この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の中のひとつです。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
琵琶湖・湖北の「桜の名城」
大河ドラマを見ている人には、もう「お馴染み」といってもいいほどの登場回数を誇るのが、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が築城した最初のお城・長浜城だ。
2014年の「軍師官兵衛」で、息子の長政が人質として幼年時代をここで過ごしていたのは記憶に新しい。また2020年放送予定の明智光秀を主人公にした「麒麟がくる」にも、まず登場するのは間違いあるまい。
ただ、残念なことに現在の天守は、1983年に犬山城や伏見城をモデルに模擬復元されたもので、中は市立長浜城歴史博物館になっている。
周囲は豊公園として整備され、「日本さくら名所100選」のひとつに数えられている。700本近いソメイヨシノが長浜城を取り囲む春には、県外からも多くの観光客がやってくる。
駐車場は2ヶ所あり、いずれも3時間まで無料で24時間出入りができる。
トイレがあるのは豊公園駐車場だが、さすがに桜の季節は夜桜の見物客が多く、もし車中泊をするなら、騒々しいのは覚悟のうえでということになるだろう。
なお豊公園の一画には国民宿舎「豊公荘」があり、ここの温泉を日帰りで利用することができる。
長浜城の歴史
さて。せっかくなので、ここからは少し長浜城の歴史に触れよう。
長浜城は1573年(天正元年)に、秀吉が浅井長政攻めの功で、織田信長から浅井氏の旧領を拝領した際に、当時今浜(いまはま)と呼ばれていたこの地を、信長の名から一字をもらって長浜と改名した。
築城には小谷城で使われていた資材や、あらかじめ、竹生島に密かに隠されていた材木などを見つけ出し、それらを使用したという。
また当時の城は湖水に石垣を浸し、城内の水門から直に船の出入りができるようになっていたそうだ。
「本能寺の変」の後、いったん清洲会議で長浜の支配権を得た柴田勝家の領地となるが、その年の末には勝家と対立した秀吉に奪還され、甥で城主の柴田勝豊は城ごと降伏する。
1583年(天正11年)の賤ヶ岳の戦い後には、槍の名手で後に高知の城主となる山内一豊が入り、6年間在城する。
だが1586年1月18日(天正13年11月29日)の天正地震によって城は全壊、この時に一豊と千代の一人娘である与祢らが犠牲になった。
2006年に放送された大河ドラマ「功名が辻」ではその時代のことが描かれ、千代が持参金で立派な馬を買う話は有名なのだが、なぜか石碑は高知にある(笑)。
長浜城は大坂夏の陣後の1615年(元和元年)に廃城となったが、資材の大半は彦根城の築城に流用された。
有名な遺構としては、写真の天秤櫓(てんびんやぐら)が長浜城から移したものと伝えられている。
また長浜市内にある大通寺の台所門も、長浜城の大手門を移したものといわれ、本能寺の変の後、明智軍が長浜城を攻めた際の弾痕が門の扉に残っている。
また大通寺の本堂は、秀吉が隠居のために築城した木幡山伏見城の遺構とされている。
また、城下町は小谷城下からそのまま移され、現在でも当時の面影や名残が見受けられる。
主な見どころは大通寺に通じる通りで、長浜城外堀跡、北国街道、そして黒壁ガラス館などが集まる有名な「黒壁スクエア」ということになるだろう。
最後に。
JR長浜駅前には、地元出身で後に秀吉の懐刀として大成していく、「石田三成」との出会いのエピソード、「三献の茶」をイメージした銅像がある。
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