大河ドラマ「八重の桜」と、会津のゆかりの地めぐり【クルマ旅のプロが解説】

八重の桜 ゆかりの地
25年のキャリアを誇る、歴史にも明るい車中泊旅行家が、NHK大河ドラマ「八重の桜」の概要と、会津ほか全国各地に残るゆかりの地を紹介しています。

「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド

巌流島

この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づきまとめた、『一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台』をクルマで旅するためのガイドです。

車中泊で史跡めぐり【クルマ旅のプロが解説】
車中泊旅行歴25年のクルマ旅専門家が、クルマで日本の歴史舞台を旅したい人に向けての情報を発信しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。



~ここから本編が始まります。~

大河ドラマ「八重の桜」は、会津若松観光のお勧めガイド

~プロローグ~
大河ドラマのいいところ

 

~プロローグ~
大河ドラマのいいところ

出典:NHK

勘違いしてほしくないのだが、確かに筆者は「綾瀬はるか」を素晴らしい女優さんだと思っているが、ファンクラブに入会するほど、愛して止まない人ではない(笑)。

筆者がこの話を書いているのは、「八重の桜」を含むNHKの大河ドラマが、車中泊で特に「歴史舞台」をめぐりたい人にとって、『有能なガイド代わり』になると思っているからだ。

八重の桜 ゆかりの地

「歴史舞台」には「城」や「寺社仏閣」はもちろん、「古戦場」から「生家」や「寓居」跡にいたるまで、多種多様なところが含まれるわけだが、それらを結びつけている大元は、後世に名を残した「偉人」だ。

基本的に「歴史舞台」を追うというのは、「偉人」の足跡を辿ることであり、「大河ドラマ」は、それを専門家が入念にリサーチして制作されている。

つまり「大河ドラマ」には、個人では到底調べられないような、マニアックなゆかりの地までが盛り込まれており、それを旅に活用しない手はあるまい。

八重の桜 大河ドラマ館

もちろん一番いいのは、ドラマを放送している年に、舞台となっている町を訪ねることだが、たとえ旅が後年になったとしても、歴史は変わらないし、風化するものでもない。

ただ唯一とも云える欠点は…

放送回数が多すぎて、簡単には再放送が見られないこと(笑)。

そのために、この記事がある。

ドラマ「八重の桜」の概要

※動画を再生すると、テーマ曲が流れます。

2013年放送

ドラマの前半は、幕末の会津。

動乱の渦に巻き込まれ、苦境に立たされていく「会津藩」の中で、母の願いとは違う”男まさり”に育った「八重」は、『ならぬことはならぬ』という「什の掟」を胸に、「鶴ヶ城」の籠城戦に加わって、最新のスペンサー銃を手に奮戦し、「幕末のジャンヌ・ダルク」となる…

後半は舞台を京都に移し、最大の理解者である兄「覚馬」の縁で、アメリカ帰りで後に「同社大学」を設立する「新島襄」の妻となり、男尊女卑の世情に負けることなく時代を生き抜き、”ハンサムウーマン”と呼ばれた。

「八重の桜」は、2011年の「東日本大震災」で被災した東北地方の人々に、希望と自分を失わずに生き続けた、『不屈の女性の物語』”を届けるべくして制作された、特別な大河ドラマでもある。

出典:NHK

主な出演者:
綾瀬はるか/西島秀俊/長谷川博己/綾野剛/西田敏行 ほか

全話のショートムービーはこちら。

寸評

おもしろかったのは前半で、「会津藩」が幕末の動乱に巻き込まれて、「京都守護職」を引き受けるところから、朝敵とされて「戊辰戦争」で敗北するまでの一連の流れを、会津のエリート藩士であった「八重」の兄「山本覚馬」の動きと重ねながら、非常にわかりやすく描いていた。

ただ、明治を迎えて舞台が京都に移ってからは、ドラマとしてのおもしろさは大幅に薄れてしまった。正直なところ「綾瀬はるか」の演技力になんとか支えられ、最終回まで辿りついた感が拭えない。

とはいえ、OBを含めた「同志社大学」の関係者はそれなりに楽しめたと思う。

実は筆者もそのひとりだが、『学校では学ばなかった母校の歴史』を、このドラマを見て初めて知った(笑)。

「主人公」のプロフィール

出典:NHK

内容的に、兄弟である「山本八重」と「山本覚馬」のダブルキャストのように感じたので、ここでは両者のプロフィールを掲載しておこう。

山本八重(新島八重)

「会津藩砲術師範」の山本家に生まれ、父と兄(覚馬)の影響を受けて、洋式砲術を身につける。

「戊辰戦争(会津合戦)」では、「但馬出石(いずし)藩」出身で「藩校・日新館」の教授を務めていた、夫の「川崎尚之助」とともに籠城戦に参加した。

「八重」の腕前は確かで、薩摩藩二番砲兵隊長だった「大山厳」を狙撃し、戦線離脱の重傷を負わせたとも云われている。

ちなみに「大山巌」は、「西郷隆盛」の従兄弟で、日露戦争でロシア軍を打ち破り、世界を驚かせた日本陸軍元帥だ。この時死んでいたら、日本は日露戦争で負けていたかもしれない(笑)。

出典:NHK

明治を迎えると兄の「覚馬」を頼ってに京都に行き、「覚馬」と親交のあった、後に「同志社大学」を創立する「新島襄」と再婚。夫とともにキリスト教の布教に努めるとともに、子女の教育にも力を注いだ。

「新島襄」の死後は、「同志社大学」を離れて「日本赤十字社」の正社員となり、1894年(明治27年)の「日清戦争」で、広島の陸軍予備病院に篤志看護婦として従軍。40人の看護婦の取締役として、怪我人の看護だけでなく、看護婦の地位の向上にも努めた。

出典:Wikipedia

さらにその後も社会奉仕に情熱を注ぎ、国家勲章を二度にわたって授与されている。

山本覚馬

「日新館」で学んだあと、江戸に出て蘭学と洋式砲術を研究し、「会津藩」の軍備の近代化を推進。藩主の「松平容保」の「京都守護職」着任に伴い、上洛して本陣で西洋式軍隊の調練にあたった。

1864年の「禁門の変」で勲功を挙げ、公用人に任ぜられると、幕府や諸藩の名士と交わる機会が増え活動範囲が広がったが、「禁門の変」での負傷がもとで眼病を患い、失明同然の状態に陥った。

そのため1868年の「鳥羽・伏見の戦い」で「薩摩藩」に捕われ、同藩の「二本松邸(現在の同志社大学今出川キャンパス)」に収監されるが、「薩摩藩」内でも「覚馬」の優秀さが知られていたことから、粗末には扱われなかった。

この幽閉中に「覚馬」は建白書「管」を口述筆記し、薩摩藩主「島津忠義」に上程、これを読んだ薩摩藩政の「小松帯刀」「西郷隆盛」らは、ますます敬服し、待遇を良くしたという。

釈放後も「覚馬」はそのまま京都に残り、京都府顧問・府議会議員(初代議長)として、初期の京都府政を指導した。

出典:NHK

また「八重」を京都に迎え、同志社英学校(現:同志社大学)の創立者「新島襄」の協力者として、「八重」を嫁がせ、所有していた土地を譲った人物としても知られている。

その敷地が、失明する元となった京都御所の「蛤御門」のすぐ近くにあり、かつて自らが収監されていた薩摩藩「二本松邸」というのは、なんともいえない因縁だ。

そして、それから約100年後に筆者はここに通い、またそれから50年が過ぎようとする今、この話を書いている…

会津の「八重の桜」ゆかりの地

さて。

『会津の「八重の桜」ゆかりの地』は、大きく分けると2つある。

ひとつは『ドラマに描かれた史実に基づく場所』、すなわち「鶴ヶ城」や「藩校・日新館」、また「飯盛山」などになる。

そしてもうひとつは、『大河ドラマ「八重の桜」のゆかりの地』だ。

原作や史実には直接関係しないにもかかわらず、大河ドラマには見た人に強い印象を与える場所や、放送終了後に新たに名所ができたりする。

「八重の桜」では、ドラマのオープニング映像に使われたこの「石部桜」がそれだ。

石部桜

自分ももう一度観たいと思い、ネット上を頑張って探した結果、余計なテキストがいっしょに流れるものの、「ニコニコ動画」で見つかった。

「坂本龍一」が手掛けた、重厚で古き良き日本を端々に感じさせるテーマ曲に乗って散りゆく桜の美しさに、「どこなんだ、ここは!」と思った人も多かったと聞く。

石部桜

「石部桜」は、鎌倉時代の会津の領主「葦名氏」の重臣、「石部治部大輔(いしべ じぶだゆう)」邸の庭にあったと伝わる、樹齢約650年のエドヒガンで、10本の幹からなり、枝張はいちばん広いところで約20メートルにもなる見事な一本桜だった。

まちの駅飯盛山

ただし近くに駐車場はなく、「飯盛山」近くの観光案内所に隣接する無料の「市営飯盛山駐車場」にクルマを停め、1キロほど歩いて見に行く必要がある。

マップをグーグルナビに切り替える方法
スマートフォンでご覧の方は、「拡大地図を表示」をタップし、画面が切り替わったら下の「ナビ開始」をタップするとナビゲーションが始まります。 高速道路か国道にするかを選びたい場合は、「ナビ開始」ボタンの左にある「経路」をタップすると表示されます。

このGoogleマップは「市営飯盛山駐車場」だが、観光案内所に「石部桜」までの紙の地図が置いてあるので、行かれる方はもらっていくといいだろう。

実は、この話には失敗談がある。

三春の滝桜

「八重の桜」の放送を翌年に控えた2012年、そのオープニング映像に使われる桜の木は、この「三春の滝桜」という情報が流れ、筆者はそれを信じて撮影に出向いた。

しかしドラマが始まると、それが別の桜の木であることが判明する。

確かに会津の話にしては、三春はちょっと遠すぎると思った…

ただ枝ぶりは「三春の滝桜」のほうがだいぶよかったけどね。

筆者がリベンジできたのは2021年。

10年も経ってからのことだったが、それでもまだ「石部桜」を見に来る人の姿は絶えなかった。

余談になるが、テレビの余韻はすごいもので、「松平容保」を演じた「綾野剛」が出演した、ダイハツタントの2013年のCMで、話題になった島根県の「ベタ踏み坂」は、20年経った今でも、休日に通れば誰かが撮影している(笑)。

すなわち飽きているのはマスコミだけで、旅行者というのはそういうものだ。

合わせてもうひとつ挙げるとしたら、「鶴ヶ城」にドラマ放送後に立てられた、「八重之像」も『大河ドラマ「八重の桜」のゆかりの地』に該当する。

八重之像

こちらについては、「鶴ヶ城」の詳細記事の中で触れている。

山本覚馬・新島八重 生誕の地

「会津藩砲術師範」だった「山本兄弟」の生誕地が、きちんと整備されてわかるように残されている。

碑は現在、米代二丁目にあるが、実際の生家は、そこから西へ50メートルほど歩いたところに位置していたようだ。

マップをグーグルナビに切り替える方法
スマートフォンでご覧の方は、「拡大地図を表示」をタップし、画面が切り替わったら下の「ナビ開始」をタップするとナビゲーションが始まります。 高速道路か国道にするかを選びたい場合は、「ナビ開始」ボタンの左にある「経路」をタップすると表示されます。

ちなみにウィキペディアには、「山本家」は戦国時代の「武田信玄」の軍師「山本勘助」を先祖に持ち、「保科正之」が「会津」に入った時に、「高遠」から「正之」に追従してきたと記されている。

事実は不明のようだが、確かに「保科正之」の家臣には、「高遠」城主だった時代からついてきている者も多く、家業が軍事関連というのも一致する。

もし本当なら、おもしろすぎというか、大河ドラマ的には出来過ぎだ!(笑)。

鶴ヶ城

鶴ヶ城

ここは「八重の桜」のゆかりの地というより、今でも会津のシンボルと呼ぶべき観光スポットなので、驚くほど詳しい紹介記事を別途用意している。

藩校・日新館

日新館

筆者はこの「藩校・日新館」が、もっとも『「八重の桜」のゆかりの地』と呼ぶにふさわしい場所だと思っている。

会津若松 日新館

というのはここに、『なぜ幕府が「会津藩」を最後の頼みの綱にしたのか』、そして『「会津藩」が火中の栗と分かっていながら、なぜ「京都守護職」を引き受けることになったのか』、さらには『なぜ江戸城無血開城後も、新政府は「会津藩」を許さなかったのか』という、ドラマのストーリーを超えて、幕末の日本の謎を解き明かす理由が秘められているからだ。

それは筆者が説明するより、公式サイトをご覧いただくほうがよくわかる。

飯盛山(白虎隊十九士の墓)

白虎隊の墓

「戊辰戦争」中に起きた「白虎隊」の悲劇は、「ドラマ」では25話で詳しく取り上げられており、舞台となった「飯盛山」も、『「八重の桜」ゆかりの地』といっていい場所だろう。

出典:NHK

「藩校・日新館」で鍛錬を積んだ、武家の男子で編成された「白虎隊」は、1868年(慶応4年)の「鳥羽伏見の戦い」の後に、「会津藩」が軍制をフランス式に改革したことで誕生した4部隊のひとつで、年齢別に編成されていた。

「八重の桜」では、「山本家」の隣人で、幼い時から「八重」に砲術の指南を受けていた、「伊東悌次郎」にスポットを当てることで強いインパクトを演出している。

腕に覚えがある「伊東悌次郎」は、15歳のため白虎隊に編入されないはずだったが、年齢を偽って入隊し、「八重」の教えを思い出して仲間を励まそうとしたが、間に合わず自決を急ぐ仲間とともに命を絶ってしまう。

 

飯盛山 さざえ堂

なお「飯盛山」には、他にも「旧滝沢本陣」や「さざえ堂」などの見どころが揃っているので、行けばそれなりに楽しめる。

クルマは「石部桜」で紹介した、「市営飯盛山駐車場」に停めるといい。

「八重の桜」ゆかりの地
京都

旧新島邸

前述した通り、「八重の桜」は会津藩9代藩主「松平容保」が「京都守護職」を受諾したした時から京都との関わりが始まり、明治維新後はその「京都」がドラマの舞台になっている。

そのため当サイトでも京都については、「会津」と同じように詳しい紹介ページを用意している。

筆者は同志社OBなので、あまり知られていない場所にまで足を運んでいるので、コアな人には参考になるかも…(笑)。

新島襄 墓所

写真の左手前の小さな墓石に、「新島八重」と書かれている。

「八重の桜」ゆかりの地
出石(川崎尚之助墓所)

川崎尚之助

出典:NHK

「山本八重」は「新島襄」の妻で有名だが、それは明治になって再婚してからの話で、彼女の最初の夫はこの「長谷川博己」が演じた、兵庫県出石出身の「川崎尚之助」だ。

「山本覚馬」と親交が深かった「川崎尚之助」は、29歳の時に21歳の「八重」と結婚するが、戊辰戦争直後の戦犯処分時に離れ離れになった。

「尚之助」は藩士として斗南に移住し、仲間たちの飢えをしのぐ手段として、米の調達のために先物取引に手を染めるが、協力者の背信行為や手形の不首尾などで行き詰まり、東京で裁判を受けることになる。

しかし「斗南藩」は無関係として、一身にその罪を背負わされ、最後は裁判の最中に発症した慢性肺炎により、享年40歳で不遇の生涯を閉じた。

その後は、歴史の藻屑として表に出ることはなかったが、「八重の桜」の放映が決まり、「川崎尚之助」の詳細調査が行われたことで、故郷の出石に墓石があったことが判明する。

詳細は以下の記事にまとめているが、これもまた大河ドラマの副産物だ。

たださすがの筆者もわざわざそれを知って、「出石」まで足を運んだわけではなく(笑)、「出石そば」の取材に行った時に、たまたま観光案内所かどこかで情報を得て、そのついでに冥福を祈ってきた。

「八重の桜」ゆかりの地
青森(斗南藩記念観光村)

道の駅みさわ

「斗南藩」は、戊辰戦争に敗れて23万石の領地を没収された「会津藩」が、1869年(明治2年)11月に、青森県下北半島の一画に、わずか3万石で再興を許されるかたちで誕生したが、移住した旧会津藩士は、寒冷地の過酷な自然条件の中で、苦しい生活を強いられていた。

しかし1871年(明治4年)7月の廃藩置県で斗南県となり、さらに9月に青森県に編入されたため、わずか2年足らずで消滅。

藩士たちの多くは故郷の会津に戻り、日本史からは『忘れ去られたも同然の存在』となっていた。

実はこれもまた、「航空自衛隊 三沢基地」の取材時に「道の駅 みさわ」に立ち寄ったことで分かった話。

「八重の桜」を見ていなければ、ここが「斗南藩」の跡地であることなど、知るよしもなかっただろう。

これで少しは、筆者が「大河ドラマ」を高く評価している理由が伝われば幸いだ。

もちろん同じような経験は、ほかの「大河ドラマ」でも重ねている。

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