「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド
この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づきまとめた、『一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台』をクルマで旅するためのガイドです。

~ここから本編が始まります。~
戊辰戦争で難攻不落を誇った鶴ヶ城は、戦国時代の名将「蒲生氏郷」の置き土産。

鶴ヶ城(若松城) DATA
鶴ヶ城
「鶴ヶ城」は通称名、「若松城」は国史跡の名称、「会津若松城」は江戸時代の名称
〒965-0873
福島県会津若松市追手町1-1
☎0242-27-4005(鶴ヶ城管理事務所)
8時30分~17時(受付最終16時30分)
無休
大人410円
茶室麟閣共通券520円
三施設共通券(天守閣・茶室麟閣・御薬園)730円
※「鶴ヶ城城址公園」は入場無料
西出丸駐車場:普通車200台
東口駐車場:普通車129台
南口駐車場:普通車35台
最初の1時間200円、以降1時間/100円
「会津若松」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2009.07.22
2010.08.23
2012.04.29
2021.04.11
2024.10.12
※「鶴ヶ城」での現地調査は2024年10月が最新で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2025年5月に更新しています。
桜の名所「鶴ヶ城」の概要と、駐車場&マイカーアクセス

鶴ヶ城の概要と、さくらまつり

会津の町のシンボルとして、「日本100名城」にも選ばれている「鶴ヶ城」は、室町時代に建てられた「黒川城」がルーツで、「豊臣秀吉」が天下人の時代に、「蒲生氏郷」によって7層の天守が建造される大造営を受け、現在の「縄張り」が形成された。
ただ1611年の地震で天守が崩壊し、5層の層塔型天守に建て直された経緯を持つ。

幕末の「戊辰戦争」では、新政府軍に城下町まで攻め込まれたが、約1ヶ月間に及ぶ「籠城戦」に持ち堪え、改めてその難攻不落ぶりが浮き彫りになった。
「八重の桜」は会津が舞台となった2013年放送のNHK大河ドラマで、それで「鶴ヶ城」に親しみを覚えた人もあるだろう。

出典:Wikipedia
しかし明治の「廃城令」を受けて、傷みの激しかった「鶴ヶ城」は解体。
時を経た1934年(昭和9年)、城跡一帯は「史跡若松城跡」として国指定史跡に登録され、戦後の1965年(昭和40年)に、現在の鉄筋コンクリート製の天守が建造されて今日に至っている。

出典:会津若松観光ビューロー
さて。
これは日本のほとんどのお城に共通していることだが、正確に云うと「鶴ヶ城」とは基本的に「天守」を指していて、いわゆる城内は「鶴ヶ城址公園」として無料開放されている。

つまり天守の「外観」を見て公園内を散策するだけなら、お金はかからない。
鶴ヶ城さくらまつり

その「鶴ヶ城址公園」には、約1000本のソメイヨシノが植えられており、「日本さくら名所100選」に選ばれている。
かつてはGWか、その直前に満開を迎えることが多かったが、地球温暖化で桜の開花予想が難しくなってきた近年は、3月下旬から5月のゴールデンウィークまでの期間を「鶴ヶ城さくらまつり」と称し、様々なイベントが開催されている。
なお「鶴ヶ城 DATA」で記したように、この城には3つの名前があり、ガイドや資料にはそれが混在して使われているようだ。
正しい理解は、「鶴ヶ城」は通称名、「若松城」は国史跡の名称、「会津若松城」は江戸時代の名称ということだが、当サイトでは地元でも浸透している「鶴ヶ城」で統一している。
鶴ヶ城の歴代城主

ここで、「鶴ヶ城」の歴代城主を年表形式でゆる~く紹介しよう。
というのは、城内の見どころと歴史はつながっているので、こちらを先に把握しておかないと、せっかく観てもその価値とか良さが分からないと思う。
とはいえ「鶴ヶ城」の城主には、そこそこ有名人物が登場するので、眠くならないうちにきっと読み終わる(笑)。
鶴ヶ城の城主と歴史年表
1384年
「葦名氏」が会津を支配し黒川城を築城
1589年
「伊達氏」が「蘆名氏」を破り会津を支配
1590年
天下統一を果たした「羽柴秀吉」が、「伊達政宗」から会津を没収し、家臣の「蒲生氏郷」が黒川城に入城
1593年
「蒲生氏郷」により黒川城と城下町の大改修が行われ、7層の天守を建造。名前も「鶴ヶ城」に改称する
1598年
「蒲生氏郷」の死去にともない、越後から「上杉景勝」が120万石で会津入り
1601年
「関ヶ原の戦い」で西軍についた「上杉氏」が米沢に減封され、「蒲生氏郷」の嫡男「秀行」が会津城主に復活
1627年
「秀行」の死後「蒲生家」は跡取りが途絶え、伊予松山から「加藤嘉明」が転封
1643年
「加藤家」でお家騒動が勃発し、会津40万石を幕府に召し上げられる。代わりに徳川三代将軍「家光」の異母弟にあたる「保科正之」が、出羽山形から23万石で入城する
~そこから216年が経過~
1862年
会津藩9代藩主「松平容保」が京都守護職に着任
1868年
「大政奉還」の翌年に「戊辰戦争」が勃発し、約1ヶ月の龍城の末に会津藩は降伏
もっとも…
これでは歴史好きには物足りないと思うので、ほくそ笑んでいただける内容を別途こちらの記事にシタタメてある(笑)。
「鶴ヶ城」に足を運ぶ人がみな、歴史に興味があるとは限らない。
鶴ヶ城の見どころ

前述したように、「鶴ヶ城」の見どころは、「無料」で見られるところと「有料」のところに分かれている。
そこでまずは、「鶴ヶ城址公園」を歩きながら、「無料」で見られるところから紹介していくとしよう。
鶴ヶ城の天守台の石垣

「鶴ヶ城」の天守台の石垣には、「野面(のづら)積み」と呼ばれる安土城で使われた、当時の最新技術が用いられている。
これは「羽柴秀吉」の命を受けて城主となった「蒲生氏郷」が、それまでの黒川城から大改修を行った際に、近江国から引き連れてきた石垣技術集団の「穴太衆」に積ませたもので、排水性が高いため崩れにくく、堅固で地震にも強いのが特徴だ。
実際に江戸時代初期の地震で、天守は崩壊したが石垣はこうして残っている。
鶴ヶ城の天守の瓦

「保科正之」が城主になる前までは、「鶴ヶ城」には西日本で発達した「黒瓦(いぶし瓦)」が葺かれていた。
しかし、「高遠(長野)」と「出羽(山形)の城主を経験している「正之」は、北国・雪国の事情に精通しており、低温や積雪に耐えられるよう、鉄分を多く含んだ釉薬を用いた「赤瓦」を会津で開発することに成功した。
その後「赤瓦」は奥州各地に普及するが、現在この「赤瓦」を用いた天守が見られるのは「鶴ヶ城」しかない。

「鶴ヶ城」では、2011年のリニューアル時に「赤瓦」に葺き替えられた。
荒城の月碑

あまり紹介されていないが、「鶴ヶ城」本丸の月見櫓跡の石垣の下に、
♪春高楼の花の縁♪で始まる、土井晩翠(どい・ばんすい)作詞、滝廉太郎(たき・れんたろう)作曲の「荒城の月」の碑がある。
土井晩翠は「鶴ヶ城」を訪れ、戊辰戦争で荒れ果てたその姿を見て、この詩を書いたとも云われている。ちなみに石碑の文字は、土井晩翠の自筆だ。
八重之像

会津藩砲術師範の山本家に生まれ、戊辰戦争で銃を手に「鶴ヶ城」に籠って奮戦した、大河ドラマ「八重の桜」のヒロイン「新島八重(山本八重)」の銅像で、三の丸(県立博物館の西入り口)に2013年9月に立てられた。
なお、さらなる無料の見どころが知りたい方は、以下のサイトをご覧あれ。
当サイトでは、ここからは有料の施設を紹介する。
天守(若松城天守閣郷土博物館)

「鶴ヶ城」の天守は「若松城天守閣郷土博物館」を兼ねていて、一層から四層では歴代領主の変遷や幕末の動乱、会津の先人たちの業績などをパネルや映像で紹介し、年間を通じてさまざまなテーマの企画展・特集展を開催している。
さきほどの「鶴ヶ城の城主と歴史年表」を飛ばさず最後まで読めた人なら、ここは行く価値が大いにあると思う(笑)。

ただ最上階からの景色は、期待するほどのものとは思わない(笑)。
ここはその名の通り、「博物館」と思って行くほうがいい。
なお、フロア構成や詳しい展示内容はこちらで確認を。
茶室「麟閣(りんかく)」

この建物には「蒲生氏郷」の人柄がわかるエピソードが宿っている。
「織田信長」の娘婿で、知略に優れた武将「蒲生氏郷」は、同時に茶道では「千利休」の弟子「利休七哲」の筆頭に挙げられるほどの文化人でもあった。
1591年(天正19年)、師と仰ぐ「千利休」が「豊臣秀吉」の逆鱗に触れて切腹。
大坂におらず、「秀吉」の暴挙を諌められなかったことと、「利休の茶道」が絶えるのを惜しむ「氏郷」は、「利休」の二男「少庵(しょうあん)」を「会津」に匿い、「徳川家康」とともに「秀吉」に千家の再興を願い出る。

その時に「少庵」が、「氏郷」の恩義に応えるために建てた茶室が、「麟閣」だ。
その後「氏郷」の嘆願が通り、1594年(文禄3年)に「少庵」は許されて京都に帰り、その子「宗旦(そうたん)」に千家茶道が引き継がれる。
さらに「宗左」「宗室」「宗守」の3人の孫によって、「表」「裏」「武者小路」の3千家が興され、今日の茶道隆盛の基が築かれた。
すなわち「氏郷」が、日本の茶道を救ったと云っても過言ではないかもしれない。
それもあって、「麟閣」の南側・表門上・脇門上の3ヶ所には、三千家の家元による扁額(へんがく)が掲げられており、茶室は「鶴ヶ城」内で大切に使用されてきた。
戊辰戦争後は、城下に移築し保護されてきたが、平成になって元の場所である「鶴ヶ城」内に復元された。
御薬園(おやくえん)

出典:会津若松観光ビューロー
江戸時代の代表的な大名型山水庭園として、国の名勝に指定された「御薬園(おやくえん)」は、室町時代に霊泉が湧出した地に、会津領主が別荘を建てたのが始まりとされる。
後に各種薬草を栽培する薬草園が設けられ、「御薬園」と呼ばれるようになった。
戊辰戦争時は、ここが新政府軍の療養所として使用されたため、戦火に巻き込まれずに往時の姿をとどめている。
ただ残念ながら、筆者はここへは足を運んでいないので、詳しいことはわからない。
鶴ヶ城のお勧め駐車場とアクセスマップ

「鶴ヶ城」の天守にいちばん近くて収容台数が多いのは「西出丸駐車場」で、利用時間は7時30分から18時。
ここにはその「西出丸駐車場」のマップをリンクしているが、Googleの場合は「西出丸駐車場」では検索されないので、このマップからナビに展開するのが確実だ。
もし分かりにくい場合は、以下の記事を参考に。
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