渋沢栄一生誕の地 血洗島【大河ドラマ「青天を衝け」ゆかりの地】 

中の家埼玉県の史跡
「正真正銘のプロ」がお届けする車中泊・歴史旅行ガイド
この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、日本全国で1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、「車中泊ならではの歴史旅」という観点から作成しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
車中泊クルマ旅で、日本の歴史舞台を訪ねてまわる
クルマ旅の専門家が、大河ドラマや映画に描かれた日本の歴史舞台を車中泊でめぐる旅をご紹介。
スポンサード・リンク

見どころは渋沢栄一が生まれた「中の家」と「尾高惇忠生家」、そして「渋沢栄一記念館」。

青天を衝け ドラマ館

写真の登場人物たちにスポットライトが当たる、大河ドラマ「青天を衝け」前半の舞台になった「血洗島」に、今も残るゆかりの地をご紹介。

渋沢栄一生誕の地 血洗島【目次】

血洗島って、現在のどこ?

まずは「渋沢栄一記念館」へ。

渋沢栄一の生家「中の家(なかんち)」

ドラマの転換期となる名シーンの舞台「尾高惇忠生家」

周辺の見どころと車中泊スポット

スポンサード・リンク

血洗島って、現在のどこ?

血洗島

もったいぶらずに結論から云うと、埼玉県の深谷市になる。

関東地方の地理に疎い人には、2020年7月に日本の気象観測史上、最高気温となる41.1℃を記録した、熊谷市の隣というほうが分かりやすいかもしれない。

ってことは、ここへは涼しい季節に足を運ぶほうがよさそうだ(笑)。

さて。いかにも生臭い「血洗島」の語源については、確かに合戦を由来とする説もあるようだが、筆者は渋沢栄一記念館で学芸員から聞いた、「度重なる利根川の氾濫のため地が荒れたとか、地を洗うように流れたから」という説に高い信憑性を感じた。

館内にあるジオラマを見ると、なるほど「血洗島」は利根南岸の氾濫原に位置している。

まずは「渋沢栄一記念館」へ。

渋沢栄一記念館

ということで逸る気持ちを押さえて、まずはその血洗島地区にある「渋沢栄一記念館」に足を運び、主人公に関する予習をされることをお勧めする。

それにしても、何たるデカさなんだ!

一個人の記念館としては、おそらく国内最高レベルと思われる館内には、渋沢栄一の遺墨や写真など展示のほかに、2020年に誕生した「渋沢栄一アンドロイド」による講義を聴くことができる。残念ながら展示は撮影禁止でお見せできない。

また講義は予約制なので、聞きたい人はあらかじめ詳細をウェブサイトか電話で確認しておくほうがいいだろう。残念ながら飛び込みで訪ねた筆者は、既に予約満席で受講することができなかった。

ただ、その代わりに超がつくほど熱心な学芸員さんの解説を1時間近く伺うことができ、大いに勉強になった。

せっかくなので、ちょっとだけネタバレを。

渋沢栄一

実は渋沢栄一は大久保利通とソリが合わず、新政府を抜けて民間の道に進むのだが、かたやでは西郷隆盛とよく気があったそうだ。

それはこのパネルのタイトルからも想像できる話だと思う。

出典:NHK

くしくも「青天を衝け」の第15話で、栄一と西郷さんが酒を酌み交わすシーンが登場したが、これはまさにその布石。

筆者は今後も2人が絡むシーンが何度もあると予想している。

それにしても、博多華丸が西郷さんとは!

「西郷どん」の鈴木亮平とのギャップがありすぎというか、斬新すぎる配役に最初はとまどったが、予想に反してけっこううまい。「あさイチ」でどんなコメントをするのか楽しみだ。

「大河ドラマゆかりの地をめぐる歴史旅」では、ゴリゴリの史実よりも、むしろこういう話のほうが楽しい。だって今の大河は「ホームドラマ」だから(笑)。

結果論だが、筆者はアンドロイドの講義会場から出てきた同年代の夫婦が、「話が難しすぎるわね、わたしたちには」と囁く声を聞いてしまった(苦笑)。

それは公式サイトを見れば察しがつく。たぶん観光客には話がかたすぎる。

血洗島

なおここには、血洗島のマップなどの資料も揃っているので、「中の家」や「尾高惇忠生家」に向かう前に手に入れよう。

地図を見ると両方とも近そうだが、「渋沢栄一記念館」をはさむように位置しているため、歩くとけっこう遠くなる。

いずれにも駐車場があると教えてもらった筆者は、両方ともクルマで訪ねたが、後述する通り「尾高惇忠生家」の駐車場は5台ほどしか停められないので、そちらだけは「渋沢栄一記念館」にクルマを置いたまま、徒歩で訪ねるほうが無難だと思う。

渋沢栄一記念館

ちなみに「渋沢栄一記念館」の駐車場は、「満車になることがあるの?」というほど広いうえに無料。「東京ガス」をつくっただけあって「さすがっす」ね!(笑)。

渋沢栄一記念館 オフィシャルサイト

グーグルナビに早変わり!
スマートフォンでご覧の方は、「拡大地図を表示」の文字をタップし、続けて画面下の経路をタップ、さらに画面上の「出発地を入力」の欄をタップして「現在地」を選択し、一番下の開始をタップすれば、画面がそのままグーグルナビに切り替わります。

渋沢栄一の生家「中の家(なかんち)」

中の家

門構えもさることながら、マジででけぇ~!

思わず栄一が故郷を捨てて、京へ従兄弟の喜作と旅立つ時に、父親役の小林薫が「持ってけ」と手渡した巾着袋に、「いったいナンボ入ってたんや?」と思い返してしまうほど(笑)、その生家からは豪商だった渋沢家の様子が伺える。

実は渋沢栄一の生誕地に建つ「中の家」は、栄一の妹夫妻によって明治28年上棟された建物で、純粋な生家ではないのだが、栄一が多忙な中で帰郷した際に滞在し、寝泊まりした場所とされている。

中の家

その広大な「中の家」の敷地内は、無料で自由に見学できるのだが、実は母屋は今、構造補強および改修工事の最中で、中を見ることができない。

正式な公開は、令和5年4月以降を予定しているとのことだが、もうその頃には、みんな熱が冷めてる(笑)。

だが、中の様子を知る「奥の手」がある。

青天を衝け ドラマ館

これは「晴天を衝け」の深谷ドラマ館内にある、「中の家」の再現セット。

青天を衝け ドラマ館

これまでの大河ドラマの「ドラマ館」は、ほとんど撮影禁止だったが、ここは撮影OK!と太っ腹。そりゃ、こういう記事を来場者が拡散してくれるほうが絶対にいい。

栄一の生家は、養蚕や藍玉づくりとその販売をしていた農家で、雑貨屋、質屋なども営んでいた。栄一はここで生まれ、満23歳まで暮らしたという。

青天を衝け 深谷大河ドラマ館

この展示以外にもドラマ館では、様々なメイキング映像が用意されており、俳優だけでなく、裏方にスポットを当てたドキュメントも見ることができる。

青天を衝け 深谷大河ドラマ館

筆者は49作目の「龍馬伝」以降、すべてのドラマ館に足を運んできたが、「晴天を衝け」の深谷ドラマ館は、際立ってデキがいい。ここは行く価値大ありだ。

渋沢栄一 晴天を衝け 深谷大河ドラマ館

会場:深谷生涯学習センター
入場料:おとな800円
開館時間:9時~17時(受付最終16時30分)
2021年2月16日~2022年1月10日

なお、深谷生涯学習センターは、この次に紹介する「尾高惇忠生家」から約4キロのところなので、そこを見てから行くほうがいい。

グーグルナビに早変わり!
スマートフォンでご覧の方は、「拡大地図を表示」の文字をタップし、続けて画面下の経路をタップ、さらに画面上の「出発地を入力」の欄をタップして「現在地」を選択し、一番下の開始をタップすれば、画面がそのままグーグルナビに切り替わります。

煮ぼうとう

さて。話が大きく逸れてしまったが、「中の家」の隣には、渋沢家の大番頭の住まいをリノベーションした、深谷の郷土料理「煮ぼうとう」が食べられる「麺屋忠兵」がある。

煮ぼうとう

「煮ぼうとう」の特徴は、2センチ以上あろうかという幅広の麺に、特産の深谷ねぎと、地元で収穫される根菜類をたっぷり使い、生麺の状態から煮込んでいるところだ。

ほうとう

「ほうとう」といえば、武田信玄の故郷・山梨の専売特許だが、そのカボチャが入った味噌仕立の「ほうとう」とは違い、「煮ぼうとう」は醤油がベースに使われている。

煮ぼうとう

晩年の渋沢栄一も好んで食べたそうで、命日にあたる11月11日には、今でも深谷市内の小中学校の給食に登場するという。

どのサイトにも版で押したように「やさしい味」と書かれた(笑)「煮ぼうとう」の感想は、関東にしては薄めの味付けで、確かに様々な野菜から煮出された「旨味」は感じられるものの、最後には飽きる。

注文するなら「とろろご飯セット」のほうがいいと思う。

なお店の奥の床の間には、88歳の渋沢栄一から寄贈されたという掛け軸がある。

天意重夕陽人間貴晩晴

中身を訳すと、「人の一生に、疎かにして良いという時はない。一分一秒といえども貴重な時間に相違ないが、その中でも人間は晩年が最も大切ではないかと思う」「若い時に欠点があった人でも、晩年が美しければその人の価値は上がるものである」という意味らしい。

中の家

中の家
開館時間: 午前9時~午後5時 (入場は午後4時30分まで)
休館日 :年末年始 (12月29日~1月3日)
入館料:無料
駐車場 有り (大型バス可)

スポンサード・リンク

ドラマの転換期となる名シーンの舞台「尾高惇忠生家」

尾高惇忠生家

ドラマで田辺誠一が演じている尾高惇忠(じゅんちゅう)は、渋沢栄一の従兄弟で、栄一や喜作に学問や剣術を教える兄貴のような存在だ。

早くから水戸学に傾倒し、栄一らに大きな影響を与えただけでなく、明治に入ってからも栄一を支え続ける。

ファンにとって感慨深いのは、ここが栄一たちが横浜焼き討ちの計画を練るも、最後に長七郎の言葉で断念する舞台であることだ。

出典:NHK

そのシーンがこちら。

尾高惇忠生家

でも見られるのはパネルだけ(笑)。まあ、それは致し方ない。だが、ここには「中の家」では見られない貴重な展示がある。

藍玉

渋沢栄一の父・渋沢市郎右衛門(ドラマでは小林 薫)は、「藍玉」づくりの名手と呼ばれた男で、この発酵させた藍の葉を乾燥させて固めた染料を作るだけでなく、製造直販体制を築いて財を成すことに成功した。

最盛期のその年商は、5億円近い数字だったとか。

もちろん栄一は父から多くのことを学び、血洗島でもその商才を発揮していくのだが、それが満開を迎えるのはもう少し先の話。

尾高惇忠生家

そしてそこにも、尾高惇忠が絡んでくる。

出典:NHK

最後に、忘れちゃいけない大事な話を。

栄一の妻となる千代(ドラマでは橋本 愛)は惇忠の妹。つまりここは妻の実家にあたる。

千代は栄一よりひとつ年下の幼馴染で、栄一と結婚してからは、多忙な栄一に代わって渋沢家を守り、内助の功を発揮する。

スポンサード・リンク

周辺の見どころと車中泊スポット

忍城

時間が余るようなら、近くの行田に「浮き城の町 行田」のキャッチフレーズのもととなった「忍城」がある。

「忍城」は一度も落城しなかった要害堅固な城として知られているが、とりわけ有名なのは石田三成の水攻めに耐えたことだ。

この話は映画「のぼうの城」で、多くの人の知るところとなった。

道の駅はなぞの

最後に、深谷にあるこの4つ「晴天を衝け」のゆかりの地を回るには、前か後に車中泊をいれるほうがゆとりが持てると思う。

近くには他にも「道の駅おかべ」「道の駅かわもと」「道の駅はなぞの」があるので、車中泊に苦労することはないが、冒頭で記したように、ここは暑いので6月初旬から9月いっぱいは、車中泊で行くのは勧めない。

タイトルとURLをコピーしました