この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、原稿作成のためのメモ代わりに書き残してきた「忘備録」を、後日リライトしたものです。
高遠・松本・小諸・上田
上り線の諏訪湖SAで朝を迎えた筆者は、進行方向を変えるために諏訪ICで一度高速を降り、せっかくなので諏訪の桜の名所である高島公園に向かったのだが、桜の花は影も形もなかった(笑)。
諏訪湖は松本よりも南に位置しているが、盆地のせいか気温が低い。かつては厳冬期に全面結氷していたほどなので、それも仕方のない話なのだろう。
時間に余裕があれば、久しぶりに諏訪の温泉にでも立ち寄りたかったが、素晴らしい青空に恵まれたⅠ日を、気まぐれで粗末にしてはいられない。
そこで予定通り高遠を目指すことにする。
高遠は今回が4度目だが、筆者にとっては「思い出深い場所」のひとつだ。
2年前の春に信州車中泊コースガイドの取材で足を運んだ時は、なんと「雪」。しかも降ったどころではなく、御覧のように積雪した。困った挙句、1日空けて再訪し、何とか夜桜をモノにして事なきを終えている。
そして今回、鬼門の高遠はまたしても試練を。
今度はまったく桜が咲いてない!
高遠城址の桜の様子は、わざわざ駐車代を支払って現地に行かなくても、この「高遠 しんわの丘 ローズガーデン」にくればつかめる。
はてさて、これからどうするか…
桜の満開情報を確認できている上田城を目指ながら、とりあえず「松本城」に向かうことにした。
理由は、高速道路から北アルプスがきれいに見えていたからだ。
ウェブでも書籍でも「長野の桜の名所」に挙げられている松本城だが、意外にも桜の本数は少ない。
それより春の松本城は、雪をかぶった北アルプスの連山を背景にした信州らしい絵が撮れることに価値がある。
とりわけ素晴らしいのは、天守から見える西側の光景だ。
ただしこの写真は「天守の最上階」からは撮影できない。そのあたりの情報は、また後日「車中泊クルマ旅ガイド」で詳しく話そう。
ちなみにこの写真は、2015年の4月11日に撮影したもの。
桜は満開だが、この日は北アルプスが見えなかった。「足して2で割る」という表現は、まさにこういう時に使いたい(笑)。
松本からは国道ルートで小諸の懐古園に向かった。
上田城の晴れた満開の写真は既に持っているので、今回は夜桜からでいいと思ってそうしたのだが、懐古園もまだ桜は蕾のまま。
上田が満開で小諸が蕾というのは納得がいかないが、現実だからしかたがない。ただ、懐古園にきた理由はもうひとつあった。
ご承知の通り、筆者は大河ドラマのロケ地やゆかりの地を何年もかけて周っているのだが、懐古園にも風林火山の主人公・山本勘介ゆかりのものが残されていた。実は懐古園も3度目になるのだが、過去の訪問時にはその存在を見逃していたのだ。
懐古園については少しだけここで触れておこう。
懐古園こと小諸城は、武田信玄の時代に山本勘助によって現在の縄張りができ、豊臣秀吉の天下統一の際に城主となった仙石秀久により完成された。
城下町より低い位置に築かれた「穴城」は全国でも珍しく、「日本百名城」に数えられている。
ちなみに、皿そばで知られる「出石そば」は、小諸城主・仙石秀久が江戸時代に兵庫県の出石に転封された折に、連れてきたそば打ち職人によって伝えられたとされている。関西の人間にとって興味深いのはこちらの話かもしれない。
そして日没。
最後の最後に、上田城でピタリと作戦がはまった。そして道の駅で泊まり、一夜明けた早朝5時半。
よっしゃ!
まるで草刈雅夫が、六文銭ののぼりの横に顔を出しそうな絵が撮れた(笑)。
昨年放送された「真田丸」の記憶が冷めやらぬ上田城のお話は、次回の松代城と合わせて書こう。真田の歴史は、幸村が戦死し、松代に幸村の兄・信之が転封されてからのほうが圧倒的に長い。ちなみに信之は93歳まで生きている。
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