25年のキャリアを誇る車中泊旅行家がまとめた、有馬温泉にある「神戸市立太閤の湯殿館」に関する詳しいガイドです。
「クルマ旅のプロ」がお届けする、車中泊で訪ねた名湯レポート
この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づき、全国の温泉地の車中泊事情や温泉情緒、観光、グルメにいたる魅力を再評価し、「車中泊旅行者の目線」から紹介しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。

~ここから本編が始まります。~
「神戸市立太閤の湯殿館」は、秀吉の湯治場だった「湯山御殿」の遺構を保存している、有馬温泉の歴史博物館

神戸市立太閤の湯殿館 DATA
太閤の湯殿館
〒651-1401
兵庫県神戸市北区有馬町1642
078-904-4304
おとな200円
9時~17時(受付最終16時30分)
第2水曜 定休
「神戸市立太閤の湯殿館」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2010.12.04
2014.12.02
2015.12.18
「神戸市立太閤の湯殿館」での現地調査は2015年12月が最終で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2026年1月に更新しています。
神戸市立太閤の湯殿館

「有馬温泉」Before 秀吉

「有馬温泉」の「極楽寺」に併設する「神戸市立太閤の湯殿館」には、天下人となった「豊臣秀吉」が、「有馬温泉」での湯治に使った「湯山御殿」の浴室と庭園の遺構が保存されている。
ただ、せっかくなのでこの話を進める前に、信ぴょう性に欠ける神話時代を割愛して、有馬温泉の歴史を簡単に振り返ろう。

有馬温泉の基礎を築いたのは、この地に「温泉寺」を建立した「行基」とされる。
しかし1097年(承徳元年)に大洪水が「有馬」を襲い、以後100年近く壊滅状態のままで推移したと考えられている。

その「有馬」を救ったのが「仁西(にんさい)」で、この二人の僧侶を「開創の行基」「中興の仁西」と呼び、「有馬」では今も慈しんでいるという。
しかし「仁西」による有馬再興から300余年を経た1528年(享禄元年)、今度は大火という災難が再び「有馬」を襲った。

ちょうどその時期に「明智光秀」の軍を打ち破り、「柴田勝家」「織田信孝」との跡目争いを制して、天下統一の地固めに成功するのが「羽柴秀吉」だ。
「秀吉」が初めて「有馬温泉」を訪れたのは、1853年(天正10年)のことだった。
「有馬温泉」Just 秀吉

出典:有馬温泉
「秀吉」は「織田信長」の存命当時から、中国遠征に備えて有馬街道の普請を始めており、以前から「有馬」の温泉価値に注目していたという。
天下統一後も再三この地を訪れ、手厚い援助を行っているほか、自身も豪華な「湯山御殿」を建て、亡くなるまでの15年間に9度も湯治に訪れている。
特に有名なのは1590年(天正18年)の湯治で、「有馬温泉」の蘭若院阿弥陀堂に「千利休」「津田宗及」といった名高い茶人を招き、大茶会を催した。

出典:Kiss PRESS
この茶会は小田原の「北条氏」を倒し、天下統一を達成した凱旋イベントだったともいわれ、毎年11月2~3日に開催される有馬大茶会は、当時の「秀吉」の遺徳を忍び、古の茶会を模したものだと云われている。

いずれにしても、それまで信仰や療法としての性格が強かった温泉に、「ねぎらいの湯」あるいは「もてなしの湯」という物見遊山の要素を加えた、「太閤秀吉」の温泉文化への貢献は大きい。

さらに特筆すべきは、1597年(慶長2年)に始まった大規模な改修工事だ。
前年に近畿一円を襲った、震度6から7と推定される慶長伏見地震により、「有馬」も甚大な被害を被ったが、地震直後から温泉の温度が急上昇し、熱湯に変わってしまったという。
それを聞いた「秀吉」は、「有馬温泉」の根本的な改修工事に着手する。
それが江戸時代の最盛期に、「有馬千軒」と呼ばれる繁栄をもたらせた。
また「秀吉」は、その改修工事に合わせて「湯山御殿」に代わる自身の新しい湯殿の建設も命じていたが、残念ながら完成を見ぬまま、翌1598年(慶長3年)にこの世を去ってしまった。
「有馬温泉」After 秀吉

「秀吉」亡き後の「有馬温泉」は、前述したように、さらなる発展を遂げ、現在の有馬の町並みの骨格は、江戸時代にほぼ完成したと云われている。
ただ徳川家としては、「大坂城」と同じように、「有馬温泉」から『太閤秀吉・成功の象徴』というイメージを拭い去りたかったようだ。

そのひとつとして、「秀吉」の遺産とも呼べる「湯山御殿」を解体し、その跡地に現在の「極楽寺」を再建するが、「湯山御殿」はあった場所すら、後世に伝えられていなかった。
それからおよそ400年を経た、1995年(平成7年)。

「阪神・淡路大震災」で損壊した「極楽寺」の庫裏(くり/寺の調理場)の下から、安土桃山時代の遺跡が発見された。
発掘調査の結果、この遺跡が「秀吉」が「有馬」での湯治に使った「湯山御殿」の浴室・庭園の跡であることが確認される。

遺構は翌々年、神戸市の文化財・史跡に指定され、1999年(平成11年)には、この時の出土品を保存・公開し、「秀吉」が愛した「有馬温泉」の歴史と文化を紹介するための博物館「神戸市立太閤の湯殿館」がオープンした。
「太閤の湯殿館」では、復元された庭園や蒸風呂・岩風呂の遺構、出土した破片をもとに復元された龍の飾り瓦、茶器、軽石、碁石などが展示されている。
「神戸市立太閤の湯殿館」 アクセスマップ
駐車場はないので、クルマは麓の有料駐車場に停めて徒歩でアクセスしよう。
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