軍師官兵衛は有馬温泉で湯治をしなかったのか?
V6の岡田君の好演で、長らく楽しませてもらったNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」も、いよいよ明日と21日の最終回を残すのみとなった。
本来は14日が最終回の予定だったが、唐突な衆議院選挙の投開票日とぶつかり、どうやら放送が1週間伸びたようだ。
選挙と大河ドラマといえば、2010年の「龍馬伝」最終話のクライマックスシーンに、選挙速報が重なったあの「事件」を思い出す。速報の文字が邪魔で福山の表情が見えなかったと騒動になるのだから、やはり現代は平和だ(笑)。
さて今日は、有馬温泉と黒田官兵衛にちなんだ「こぼれ話」を紹介したい。
姫路城主の長男として生まれた官兵衛は、片岡鶴太郎が演じていた小寺政職(まさもと)に仕えており、小寺氏は当初、官兵衛の助言を入れて、織田方につこうとしていた。
しかし織田方の武将、荒木村重が信長を裏切ったことで、小寺氏は寝返り、織田びいきであった官兵衛を、荒木村重の手に委ねる。
だが、有馬温泉にある「太閤の湯殿館」の入浴者リストには、息子「長政」の名は記されているが、官兵衛の名はなかった。
あまりに多すぎて編集者の頭に官兵衛の名前が浮かばなかったのか、古文書にその名が見つからなかったのか… なんだか妙な興味が湧いてきた(笑)。
だが、官兵衛が有馬で湯治した事実を突き止めた男がいる。
司馬遼太郎は「播磨灘物語」の中でその一節を書いているのが、彼の作家ポリシーからしてそれが空想とは思えない。
また官兵衛が長政に病状を語った書状の中で、1週間で<湯へ十一度入り申し候、弥(いよいよ)快気に候>と温泉の効能を綴ったという別の話もある。
いずれにしても、小田原の北条氏を倒して天下統一を果たし、利休を呼び寄せ有馬で盛大に行ったという大茶会の「祝の席」に、最大の功労者である官兵衛がいなかったとは思えない。いくら三成が汚い奴でも(笑)。
まあそれにしても、「軍師官兵衛」の三成は気の毒なくらいの悪者扱いだった。その命運は明日で尽きてしまうのだろうか。