「クルマ旅のプロ」がお届けする、車中泊で訪ねた名湯レポート
この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づき、全国の温泉地の車中泊事情や温泉情緒、観光、グルメにいたる魅力を再評価し、「車中泊旅行者の目線」から紹介しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。

~ここから本編が始まります。~
「ありまサイダー」は、あの「三ツ矢サイダー」と「リボンシトロン」のルーツ。

「有馬温泉」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2010.12.04
2014.12.02
2015.12.12
2016.11.25
2026.01.18
※有馬温泉での現地調査は2026年1月が最新です。
ありまサイダーてっぽう水

「ありまサイダー」は、日本のサイダーの草分け
「ありまサイダー」は、日本のサイダーの草分け

「ありまサイダー」のことを調べていたら、実に興味深い話に出くわしたので、それを整理して紹介しよう。
「読売新聞」の記事によると、有馬のサイダーの歴史は明治時代に遡る。
1908年に飲料メーカー「有馬鉱泉」が、温泉街周辺で湧き出る炭酸水を砂糖などで味付けし、清涼飲料水のサイダーにしたのが始まりで、どうやらそれが『日本のサイダーの草分け』になるようだ。
炭酸の圧力でコルク栓が勢いよく飛び出すことから「有馬炭酸鉄砲水」と名付けて売り出したところ、瞬く間に人気商品となったという。
だが、「有馬鉱泉」は後に別の飲料メーカーに買収され、「有馬炭酸鉄砲水」は20年足らずで姿を消した。
新聞記事では、そこから時代は一気に平成にジャンプし、現在の復刻版「ありまサイダー」の紹介へと続くのだが、筆者は別の飲料メーカーになった後の「顛末」を知って驚いた。
「大日本麦酒株式会社」の傘下で再生

別の飲料メーカーとは「大日本麦酒株式会社」のこと。
戦前の日本に存在したビールメーカーで、現在のアサヒビールとサッポロビールの前身にあたる。
その「大日本麦酒株式会社」時代に製造されていた「有馬炭酸鉄砲水」の商品名は「シトロン」だったが、それが戦後の財閥解体で、現在の「アサヒビール」の「三ツ矢サイダー」、そして「サッポロビール」の「リボンシトロン」へと受け継がれた。

しかし、北海道でよく買って飲む「リボンシトロン」のご先祖様が、まさか近場の「有馬炭酸鉄砲水」だったとは!
それはサントリーのウイスキー「第一号・白札」の生みの親が、実はニッカウヰスキーの創始者「竹鶴政孝」だったのと同じくらい、インパクトのある話だった(笑)。
“幻のサイダー”の復活

さて。
再び読売新聞の記事の引用に戻る。
「有馬炭酸鉄砲水」の消滅から70年余りが過ぎた2001年、“幻のサイダー”の復活を試みた男たちがいる。
かれらは「阪神大震災」で観光客が激減した「有馬温泉」を盛り上げる起爆剤にと、再びサイダーに目をつけたという。

ただしこだわったのは、時流の「微炭酸」ではなく、当時と同じ「強炭酸」だった。
ラベルには、「有馬鉱泉」が当時の看板に使っていたシンボルの大砲を描き、明治・大正のレトロな雰囲気を再現している。
「ありまサイダーてっぽう水」の初年度の出荷本数は2000本に過ぎなかったが、口コミで人気を呼び、翌年には一気に20万本近くまで急増し、今度は各地の「地サイダーブーム」の先駆けとなった。
外国人観光客にも好評で、アラブ首長国連邦(UAE)の王子が、240本を購入したこともあるそうだ。
ただ出荷本数は2015年度が約30万本だったことまでは掴めているが、その後の数字は公表されていない。
それでも廃番になっていないということは、一過性のブームに終わらず、今も有馬の名物として定着しているのだろう。
そんなわけで、もし喉が渇いた時は、「コカコーラ」ではなく「ありまサイダーてっぽう水」で、「スカッ!と爽やか」な気分になるのが「有馬通」。
ってことにしておこう(笑)。
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