歴史が好きで経験豊かな「車中泊旅行家」が、滋賀県にある「彦根城」のトリビアと見どころ及び、駐車場・車中泊事情を紹介しています。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド
この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づきまとめた、『一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台』をクルマで旅するためのガイドです。
~ここから本編が始まります。~
「関ヶ原の合戦」後に建てられた彦根城は、かつての「石田三成」の領地にある。

彦根城 DATA
彦根城
〒522-0061
滋賀県彦根市金亀町1-1
☎0749-22-2742
大人1000円
※彦根城博物館とのセット券1500円
8時30分~17時(受付最終16時30分)
無休
「彦根城」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2010.11.19
2017.04.12
2019.01.19
2022.11.06
「彦根城」での現地調査は2022年11月が最終で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2026年3月に更新しています。
彦根城

彦根城 築城のあらまし

琵琶湖の東岸には、「秀吉」が築城した「長浜城」と、その後に「信長」が築いた「安土城」があるので、「彦根城」も同じ戦国時代につくられた城と思われがちだが、それは違う。

「彦根城」は、「秀吉」亡き後の「豊臣家」を守るべく、「家康」に真っ向勝負を挑み、「関ヶ原」で敗れて散った、あの「石田三成」のかつての領地に、江戸幕府の誕生と同時に着工されている。

「彦根藩」となった「近江国」の新たな領主は、「関ヶ原の合戦」の恩賞として、「上野国(現在の群馬県)」から18万石で移封されてきた、徳川四天王のひとりで、戦国最強と謳われた武田軍の遺臣とともに、そのトレードマークの”赤備え”を継承した闘将「井伊直政」だ。

「直政」は当初、「三成」の居城であった「佐和山城」に入城したが、「家康」の命で、大阪の豊臣勢力や西国の大名たちを監視・抑制するため、「佐和山城」から近い「彦根山(亀山)」に、当たな居城づくりを計画する。
また「直政」自身も、「三成」ゆかりの城が嫌だったようで、移転を希望していたと云われているが、「関ヶ原の合戦」で負った傷が原因で、1602年に死去してしまう。
「井伊家」は、「直政」の家督を継いだ「直継(なおかつ)」が幼少であったため、家老の「木俣守勝」が亡き主君の遺志を継いで「家康」の指示を仰ぎ、1604年に「彦根城」の築城が開始された。

「天下普請」とされたその築城は、徳川親藩の「尾張藩」や「越前藩」など、7か国12大名に手伝いを命じた突貫工事で、石垣の石材はもちろん、天守や櫓も、近郊にあった「佐和山城」「長浜城」「大津城」「安土城」などから転用され、1606年にとりあえずの完成を果たしている。
その後1616年から「彦根藩」のみによる増築が始まり、すべての工事が完了したのは、着工から20年の歳月が流れた、1622年だったという。
井伊家の系譜

実はこの間に、「大坂冬の陣」で兄「直継」に代わって出陣した「直孝」が家督を継ぎ、続く「夏の陣」でも大功をあげて、「直政」に劣らぬ武将として名を挙げる。
その後「直孝」は、「秀忠・家光・家綱」の三代にわたる将軍の執政として幕府に貢献し、彦根藩はその恩賞として3度加増され、30万石の大大名となった。

出典:NHK
ちなみに「井伊直政」は、2017年に放送された大河ドラマ「おんな城主直虎」で「菅田将暉」が演じていたので、そう云われた方がピンと来る人も多いのでは(笑)。

このドラマを見ていた人はご存知の通り、「井伊家」の先祖は「遠江国(今の静岡県浜松市あたり)の国人領主で、「今川氏」の支配下で内紛により滅亡の危機に陥る。
そのピンチに立ち上がったのが、女領主「井伊直虎」だ。
彼女は尽力して細々とお家を支えながら、幼少の「直政」を育て、やがて「家康」に奉公に出した「直政」の大活躍で、「井伊家」は念願の再興を果たすことになる。
その一連を完結にまとめた動画のページがこちらで、とてもわかりやすい。
さらに「井伊家」の子孫たちは、その後も幕府の政権に参画していく。
その中でもっとも有名なのが、後述する15代藩主で、幕末に大老となって日本を開国に導く「井伊直弼(なおすけ)」だ。
いずれにしても、
一度滅亡しかけた家系ゆえの逞しさが「井伊家」、しいては「彦根藩」「彦根城」の強みであることを、最初に知っておいて損はないと思う。
彦根城最大の魅力は「城郭」

「彦根城」に限らず、
ややもすると「お城」の紹介は、天守や櫓、さらには門といった場内の建造物の話に終始しがちだが、とりわけ「彦根城」は、少し離れて見るほうがその”値打ち”がよく分かる。
まだ戦の余韻が残る江戸時代の初期に築かれ、明治の廃城令と太平洋戦争の戦禍を奇跡的に免れた「彦根城」は、『完成形の城郭』を現代に伝える希少な史跡だ。
「城郭」とは、敵の攻撃を防ぐために築かれた、堀、土塁、石垣、櫓、塀、天守などで構成される「城全体」の防御施設を意味している。

山全体を利用した連郭式の縄張り、曲輪(くるわ)を段階的に配置し、敵が簡単に本丸へ進めない構造、侵入者の突進を防ぐとともに攻撃しやすいよう、一本道ではなく通路を曲げて作られた「枡形虎口(ますがたこぐち)」など、「彦根城」には戦国時代の戦い方を踏まえた、防御重視の設計が徹底的に盛り込まれている。
彦根城のベスト見学ルート

専門用語が分からなくても、それはこのマップに★印をつけたところから中に進んでけば、おのずと気がつく。
実はこれこそが「彦根城」最大の魅力だ。

ということで、ここからは具体的な「彦根城」のベスト見学ルートを紹介しよう。
① 佐和口 (スタート)
最初の防御拠点となる長い「佐和口多聞櫓」を通過すると、「すでに監視されている」感覚になる。
② 馬屋
20頭以上が収容できる巨大施設は、戦争基地でもある証。
③ 表門跡
枡形虎口は防御の核心で、四角い空間に閉じ込められる構造で直進を阻む。
④ 約140段の石段
急なうえに不規則で登りにくい石段は、息も上がる。
⑤ 天秤櫓
大手門と表門からの道が合流する要の位置に築かれている。

大手門から敵が来れば、橋の左右に櫓があって挟み撃ちにできる構造で、裏側の橋を落とせば本丸には行けなくなる。

いっぽう表門から石段を登ってくると、「天秤櫓」の裏にある高い石垣に挟まれた「大堀切(おおほりきり)」に出るのだが、実はこの上の橋を渡らなければ、本丸へは侵入できない構造だ。
つまり表門を突破し、散々苦労した末に城内になだれ込んできたとしても、このそそり立つ「天秤櫓」の石垣を登らないかぎり先には進めず、ここで上から狙い撃ちに遭うという算段だから恐ろしい(笑)。
ちなみに井伊家の歴史書「井伊年譜」によれば、この櫓は「長浜城」の大手門を移築したものとされているが、それが「秀吉」築城当時のものという確証は得られていないようだ。

またこの時代の櫓(やぐら)は武器・食料の倉庫というより、防御や物見、あるいは攻撃のために建てられたもので、普段は家老の執務室を兼ねていた。
「彦根城」には、ほかにも「西の丸三重櫓」「太鼓門櫓」そして前述した「佐和口多聞櫓」があるが、いずれも外部からの移築と見られている。

⑦ 天守(ゴール)
中はハシゴに近い急階段。
ここには大きなリュックを背負って行かないほうがいい(笑)。

なんだかんだ云っても、やはり「彦根城」のハイライトは、「牛蒡(ごぼう)積み」と呼ばれる石垣の上に築かれたこの三重三階の天守だろう。
「京極高次」が城主を務めた「大津城」から移築されたものともいわれ、国宝に指定されている。
ちなみに「牛蒡積み」とは、野面積みの一種で、胴長な石の小さい面を前面に出し、長細い面を奥にする積み方。見た目は悪いが堅固な石垣になるという。

さらに天守には3種の「破風(はふ)様式」が取り入れられ、二重目以上の窓には曲線の美しい「華頭窓(かとうまど)」が使われている。
実は「彦根城」は、現存12天守の中で最多の破風を誇っており、華頭窓の数もいちばん多いそうだ。

最上階からは琵琶湖も見えるが、冒頭で記した、かつて「石田三成」の居城があった佐和山もよく見える。
幕末の大老「井伊直弼」ゆかりの地

さて。
「井伊」と聞けば、受験生なら間違いなく「直弼」と答えると思う(笑)。
「井伊直弼」は14男で、側室を母に持つため、藩主になるなど「あり得ないはず」の境遇だったが、「彦根藩」の継承者が次々と亡くなり、奇跡が起きる。
「彦根藩主」となった「直弼」は、培ってきた豊かな教養を発揮し、藩政改革を推進するが、それが中央の目に留まり、雄藩が台頭する中で衰えが顕著になった、江戸幕府の救世主として大老に抜擢された。

ここから先は、もうよくご存知だろう。
「直弼」は日本を戦争から守るための“非常手段”として、決断の遅い朝廷の許可を得ないまま「日米修好通商条約」に調印すると同時に、「安政の大獄」で攘夷派を粛清するが、江戸城の「桜田門外」で水戸藩の奇襲を受けて、この世を去る。

「彦根場内」の「玄宮園」横にある「楽々園」は、かつて「槻御殿(けやきごてん)」と呼ばれた藩主の屋敷で、「直弼」は誕生してから17歳になるまで、ここで過ごしたとされており、傍には「井伊直弼生誕地」の石碑が建つ。

ちなみに大河ドラマの第一作・「花の生涯」は、その「井伊直弼」が主人公だ。
城内には記念碑があるが、これこそ正真正銘のマニアックかも(笑)。
その他の彦根城の見どころ
「彦根城」にも、名城に付き物の「大名庭園」と「博物館」が揃っている。
玄宮園(げんきゅうえん)

万人にお勧めなのは、天守を借景に池泉回遊式の大名庭園が撮れる、フォトスポットの「玄宮園」だろう。
ここは「彦根城」の入場券があれば無料になるので、『行かないと損』になる。
彦根城博物館

「彦根城博物館」は「彦根藩」の本拠であった表御殿を復元した建物で、藩主の居間・茶室・庭園までを再現しており、『江戸時代のお殿様の生活空間』を垣間見ることができる。
いっぽう展示品では、井伊家所有の甲冑・刀・美術品などの“本物”が見られるのだが、こちらは歴史に興味ないとつまらないかもしれない。

ちなみにこちらの屏風絵は、敗れた西軍の「島津義弘」が、東軍の本陣を突破して敗走する有名な『島津の退き口』を、赤備えの「井伊軍」が追走するシーンを描いた「関ヶ原合戦図」で、井伊家筆頭家老「木俣家」の所有品。
この時に「井伊直政」は島津側の狙撃兵によって負傷し、それが原因で2年後に亡くなった。
なお行かれる際は、彦根城とのセット券1500円がお得になる。
彦根城の駐車場と城下町

出典:彦根観光ガイド
「彦根城」周辺の駐車場は充実しており、桜まつりやゴールデンウィークといったベストシーズンを除けば、近くにクルマを停めることはそう難しくない。

筆者のお勧めはマップの「京橋口駐車場」だが、残念ながらキャブコンのような車高の高いクルマは使えない。

普通車160台
24時間利用可・無休
1時間まで400円
1時間を超え4時間以内:30分毎に100円
4時間を超え24時間以内:1,000円
理由は、ここはその日の彦根城の混雑度を測るバロメーターになるからだ。
収容台数160台を誇る「京橋口駐車場」が満車で入庫待ちとなれば、マップに記したそれより近場の駐車場は、見に行くまでもなく満車と判断すべきで、あきらめてクルマを「彦根城」から少し離れた場所に停めに行くほうが、ロスは少なくなると思う。

キャブコンやバスコンが駐車できるのは、写真の「二の丸駐車場」と「大手前駐車場」」および「桜場駐車場」で、この3ヶ所も終日1000円で利用できる(大型車の料金は2000円)。
ただし、いずれも彦根城の敷地内にあるため、道は歩行者だらけで、一度並んでしまうと身動きができなくなる可能性が高い。
そのため、ここを狙うなら朝一番がいい。
各駐車場の詳細は以下のページで。
城下町 夢京橋キャッスルロード

筆者が「京橋口駐車場」を勧めるもうひとつの理由は、この「夢京橋キャッスルロード」に近いからだ。
いくら名城でも、ある程度の歴史知識がなければ、すぐに飽きて退屈になる。

ガイドにつけば話は別だが、自分たちだけでは「国宝」とか「重文」だけを観れば、もうそれで「十分」… 本音を云えば、「天守」と「ひこにやん」を見たら気が済む人も多いと思う(笑)。
であれば、「天守」から琵琶湖を眺めた後は、お城を出て食事処と土産屋が勢揃いする「夢京橋キャッスルロード」に繰り出すほうが楽しいに決まっている。

このあたりは中級以下の武士と商人・職人が暮らす、活気に満ちた城下町だったそうだが、逆にそれが災いして、長年彦根市の都市開発から取り残されてきた。
現在のような景観になったのは1999年以降。完成当時は店も人通りもまばらだったが、20年を経てみごとな観光ストリートに成長した。
長浜の「黒壁スクエア」に比べると、通りが広いうえに、電線も地下に埋められているため、スッキリしていて歩きやすい。

ランチがてらに繰り出してみては。
彦根城の車中泊事情

結論から云えば、『ここがいいよ』は見当たらない(笑)。
車高2.5メートル以下の車両なら、「京橋口駐車場」にトイレがあるので、物理的には車中泊も可能だが、24時間を超えれば駐車料金は1000円プラスアルファになるし、普段はあえて彦根城でそうする理由が思いつかない。
それにクルマを出せないので、疲れた足を温泉で癒すことができないデメリットのほうが大きいと思う。

道の駅は「彦根城」を挟んで南に「せせらぎの里こうら」、北には「近江母の郷」があるにはあるが、ともに適当な日帰り温泉が近くになく、彦根城の見学後、「極楽湯彦根店」に寄ってから向かうほうが良さそうだ。
ただ、いずれにしても時間が余りすぎるので、賢明な選択肢だとは思えない。

それより筆者のお勧めは、午前中に「彦根城」と「夢京橋キャッスルロード」をまわり、午後には長浜市内に移動し、「長浜城」と「黒壁スクエア」を観て、「道の駅 浅井三姉妹の郷」で泊まるプランだ。
この道の駅は、クルマで2.3分のところに日帰り施設の「あねがわ温泉」がある。
琵琶湖 車中泊旅行ガイド

旅行者のための「お城めぐり入門講座」
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