歴史が好きで経験豊かな「車中泊旅行家」が、奈良県にある続日本100名城で「豊臣秀長」にゆかりの深い、「(大和)郡山城」の見どころと駐車場・車中泊事情を紹介しています。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド
この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づきまとめた、『一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台』をクルマで旅するためのガイドです。

~ここから本編が始まります。~
「郡山城跡」は、大河ドラマ「豊臣兄弟」で脚光を浴びた、奈良観光時に立ち寄りやすい国の史跡

郡山城跡 DATA
史跡郡山城跡
〒639-1011
奈良県大和郡山市城内町
現地電話なし
問い合わせ先
☎0743-52-2010(大和郡山市観光協会)
入場無料
天守台開放時間
4月~9月:7時~19時
10月~3月:7時~17時
無料駐車場あり
「郡山城跡」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2012.05.19
2026.03.01
「郡山城跡」での現地調査は2026年3月が最新です。
郡山城跡

郡山城跡は奈良のどのあたりにある?

まずは「郡山城跡」が、奈良のどのあたりにあるのかという話から始めよう。
「郡山城跡」は、高速道路だと西名阪自動車道の「郡山インター」から、北へ約6キロ・15分ほどのところにあり、吹田からでも1時間まではかからない。

世界遺産の「法隆寺」や「東大寺」に近く、車中泊に適した道の駅がそばにあって、和歌山・三重方面へのアクセスにも優れているという、旅行者にはこのうえなく素晴らしいロケーションに位置している。
とはいえ…
「郡山城」は、これまではどちらかといえばマニアックな部類の城だった。

出典:なら旅ネット
「史跡」というより、今は「桜の名所」として地元市民から親しまれている「郡山城」は、もともと天下人となった「豊臣秀吉」の弟「秀長」が、自らの居城にすべく築城した総構えの本格的な城郭で、「続日本100名城」に選ばれている。

その「豊臣秀長」が、2026年放送の大河ドラマ、「豊臣兄弟」の主人公として取り上げられたことから、「郡山城」はにわかに脚光を浴び、春先からはテレビでもたびたび紹介されている。
3月には近くに大河ドラマ館がオープンしており、今後はより多くの観光客が足を運ぶと予想されることから、マイカーで訪ねたい人に役立つ情報を、いち早くお届けすべく、この記事を作成することにした。
郡山城の歴史

「郡山城」の歴史は比較的浅く、「織田信長」が在名中の戦国時代から始まる。
この時代の奈良は、当時畿内を実効支配し、”最初の天下人”とも呼ばれた「三好長慶(みよし ながよし)」の右腕であった、「松永久秀」が治めていた。

出典:NHK
「主君殺し」「将軍殺し」「東大寺大仏殿焼き討ち」の”黒幕”とも噂される「松永久秀」は、極悪非道ながら茶の湯を嗜む文化人でもあり、2020年放送の大河ドラマ「麒麟がくる」では、濃い目のキャラでお馴染みの「吉田剛太郎」が演じ、主役の「明智光秀」を要所で助ける、”ちょっといい役柄”として登場していた。

出典:NHK
その「松永久秀」に徹底抗戦していたのが、もともと「大和興福寺」の衆徒だった地元の戦国武将「筒井重慶」だ。
「順慶」は「明智光秀」のはからいで「信長」の支援を得て、反旗を翻した「松永久秀」を「信貴山(しぎさん)城」へと追い詰め、自害へと導いた人物で、この時は「笑福亭鶴瓶」の息子の「駿河太郎」が演じている。
2026年放送のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟」では、「麒麟がくる」以上に「郡山城」についても詳しく触れられると思う。
ちなみに、「豊臣兄弟」で「松永久秀」役を演じるのは、すでにキャストとして発表されている「竹中直人」。
キャラでは、「吉田剛太郎」以上に”はまり役”とも思えるが、周りはかなり大変かもしれない(笑)。
なお「筒井順慶」については、2026年3月4日時点では発表されていなかった。
さて。
「松永久秀」から「大和」の地を奪還した「筒井重慶」は、1580年(天正8年)に「郡山城」を築く。
しかし1582年に「本能寺の変」が勃発。

その直後に「重慶」は「光秀」から援軍を求められたが動かず、「山崎の合戦」の動向を静観し、「光秀」が敗死すると、直ちに「羽柴秀吉」に恭順の意を示して、所領を安堵された。
だが、それからわずか2年後の1584年(天正12年)に、36歳の若さで病死する。
「重慶」の死後、「大和」では「筒井氏」の内紛や管理不足が懸念されたため、「秀吉」は翌年に「筒井家」を「伊賀上野」に20万石で転封し、足元の畿内を固めるべく、弟の「羽柴秀長」を「大和・紀伊・和泉」の合わせて100万石以上を領する大大名として、この地に送り込んだ。

出典:奈良新聞
新たな領主となった「秀長」は、大規模な拡張・改修を行って「郡山城」を近世城郭に仕立てているが、その背景には大和支配の安定化、西国経営の拠点整備、豊臣政権の権威誇示といった目的があったとされる。
このあたりの詳しい解説なしに、「郡山城址」まで出かけたところで、
眺めのいい、大きな城だったんだな~
石垣に地蔵まで使うなんて、罰が当たるで。
くらいの感想しか得られない(笑)。
天守台の展望施設からは奈良盆地が一望できる。
転用石(さかさ地蔵): 石垣の修理に際し、石仏や墓石などが転用されており、天守台の石垣で「逆さ地蔵」を見ることができる。
みどころ:
追手門、追手向櫓、多聞櫓などが復元されている。
豊臣秀長の入城(1585年)で畿内統治の拠点として整備され、後に柳澤氏が城主となった平山城。
豊臣秀長と「豊臣兄弟」大河ドラマ館
郡山城跡の駐車場
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