「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド
この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づきまとめた、『一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台』をクルマで旅するためのガイドです。

~ここから本編が始まります。~
~プロローグ~
大河ドラマのいいところ

出典:NHK
勘違いしてほしくないのだが、確かに筆者は「綾瀬はるか」を素晴らしい女優さんだと思っているが、ファンクラブに入会するほど、愛して止まない人ではない(笑)。
筆者がこの話を書いているのは、「八重の桜」を含むNHKの大河ドラマが、車中泊で特に「歴史舞台」をめぐりたい人にとって、『有能なガイド代わり』になると思っているからだ。

「歴史舞台」には「城」や「寺社仏閣」はもちろん、「古戦場」から「生家」や「寓居」跡にいたるまで、多種多様なところが含まれるわけだが、それらを結びつけている大元は、後世に名を残した「偉人」だ。
基本的に「歴史舞台」を追うというのは、「偉人」の足跡を辿ることであり、「大河ドラマ」は、それを専門家が入念にリサーチして制作されている。
つまり「大河ドラマ」には、個人では到底調べられないような、マニアックなゆかりの地までが盛り込まれており、それを旅に活用しない手はあるまい。

もちろん一番いいのは、ドラマを放送している年に、舞台となっている町を訪ねることだが、たとえ旅が後年になったとしても、歴史は変わらないし、風化するものでもない。
ただ唯一とも云える欠点は…
放送回数が多すぎて、簡単には再放送が見られないこと(笑)。
そのために、この記事がある。
※動画を再生すると、テーマ曲が流れます。
2013年放送
ドラマの前半は、幕末の会津。
動乱の渦に巻き込まれ、苦境に立たされていく「会津藩」の中で、母の願いとは違う”男まさり”に育った「八重」は、『ならぬことはならぬ』という「什の掟」を胸に、「鶴ヶ城」の籠城戦に加わって、最新のスペンサー銃を手に奮戦し、「幕末のジャンヌ・ダルク」となる…
後半は舞台を京都に移し、最大の理解者である兄「覚馬」の縁で、アメリカ帰りで後に「同社大学」を設立する「新島襄」の妻となり、男尊女卑の世情に負けることなく時代を生き抜き、”ハンサムウーマン”と呼ばれた。
「八重の桜」は、2011年の「東日本大震災」で被災した東北地方の人々に、希望と自分を失わずに生き続けた、『不屈の女性の物語』”を届けるべくして制作された、特別な大河ドラマでもある。

出典:NHK
主な出演者:
綾瀬はるか/西島秀俊/長谷川博己/綾野剛/西田敏行 ほか
全話のショートムービーはこちら。
寸評
おもしろかったのは前半で、「会津藩」が幕末の動乱に巻き込まれて、「京都守護職」を引き受けるところから、朝敵とされて「戊辰戦争」で敗北するまでの一連の流れを、会津のエリート藩士であった「八重」の兄「山本覚馬」の動きと重ねながら、非常にわかりやすく描いていた。
ただ、明治を迎えて舞台が京都に移ってからは、ドラマとしてのおもしろさは大幅に薄れてしまった。正直なところ「綾瀬はるか」の演技力になんとか支えられ、最終回まで辿りついた感が拭えない。
とはいえ、OBを含めた「同志社大学」の関係者はそれなりに楽しめたと思う。
実は筆者もそのひとりだが、『学校では学ばなかった母校の歴史』を、このドラマを見て初めて知った(笑)。

出典:NHK
内容的に、兄弟である「山本八重」と「山本覚馬」のダブルキャストのように感じたので、ここでは両者のプロフィールを掲載しておこう。
山本八重(新島八重)
「会津藩砲術師範」の山本家に生まれ、父と兄(覚馬)の影響を受けて、洋式砲術を身につける。
「戊辰戦争(会津合戦)」では、「但馬出石(いずし)藩」出身で「藩校・日新館」の教授を務めていた、夫の「川崎尚之助」とともに籠城戦に参加した。
「八重」の腕前は確かで、薩摩藩二番砲兵隊長だった「大山厳」を狙撃し、戦線離脱の重傷を負わせたとも云われている。
ちなみに「大山巌」は、「西郷隆盛」の従兄弟で、日露戦争でロシア軍を打ち破り、世界を驚かせた日本陸軍元帥だ。この時死んでいたら、日本は日露戦争で負けていたかもしれない(笑)。

出典:NHK
明治を迎えると兄の「覚馬」を頼ってに京都に行き、「覚馬」と親交のあった、後に「同志社大学」を創立する「新島襄」と再婚。夫とともにキリスト教の布教に努めるとともに、子女の教育にも力を注いだ。
「新島襄」の死後は、「同志社大学」を離れて「日本赤十字社」の正社員となり、1894年(明治27年)の「日清戦争」で、広島の陸軍予備病院に篤志看護婦として従軍。40人の看護婦の取締役として、怪我人の看護だけでなく、看護婦の地位の向上にも努めた。

出典:Wikipedia
さらにその後も社会奉仕に情熱を注ぎ、国家勲章を二度にわたって授与されている。
山本覚馬
「日新館」で学んだあと、江戸に出て蘭学と洋式砲術を研究し、「会津藩」の軍備の近代化を推進。藩主の「松平容保」の「京都守護職」着任に伴い、上洛して本陣で西洋式軍隊の調練にあたった。
1864年の「禁門の変」で勲功を挙げ、公用人に任ぜられると、幕府や諸藩の名士と交わる機会が増え活動範囲が広がったが、「禁門の変」での負傷がもとで眼病を患い、失明同然の状態に陥った。
そのため1868年の「鳥羽・伏見の戦い」で「薩摩藩」に捕われ、同藩の「二本松邸(現在の同志社大学今出川キャンパス)」に収監されるが、「薩摩藩」内でも「覚馬」の優秀さが知られていたことから、粗末には扱われなかった。
この幽閉中に「覚馬」は建白書「管」を口述筆記し、薩摩藩主「島津忠義」に上程、これを読んだ薩摩藩政の「小松帯刀」「西郷隆盛」らは、ますます敬服し、待遇を良くしたという。
釈放後も「覚馬」はそのまま京都に残り、京都府顧問・府議会議員(初代議長)として、初期の京都府政を指導した。

出典:NHK
また「八重」を京都に迎え、同志社英学校(現:同志社大学)の創立者「新島襄」の協力者として、「八重」を嫁がせ、所有していた土地を譲った人物としても知られている。

その敷地が、失明する元となった京都御所の「蛤御門」のすぐ近くにあり、かつて自らが収監されていた薩摩藩「二本松邸」というのは、なんともいえない因縁だ。
そして、それから約100年後に筆者はここに通い、またそれから50年が過ぎようとする今、この話を書いている…
会津の「八重の桜」ゆかりの地

さて。
『会津の「八重の桜」ゆかりの地』は、大きく分けると2つある。
ひとつは『ドラマに描かれた史実に基づく場所』、すなわち「鶴ヶ城」や「藩校・日新館」、また「飯盛山」などになる。
そしてもうひとつは、『大河ドラマ「八重の桜」のゆかりの地』だ。
原作や史実には直接関係しないにもかかわらず、大河ドラマには見た人に強い印象を与える場所や、放送終了後に新たに名所ができたりする。
「八重の桜」では、ドラマのオープニング映像に使われたこの「石部桜」がそれだ。

自分ももう一度観たいと思い、ネット上を頑張って探した結果、余計なテキストがいっしょに流れるものの、「ニコニコ動画」で見つかった。
「坂本龍一」が手掛けた、重厚で古き良き日本を端々に感じさせるテーマ曲に乗って散りゆく桜の美しさに、「どこなんだ、ここは!」と思った人も多かったと聞く。

「石部桜」は、鎌倉時代の会津の領主「葦名氏」の重臣、「石部治部大輔(いしべ じぶだゆう)」邸の庭にあったと伝わる、樹齢約650年のエドヒガンで、10本の幹からなり、枝張はいちばん広いところで約20メートルにもなる見事な一本桜だった。

ただし近くに駐車場はなく、「飯盛山」近くの観光案内所に隣接する無料の「市営飯盛山駐車場」にクルマを停め、1キロほど歩いて見に行く必要がある。
このGoogleマップは「市営飯盛山駐車場」だが、観光案内所に「石部桜」までの紙の地図が置いてあるので、行かれる方はもらっていくといいだろう。
実は、この話には失敗談がある。

「八重の桜」の放送を翌年に控えた2012年、そのオープニング映像に使われる桜の木は、この「三春の滝桜」という情報が流れ、筆者はそれを信じて撮影に出向いた。
しかしドラマが始まると、それが別の桜の木であることが判明する。
確かに会津の話にしては、三春はちょっと遠すぎると思った…
ただ枝ぶりは「三春の滝桜」のほうがだいぶよかったけどね。
筆者がリベンジできたのは2021年。
10年も経ってからのことだったが、それでもまだ「石部桜」を見に来る人の姿は絶えなかった。
余談になるが、テレビの余韻はすごいもので、「松平容保」を演じた「綾野剛」が出演した、ダイハツタントの2013年のCMで、話題になった島根県の「ベタ踏み坂」は、20年経った今でも、休日に通れば誰かが撮影している(笑)。

すなわち飽きているのはマスコミだけで、旅行者というのはそういうものだ。
合わせてもうひとつ挙げるとしたら、「鶴ヶ城」にドラマ放送後に立てられた、「八重之像」も『大河ドラマ「八重の桜」のゆかりの地』に該当する。

こちらについては、「鶴ヶ城」の詳細記事の中で触れている。
山本覚馬・新島八重 生誕の地

「会津藩砲術師範」だった「山本兄弟」の生誕地が、きちんと整備されてわかるように残されている。
碑は現在、米代二丁目にあるが、実際の生家は、そこから西へ50メートルほど歩いたところに位置していたようだ。
ちなみにウィキペディアには、「山本家」は戦国時代の「武田信玄」の軍師「山本勘助」を先祖に持ち、「保科正之」が「会津」に入った時に、「高遠」から「正之」に追従してきたと記されている。
事実は不明のようだが、確かに「保科正之」の家臣には、「高遠」城主だった時代からついてきている者も多く、家業が軍事関連というのも一致する。
もし本当なら、おもしろすぎというか、大河ドラマ的には出来過ぎだ!(笑)。
鶴ヶ城

ここは「八重の桜」のゆかりの地というより、今でも会津のシンボルと呼ぶべき観光スポットなので、驚くほど詳しい紹介記事を別途用意している。
藩校・日新館

筆者はこの「藩校・日新館」が、もっとも『「八重の桜」のゆかりの地』と呼ぶにふさわしい場所だと思っている。

というのはここに、『なぜ幕府が「会津藩」を最後の頼みの綱にしたのか』、そして『「会津藩」が火中の栗と分かっていながら、なぜ「京都守護職」を引き受けることになったのか』、さらには『なぜ江戸城無血開城後も、新政府は「会津藩」を許さなかったのか』という、ドラマのストーリーを超えて、幕末の日本の謎を解き明かす理由が秘められているからだ。
それは筆者が説明するより、公式サイトをご覧いただくほうがよくわかる。
飯盛山(白虎隊十九士の墓)

「戊辰戦争」中に起きた「白虎隊」の悲劇は、「ドラマ」では25話で詳しく取り上げられており、舞台となった「飯盛山」も、『「八重の桜」ゆかりの地』といっていい場所だろう。

出典:NHK
「藩校・日新館」で鍛錬を積んだ、武家の男子で編成された「白虎隊」は、1868年(慶応4年)の「鳥羽伏見の戦い」の後に、「会津藩」が軍制をフランス式に改革したことで誕生した4部隊のひとつで、年齢別に編成されていた。
「八重の桜」では、「山本家」の隣人で、幼い時から「八重」に砲術の指南を受けていた、「伊東悌次郎」にスポットを当てることで強いインパクトを演出している。
腕に覚えがある「伊東悌次郎」は、15歳のため白虎隊に編入されないはずだったが、年齢を偽って入隊し、「八重」の教えを思い出して仲間を励まそうとしたが、間に合わず自決を急ぐ仲間とともに命を絶ってしまう。

なお「飯盛山」には、他にも「旧滝沢本陣」や「さざえ堂」などの見どころが揃っているので、行けばそれなりに楽しめる。
クルマは「石部桜」で紹介した、「市営飯盛山駐車場」に停めるといい。
「八重の桜」ゆかりの地
京都

前述した通り、「八重の桜」は会津藩9代藩主「松平容保」が「京都守護職」を受諾したした時から京都との関わりが始まり、明治維新後はその「京都」がドラマの舞台になっている。
そのため当サイトでも京都については、「会津」と同じように詳しい紹介ページを用意している。
筆者は同志社OBなので、あまり知られていない場所にまで足を運んでいるので、コアな人には参考になるかも…(笑)。

写真の左手前の小さな墓石に、「新島八重」と書かれている。
「八重の桜」ゆかりの地
出石(川崎尚之助墓所)

出典:NHK
「山本八重」は「新島襄」の妻で有名だが、それは明治になって再婚してからの話で、彼女の最初の夫はこの「長谷川博己」が演じた、兵庫県出石出身の「川崎尚之助」だ。
「山本覚馬」と親交が深かった「川崎尚之助」は、29歳の時に21歳の「八重」と結婚するが、戊辰戦争直後の戦犯処分時に離れ離れになった。
「尚之助」は藩士として斗南に移住し、仲間たちの飢えをしのぐ手段として、米の調達のために先物取引に手を染めるが、協力者の背信行為や手形の不首尾などで行き詰まり、東京で裁判を受けることになる。
しかし「斗南藩」は無関係として、一身にその罪を背負わされ、最後は裁判の最中に発症した慢性肺炎により、享年40歳で不遇の生涯を閉じた。
その後は、歴史の藻屑として表に出ることはなかったが、「八重の桜」の放映が決まり、「川崎尚之助」の詳細調査が行われたことで、故郷の出石に墓石があったことが判明する。
詳細は以下の記事にまとめているが、これもまた大河ドラマの副産物だ。
たださすがの筆者もわざわざそれを知って、「出石」まで足を運んだわけではなく(笑)、「出石そば」の取材に行った時に、たまたま観光案内所かどこかで情報を得て、そのついでに冥福を祈ってきた。
「八重の桜」ゆかりの地
青森(斗南藩記念観光村)

「斗南藩」は、戊辰戦争に敗れて23万石の領地を没収された「会津藩」が、1869年(明治2年)11月に、青森県下北半島の一画に、わずか3万石で再興を許されるかたちで誕生したが、移住した旧会津藩士は、寒冷地の過酷な自然条件の中で、苦しい生活を強いられていた。
しかし1871年(明治4年)7月の廃藩置県で斗南県となり、さらに9月に青森県に編入されたため、わずか2年足らずで消滅。
藩士たちの多くは故郷の会津に戻り、日本史からは『忘れ去られたも同然の存在』となっていた。
実はこれもまた、「航空自衛隊 三沢基地」の取材時に「道の駅 みさわ」に立ち寄ったことで分かった話。
「八重の桜」を見ていなければ、ここが「斗南藩」の跡地であることなど、知るよしもなかっただろう。
これで少しは、筆者が「大河ドラマ」を高く評価している理由が伝われば幸いだ。
もちろん同じような経験は、ほかの「大河ドラマ」でも重ねている。
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