萩城跡・指月公園

関ヶ原の合戦後、徳川家康は毛利輝元と密約していた所領安堵を反故にし、本人は隠居、毛利家は120万石から36万石に減封のうえ、鄙びた海辺の萩に築城を命じた。再興を期して苦難を凌いだ長州藩は、外国貿易で巨万の富を築き、幕末には京に兵を送って幕府に攘夷を迫るまでに至る。しかし佐幕派の薩摩藩によって形成は逆転、再び幕府の軍門に降ってしまう。だがここで吉田松陰の弟子たちが踏ん張り、坂本龍馬の仲介を得て、まさかの薩長同盟が実現する。その結果、関門海峡の馬関で遂に幕府軍を撃破し、約260年に及ぶ積年の恨みを晴らした。これを境に江戸幕府は求心力を失い、一気に大政奉還へと時は流れる

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