25年のキャリアを誇る車中泊旅行家が、香川県の高松に隣接する「屋島」の見どころと車中泊事情を紹介しています。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊旅行ガイド
この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づき、全国各地の「クルマ旅にお勧めしたい観光地」を、「車中泊旅行者目線」からご紹介しています。

~ここから本編が始まります。~
現在の「屋島」は、徒歩で山上にある展望台をめぐる観光地。クルマがある人は、周辺の見どころにもご注目。

「屋島」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2012.11.22
2025.02.08
「鳴門」での現地調査は2025年2月が最新です。
屋島の見どころと駐車場・車中泊事情
屋島のロケーションと歴史

「屋島 観光」、あるいは「屋島 見どころ」とネットで検索すると、たいていはこういう画像が表示され、『屋島が眺めのいい高台であること』がよく分かる。
だが、肝心の「屋島」の姿は、なかなか出てこない(笑)。

「小豆島」行きのフェリーが発着する、「サンポート高松」からその全容がよく見える「屋島」は、「メサ」と呼ばれる水平な硬岩層に覆われ、周囲を断崖で囲まれたテーブル状の高台で、大きな屋根のように見えることから、その名がついたといわれる国の天然記念物だ。

一番高いところは標高約300メートル、頂上部分は南北に約5キロ、東西に約2キロあり、山登りやハイキング、あるいは野鳥や植物が観察ができるアウトドアフィールドになっている。
考えてもみれば、それは当然。

「屋島」には、「空海」ゆかりの「四国八十八箇所霊場」の第84番札所にあたる「屋島寺」があり、平安時代には僧侶や修験者が修行に訪れ、今でも季節を問わず白装束の「お遍路さん」の姿が絶えない。

ちなみに「屋島寺」は、754年に唐の高僧「鑑真(がんじん)」が、「屋島」の北嶺に創建した律宗だが、815年に「空海」が現在の南嶺に移築し、真言宗に改宗したと云われる古刹だ。

しかし同時に「屋島」には、水族館やモダンな展望台もあり、若いカップルやファミリー層が訪れる、高松エリアのメジャーな観光地としても知られている。

出典:all YASHIMA
かつての「屋島」はその名の通り島だったが、江戸時代の新田開拓により、今は陸続きになっており、行きやすいこともその理由のひとつだろう。
屋島観光の秘訣

まずクルマで屋島を観光するには、無料の「屋島スカイウェイ」を走り、その終点にある「屋島山上観光駐車場」に駐車して、そこから先は基本的に「南稜」と呼ばれるエリアを歩いて周ることになる。
屋島山上観光駐車場
387台
普通車:1日1回 300円
大型車 :1日1回 1200円(積載物を含め長さ5.5mまたは幅2mを超える)
※24時以降は料金加算
6時30分~22時
出庫24時間可能
22時から6時30分は入庫不可
余談になるが、

「屋島」への観光道路は、かつては「屋島ドライブウェイ」と呼ばれる610円の有料道路だったが、2018年に無料化され、現在は「屋島スカイウェイ」に名称変更されている。

その「屋島スカイウェイ」の途中には、「源平屋島古戦場」が見える駐車帯があるので、空いていれば立ち寄るといい。

多少草木が邪魔ではあるものの、ここから見える景色は、山上の「談古嶺」から見られるものと基本的に変わらないので、源平合戦にさほど興味がなければ、歩かずに済むのでお勧めだ。
さて。

こちらが「屋島」の「南稜」マップだ。
「屋島寺」を除けば、基本は異なる展望台から四方の景色を眺めて進むことになる。

気になる所要時間は、遊歩道を歩いて周るだけなら1時間あれば足りそうだが、屋島寺を参拝し、各展望台で写真を撮って、2022年に誕生した屋島山上交流拠点施設「やしまーる」でゆっくりするなら、2~3時間はみておくほうがいいだろう。
ただここで、マップに書かれた見どころをすべて紹介していると長くなりすぎるので、屋島を本気で見て歩きたい人には、こちらのサイトが参考になる。
『本気で人に見どころを紹介するというのは、こういうこと』といういいお手本だ。
代わりに筆者は、ほかのサイトにはあまり書かれていない話と、周辺の場所を紹介したいと思う。
源平屋島合戦の経緯と逸話

正しくは「治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)」と呼ばれる「源平合戦」は、平安時代末期に絶大な権力を誇った「平氏」を打倒すべく、鎌倉で旗を上げた「源氏」との間で生じた、日本の武家の覇権をかけた戦いのこと。
「源平合戦」は、1180年から1185年にかけて日本各地で繰り広げられ、最後は山口県の「壇ノ浦」で「平氏」が滅亡した。

その戦いは2005年のNHK大河ドラマ「義経」、さらに最近では2022年の「鎌倉殿の十三人」で描かれたばかりなので、記憶に新しい人も多いと思う。

「源平合戦」は当初、「平氏」が圧倒的に有利だったが、「清盛」の死を境に形勢が変わり、1183年に現在の石川県と富山県の境にあたる「倶利伽羅峠の戦い」で、「木曽義仲」に大敗したことが引き金となり、平家一門は西国へと都落ちする。
しかし「平氏」は京を去る際に、「安徳天皇」とともに天皇家の宝物である「三種の神器」を奉じて逃れたため、「後白河法皇」は平氏追討の院宣を発布。

その結果「平氏」は1184年に、現在の兵庫県須磨区あたる「一之谷の戦い」で、今度は「源義経」に痛い大敗を喫してしまう。
この戦いで不運にも討ち取られたのが、まだ16歳だった「平清盛」の甥にあたる「平敦盛」だ。
ちなみに「敦盛」は後世に、
♪人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり♪
で知られる「幸若舞(こうわかまい)」の戯曲となり、それを好んで舞ったのが「織田信長」というのは有名な話。
ただ本能寺で自刃する前に舞ったというのは、さすがに史実ではなかろう(笑)。
さて。
さらに西に逃げ落ちた「平氏」は、再起をかけて讃岐の「屋島」に拠点を構え、日宋貿易の拠点となっていた瀬戸内海で体制を整え直し、盛り返しを図ろうとしていた。
いっぽう「義経」は「一ノ谷の戦い」の後、一時京の護衛に任命されていたが、「源氏」の苦境を知ると西国へ出立する。
摂津水軍、熊野水軍、伊予水軍を次々と味方に引き入れ、諸将が出立を見合わせる暴風雨の中、船頭を脅して少数精鋭での出陣を強行すると、「平氏」の意表をついて陸から奇襲攻撃を仕掛けた。
当時の屋島は、その名のとおり”島”だったが、干潮時には馬でも攻め入ることができるほどの浅瀬になることを「義経」は知っていた。
始めは慌てた平氏軍も、源氏側の兵力が少ないことに気づくと、船を戻して大量の弓兵で応戦。「義経」は窮地に陥るが、家臣に助けられ一命を取り留めた。
その後、戦いは膠着状態となり、両軍に疲労が見えたため一時休戦となる。

この時に生まれた逸話が、「平家物語」の第十一巻に残る『那須与一の扇の的』だ。
話を簡単にまとめると、
休戦中、「平氏軍」の船中から女性が現れ、竿の先に括り付けた扇を射てと「源氏」を挑発してきた。
これを無視するのは「源氏」の名折れと、「義経」は現地にいた家臣の中で随一の弓の名手とされる「那須与一」に、扇の的を射るように命じる。
「与一」は失敗すれば自害を覚悟したうえで、武家の神、地元と日本の神仏に祈りを捧げ、見事に扇の的を射落とした。
その腕前に平氏も感嘆し、舞を踊りはじめる者もいたが、「与一」は「義経」の命を受け、舞い始めた平氏軍を射殺。
それが合図となって、合戦が再開された。
なお、『那須与一の扇の的』の詳しい内容は、こちらのサイトで確認できる。
最終的に「屋島の合戦」は、「梶原景時」の加勢を得た「源氏」が勝利し、「平氏」は屋島から九州へ逃げ延びようとしたが、思惑通りに行かず、関門海峡の「壇ノ浦」の最終決戦に敗れ、海の藻屑と消えた。
ちなみにこの時、三種の神器のひとつである「草薙の剣」も海の底に沈んでしまい、見つからないままと云われている。
だが、熱田神宮には『それがあることになっている』(笑)。
最後に、
「壇ノ浦」という地名は屋島にもある。

源平合戦の主戦場となった『屋島の檀ノ浦』は、屋島山上の「談古嶺」展望台から一望でき、『那須与一の扇の的』の舞台がどのあたりかも分かっている。
屋島周辺の見どころ

さて。
なんだかんだ云っても「屋島」は”孤島”だ。
つまりクルマがない旅行者は、簡単にはそこから出られないわけで、ゆえに不必要なまでに島内の事細かな観光情報がネット上には出回っている。
しかし車中泊の旅人は、それにとらわれる必要はないと思う。
「屋島」の周囲に目を向けると、あまり知られていないが有名な場所が隠れている。
隣は映画「世界の中心で、愛をさけぶ」のロケ地 庵治(あじ)町

2004年に公開され、観客動員数は約620万人、「セカチュー」という言葉とともに社会現象にもなった話題の映画は、「屋島」の東にある「庵治町」が舞台だ。

「屋島」から見るとこのあたり。
遠そうに思えるが、「屋島山上観光駐車場」からは約11キロ、クルマなら20分ほどで到着できる。

筆者は「屋島」から見たその位置関係が知りたくて、いろいろサイトを探したが、見当たらなかったので自ら作成したのだが、こういうことが分かると、映画を見たことがある人は、『どれ、ひとつ行ってみようか』という気にもなる(笑)。

映画「世界の中心で、愛をさけぶ」の原作は、「片山恭一」が書いた300万部超の発行部数を誇る大ベストセラーで、主演は「大沢たかお」と「柴咲コウ」、そして「長澤まさみ」と「森山未來」の出世作としても知られる。
ちなみに「平井堅」が歌った主題歌の「瞳をとじて」は、累計3000万枚を記録している名曲だ。

今は「Amazonプライム」に加入すれば、スマホかタブレットで、どこにいてもその映画が観られる時代。
つまり、たまたま当日にそのことを知ったとしても、2時間もあればどこがロケ地なのかを詳しく知ることができる。
それを考えると、旬がとっくに過ぎているからといって、ヒットした映画やドラマのロケ地を疎かにするのは”大の愚策”で、庵治町はそのことをよく心得ている。
「北の国から」に比べれば、「セカチュー」なんてまだ新しい部類だ(笑)。

ということで、
映画をご覧になられた方のために、そのロケ地を詳しくガイドしている記事を紹介しておこう。
讃岐が生んだ、江戸時代のマルチクリエイター「平賀源内記念館」

香川県の「屋島」にほど近い「志度」は、エレキテルでお馴染みの「平賀源内」の故郷で、そこには写真の「平賀源内記念館」が建てられている。

出典:NHK
「源内」は少年時代から本草学と儒学に興味を抱き、その勉学に励んでいたが、父の仕事を引き継いで高松藩の蔵番となる。

出典:NHK
高松藩では同じく本草学・物産学を好み、後に”高松藩中興の祖”と呼ばれる第5代藩主「松平頼恭(よりたか)」の重用を受けて長崎に遊学するなど、そのもとで頭角を現し、本草学者としての名声を高めた。
その後「源内」は職を辞して高松藩を去り、江戸で才能を開花させるのだが、今ひとつ運に恵まれず、波乱万丈の人生を送ることになる。
画像はNHKの歴史番組「英雄たちの選択」の放送から転用しているが、「平賀源内」は番組に出演していた各方面の識者からの評価も高く、番組ではマルチ・クリエイターと呼ばれていた。

出典:NHK
折しも2025年は、大河ドラマ「べらぼう」に登場したことで、再びその業績が脚光を浴びているようだ。
「平賀源内」自身の詳しい話は、「平賀源内記念館」の記事に詳しくまとめている。
特に高松城にも足を運ばれる方は、時間があればぜひ。
屋島の車中泊事情

「高松城」からほど近い「屋島」の車中泊事情は、高松周辺のそれと変わらない。
普通に考えれば、「屋島寺」から約10キロ・20分足らずのところにある「道の駅 源平の里むれ」がいちばんの候補地に挙がるだろう。
なお夜景が撮りたければ、前述した「屋島山上観光駐車場」でも車中泊は可能だろうが、利便性は悪くお勧めとは思わない。

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