史と伊達政宗

これは「松島」に限ったことではないのだが、江戸時代を迎えた「伊達政宗」は、政治の拠点として新たに仙台城を築くにあたり、領内の名所・旧跡の再興と再生に力を尽くしている。
「伊達政宗」については別途、詳しい記事を用意しているので、興味があればあわせてご覧いただきたいのだが、こちらはその中の「松島」における「功績」をクローズアップした内容になる。
さて。

平安時代初頭の828年(天長5年)、「比叡山延暦寺」の第3代天台座主「慈覚大師・円仁」が、「最澄」との約束に従って東北地方へ天台宗の布教に赴いた際に、「松島」の地に創建したと伝わるのが、現在の「瑞巌寺(ずいがんじ)」のルーツにあたる「延福寺」だ。
そして平安時代の後半には、「平泉」を拠点に東北一帯を支配していた「奥州藤原氏」も、同地にある「中尊寺」「毛越寺」と同じく、「慈覚大師・円仁」を開祖とするゆかりから、松島の「延福寺」を保護している。
「延福寺」が828年、世界遺産に登録されている「中尊寺」と「毛越寺」は850年建立と、云ってみればこの3つの天台古刹は、兄弟のような関係だ。

そう云われる方が、東北を旅する人には「瑞巌寺」の価値がよく伝わると思う。
ちなみに「政宗」も、江戸時代に「中尊寺」の「金色堂」修復や「客殿」建立を行い、平泉の文化財保護に尽力している。

そんなわけで、この時代の「松島」と云えば、イコール「延福寺(瑞巌寺)」になるようだが、すでにその頃から和歌の歌枕に登場する「松島」は、平安貴族にその景観の美しさが伝わっていたことが伺える。

鎌倉時代を迎えると、「松島」は死者の供養を行う霊場として栄えるようになり、鎌倉幕府の5代執権「北条時頼」は、人々の信仰の厚い「延福寺」を天台宗から臨済宗に改宗させ、寺名も「円福寺」に変えた。
しかしそれ以降、戦国時代が終わるまで、「松島」は長きにわたって荒れ果てた時間を過ごすことになる。
「松島」によくやく待ち望んだ”救世主”が現れるのは、300年近い年月を経た、「関ヶ原の戦い」が終わってからのことだった。

新たな領主として「仙台」に城を築いた「伊達政宗」は、城下町を整備しながら、「大崎」や「塩竃」などの古い歴史を持つ土地に、寺社を造営・整備していくが、「松島」もまたその中のひとつだった。
「正宗」は、上方に負けない気概で自らの“都”仙台を創りあげようと、古代から東北の地に根づいてきた文化の再興・再生を目指していた。
それは上方の桃山文化の影響を受けた豪華絢爛さと、政宗の個性ともいうべき意表を突く粋な斬新さに、海外の文化に触発された国際性といった、様々な要素が重なり合う新しい“伊達”な文化として評価され、400年後の今、改めて「日本遺産」に登録されるに至っている。
松島に残る、主な伊達政宗ゆかりの地

出典:松島町
「松島」には、その日本遺産の『政宗が育んだ“伊達”な文化』の構成要素が10件あるのだが、ここではその中の代表的な3をピックアップしている。
その理由は、
当サイトが『車中泊旅行者のための「松島」ガイド』を目指しているからだ。
確かに松島まで来て、何を観ても『すご! でかっ! やばっ!』としか言葉が発せない人にならないためには(笑)、その背景となる「松島」の歴史を知ることが大事だが、「伊達政宗ゆかりの地めぐり」は、その中のひとつの観光メニューに過ぎず、貴重な松島での1日には、ほかにもお勧めしたい使い道がある。

ちなみに紹介する「瑞巌寺」「五大堂」「観瀾亭」には、いずれも駐車場はないが、それぞれが歩いて行ける距離にあるので、クルマは有料の「松島公園駐車場」か、少し離れた無料の「町営三十刈駐車場」に停めるといい。
駐車場の詳細は、以下の記事にまとめているので、ぜひ参考にしていただきたい。

瑞巌寺

寺暦は前述した通りだが、「伊達家」の菩提寺である「瑞巌寺」は、桃山時代の真髄を込めた荘厳な建物で、本堂・御成玄関、庫裡・回廊は国宝に、御成門・中門・太鼓塀は国の重要文化財に指定されている。
「瑞巌寺」は「伊達政宗」が造営してから今日まで一度の火事もなく、現在の建物は和歌山県の熊野地方から木材を運び込み、1604年(慶長9年)に着工し、5年の歳月をかけて1609年(慶長14年)に完成したものだ。

出典:瑞巌寺公式サイト
その際には、畿内から当代一流の技術者を呼び寄せ、手の込んだ彫刻や豪華絢爛な障壁画など、まさに贅沢の極みを惜しむことなく注ぎ込んでいる。

いっぽう、かつて供養場として使用されていたことがうかがえる、参道の右側にある洞窟群には、五輪塔・供養塔や法名などが無数に安置され、壁面にも仏像が彫りつけられている。
この二面性も、「松島」に根付いてきた2つの寺院の顔を持つ「瑞巌寺」ならではの特徴と云えるのだが、それはこのサイトを見た人でないと気づかないと思う(笑)。
☎022-354-2023
おとな700円
営業時間は4月から9月は8時30分から17時、10月と3月は8時30分から16時30分、11月と2月は8時30分から16時、12月と1月は8時30分から15時30分。いずれも最終受付は閉門時間の30分前。
無休
五大堂

807年(大同2年)に「坂上田村麻呂」が東征時に毘沙門堂を建立し、828年(天長5年)に「慈覚大師円仁」が「延福寺(現在の瑞巌寺)」を開基の際に、「大聖不動明王」「東方降三世」「西方大威徳」「南方軍荼利」「北方金剛夜叉」の五大明王像を安置したことから、「五大堂」と呼ばれるようになった。
お堂に安置されている「五大明王像」は、1700年代以降、33年に一度ご開帳される(次回予定は2039年)。

国の重要文化財に指定されている現在の建物は、1604年(慶長9年)に「伊達政宗」が「瑞巌寺」の再興に先立って造営したもので、桃山式建築手法の匠を用いて完工された。
現地電話なし
拝観無料
夕方閉門(日没まで)
無休

五大堂から見た松島湾。ここは無料でお勧めの撮影ポイントだ。
観瀾亭

「正宗」が「豊臣秀吉」から拝領した「伏見桃山城」の茶室を、江戸藩邸に移築していたものを、二代藩主「忠宗」が海路で運び、ここに移したと伝えられている。
初めは「月見御殿」と呼ばれ、「観瀾亭」は五代藩主「吉村」の命名による。

東南向きで四方に縁をめぐらした、こけら葺きの京間18畳2室の建物は、県の有形文化財で、仙台藩世襲の絵師「佐久間修理」の作とされる床の間の張付絵や襖絵は、国の重要文化財に指定されている。
「観瀾亭」は藩主・姫君・側室等の松島遊覧時と、幕府巡見使等の宿泊及び接待用の施設として利用されていたため、江戸時代までこの敷地内には、随行する侍の部屋・台所・馬屋など11棟あまりの建物も存在しており、現存している「観瀾亭」は、その中の一部にすぎない。

また「観瀾亭」の裏にある「松島博物館」は、博物館と呼ぶにはかなりスケールが小さいが、「伊達家」に伝わる武具や装身具、化粧道具、書などが展示されているほか、1/5000スケールで作られた立体模型があり、松島湾全体の様子が確認できる。
☎0223-53-3355
大人200円(松島博物館と共通)
8時30分~17時(11~3月は~16時30分)
無休
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