この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、現地取材を元に「車中泊旅行における宿泊場所としての好適性」という観点から作成しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
秘訣は、クルマと徒歩をうまく使い分けること
ご承知のとおり、「城山」は西南戦争の最後の舞台となった、西郷どんゆかりの地だ。
ただ、ひとことで「城山」といっても、そこにある西郷どんゆかりの地を、全部歩いて周れるわけではない。
最初に全容を把握し、きちんとルートを組んでいかないと無駄足だらけになってしまう。
1.鶴丸城跡(黎明館)周辺
①西郷隆盛銅像
城山地区の西郷どんスポットといえば、まずはこちら(笑)。
撮影スポットは「歴史と文化の道」の対岸にちゃんと用意されている。
具体的な行き方は、マップ上中ほどにある「黎明館」の駐車場にクルマを停めて、そこから「歴史と文化の道」沿いに歩く。
200メートルあるかないかくらいの距離だと思う。
②西郷隆盛展望ホール K10カフェ
また今は、「鹿児島街歩き観光ステーション」がある「二の丸ビル」の5階にある、西郷どんの曾孫がプロデュースした「西郷隆盛展望ホール K10カフェ」が人気を集めている。
なんとここからは、西郷どんが見下ろせる(笑)。
③私学校跡 西南戦争の銃弾跡
黎明館方面に引き返し、さらに「歴史と文化の道」沿いに通り越した最初の交差点を左折すると、西南戦争勃発のきっかけとなる「私学校跡」が見えてくる。
④城山トンネル 「敬天愛人」の扁額
私学校跡の前の道を進むと、すぐに鹿児島本線の線路を超えるが、城山トンネルの入口(北端)が見えてくると、トンネルの入口に「敬天愛人」の扁額が確認できる。
ちなみにこのトンネルの出口(南端)には、「為政清明」の扁額がある。こちらは大久保利通の座右の銘で、為政者としての覚悟が込められた言葉。旧国鉄の仕業だと思うが、なかなかニクイ計らいだ(笑)。
⑤西郷隆盛終焉の地
大河ドラマ「西郷どん」では、最期は力尽きてバタン!と倒れて息を引き取るわけだが、それは大河はホームドラマと云われる真骨頂だった(笑)。
史実では、ここで別府晋介の介錯によって尽き果てる。
西郷洞窟からは約300メートル。線路沿いで駐車できるスペースがないので、ここには徒歩で行くほうが気兼ねなく見学ができるだろう。
さて、筆者が選ぶルートは、ここでいったん黎明館に引き返し、次のポイントへはクルマを使う。
2.南洲公園(南洲墓地と西郷南洲顕彰館)
次なる行き先は、西郷どんほか、西南戦争の戦没者が眠る「南洲墓地」と、「西郷南洲顕彰館」がある「南洲公園」だ。ここには無料の駐車場がある。
3.城山山頂
再びクルマに乗って城山の山頂をめざすが、その途中に有名な西郷洞窟がある。
⑧西郷洞窟
ここでの見ものは、洞窟よりもパネルに掲載されている当時の写真かもしれない。
大河ドラマを見ていた人なら気づいたかもしれないが、「西郷どん」のロケに使われていた城山の景色は、これに近いものだった。
洞窟だけだと潜んでいたイメージが強いのだが、こちらはまさにリアルな戦場。戦闘シーンの大河ドラマ「西郷どん」は、どうやらホームドラマではなかったようだ(笑)。
ちなみに駐車場はこんな感じ。道を挟んだ向かいにあり、洞窟見学者は無料で利用できる。ただ、混雑時はパスしてもいいと思う。
西郷洞窟自体は、それほど面白いところとは思わない。
なお、西郷洞窟のすぐ近くには、このようなお土産屋があって、隣にも洞窟がある。無料なので見ては来たが、あえて紹介するほどのものは思わない。
⑨西南戦争薩軍本営跡
最後は、城山公園の中に残る、西南戦争薩軍本営跡。ここは城山公園の駐車場にクルマを停め、山中の遊歩道を歩いて辿った。
だが、取材時はすぐ近くの「ドン広場」まで足を運びながら、この石碑を見つけることができなかった。
少し登ったところに、「明治十年戦没薩軍本営跡」と刻まれた石碑があるらしいのだが、もう歩き疲れてエネルギー・エンプティー。たまには挫折することもある(笑)。
鹿児島で挙兵してから7ヶ月。
田原坂を越えられず、わずか300余りの兵とともに故郷へ戻った西郷は、城山に立て籠もってここを本営とした。