愛媛県の松山市内に残る俳人「種田山頭火」終焉の地を、歴史に明るく経験豊かな「車中泊旅行家」が紹介しています。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド

この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づきまとめた、『一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台』をクルマで旅するためのガイドです。

~ここから本編が始まります。~
山頭火の人生は、一笠一杖一鉢の行乞行脚

種田山頭火

和歌と同じく日本独自の文学である「俳句」の、日本を代表する人物と云えば、
古池や かわず飛び込む 水の音
でお馴染みの「俳聖」こと「松尾芭蕉」。これは日本人の常識の範疇だろう。
その次は?
柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺
を詠んだ、松山出身で俳句の「中興の祖」とされる「正岡子規」。ここまでくると、「常識」から「教養」に近くなる(笑)。
ではその次は?
「小林一茶」「与謝野蕪村」…
中高年ならここらあたりまではなんとかアタマに浮かぶと思うが、あとは今もテレビ「プレバト!!」でお見かけする、「夏井いつき」先生くらいしか出てこない(笑)。
さて。
また一枚 脱ぎ捨てる 旅から旅

これが「自由律俳句」の確立者と呼ばれる「種田山頭火」の句だ。
「種田山頭火」は1882年(明治15年)、現在の防府市に大地主の跡取りとして生まれるが、父の放蕩による母の自殺が心に暗い影を落とす。
それでも成績優秀で文芸に興味をもち、早稲田大学に進学したが、病を患い中退。
帰郷して父親の酒造場を手伝いながら、30代は文学面で活躍するが、家業が破綻し、妻子と熊本に移住するも離婚。
43歳を迎えた年に禅門に入って出家し、翌1926年(大正15年)から、「一笠一杖一鉢(いちりゅういちじょういっぱつ)」の行乞行脚(ぎょうこつあんぎゃ)の旅を始め、その間、山口県小郡町に「其中庵(ごちゅうあん)」、湯田温泉に「風来居(ふうらいきょ)」を結ぶ。
しかし1939年(昭和14年)には再び旅に出て、雲水姿で西日本を中心にさすらいながら、自然と一体となり、自己に偽らず、旅先での出会いや風景から霊感を得て、57歳でこの世を去るまでに1万2000余りの句を詠んだ。
晩年の「山頭火」は、大酒飲みで精神不安定、加えて放浪癖と、社会的にはどうしようもない人物で、世を捨て、人間臭さにまみれたその生き様は、けして褒められたものではないと思うが、反面、目標を見失った人々には、ある種の安堵感を与えてくれる存在なのかもしれない。

我々に馴染みの深い車中泊クルマ旅の映画「あなたへ」の中にも、「山頭火」の話が登場する。
『「芭蕉」は旅ですね。「山頭火」は放浪。旅と放浪の違いってわかりますか。目的があれば旅で、ないのが放浪、なんですかね』

それは「ビートたけし」が「山頭火」の句集「草木塔」を、キャンプ場で「高倉健」に譲り渡す印象的な”ひとコマ”だった。
一草庵

そんな「山頭火」が、友人の好意で松山にある「御幸寺(みゆきじ)」境内に庵住したのは、1939年(昭和14年)年12月。
しかし「山頭火」は翌年10月11日に永眠。隣室で句会が行われている最中に、脳溢血で倒れたという。在庵したのはわずか10ヶ月、享年59歳であった。
その最期の僧房は「一草庵」と名付けられ、休日のみ室内が公開されている。
料金は無料、ただし駐車場はないので隣の護国神社を利用しよう。なお同じ松山市内には同名のうどん屋さんがあるので、行かれる方はこのマップを参照に。
一草庵
〒790-0824
松山市御幸1丁目435-1
現地電話なし
問い合わせ先*089-948-6891(松山市役所 文化財課)
見学無料
土・日・祝日のみ。9時~17時
※7~8月は17時30分、11~1月は16時30分閉館
【参考】NPO法人まつやま山頭火倶楽部
車中泊でクルマ旅 総合案内
クルマ旅を愉しむための車中泊入門
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