愛媛県の「今治城(日本100名城)」 概要・歴史・駐車場を詳しく解説

日本100名城 今治城

歴史が好きで経験豊かな「車中泊旅行家」が、藤堂高虎ゆかりの名城「今治城」の概要と歴史、及び駐車場を詳しく紹介しています。

「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド

巌流島
この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づきまとめた、『一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台』をクルマで旅するためのガイドです。

車中泊で史跡めぐり【クルマ旅のプロが解説】
車中泊旅行歴25年のクルマ旅専門家が、クルマで日本の歴史舞台を旅したい人に向けての情報を発信しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。


 

~ここから本編が始まります。~

今治城は、築城の名手「藤堂高虎」が編み出した、日本屈指の海城

今治城

今治城 DATA

今治城
〒794-0036
愛媛県今治市通町3-1-3
☎0898-31-9233(今治城管理事務所)

吹揚公園は、24時間・年中無休・無料で入園可能

入城料
おとな520円(65歳以上420円)
※天守閣・御金櫓・山里櫓・鉄御門・武具櫓の共通料金

入城時間
9時~17時(受付最終16時30分)
12月29日~12月31日 休業

第1駐車場(普通車専用)
56台 100円/1時間

「今治城」の筆者の歴訪記録

※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。

2012.11.23
2018.05.09
2022.04.28

「今治城」での現地調査は2022年4月が最終で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2025年1月に作成しています。

「今治城」の概要・歴史・駐車場

今治城

今治城のロケーション

今治城のおいたち

今治城の見どころ

今治城の駐車場&アクセスマップ

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今治城のロケーション

日本100名城に名を連ねる「今治城」は、「しまなみ海道」の四国側の出入口にあたる「今治北インターチェンジ」から、約5キロの海岸沿いに建っている。

瀬戸内海に張り出した「高縄半島」の先端近くにあるため、「松山自動車道」からのアクセスは悪く、観光目的で「今治城」を訪れるのなら、「しまなみ海道」の利用時が好ましいのはマップを見れば一目瞭然。

そのため見方によっては、『今治城は、しまなみ海道観光時の付録的存在』とも思えるが、そのおいたちを知れば、歴史好きでなくても、多少は目線が変わってくるかもしれない。

今治城のおいたち

藤堂高虎

「今治城」の初代城主は「藤堂高虎」。

「加藤清正」「黒田官兵衛」と並ぶ”築城の名手”と謳われ、生涯で携わった城の数は実に20を数えるという辣腕だ。

しかもその中には、「江戸城」「二条城」、さらには「徳川大阪城」など、江戸時代の錚々たる巨城が名を連ねる。

いっぽう四国とのゆかりも強く、「宇和島城」「大洲城」も「藤堂高虎」の手により築城されている。

ゆえに興味深いそのプロフィールについては、別途こちらの記事にまとめてある。

ここで少しネタバレしておくと、「藤堂高虎」の才能を見出したのは、「豊臣秀吉」の弟「豊臣秀長」だ。

「高虎」は「秀長」のもとで、「安土城」から始まり、「和歌山城」「大和郡山城」など、さまざまな城の築城にかかわる経験を積み、その腕を磨いていった。

そしてその「秀長」が、2026年放送予定の大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主役となることが決定した。

ということは… そりゃ「高虎」くんの出番も少なくはあるまい(笑)。

今治城

さて。

「今治城」を味わう最初のポイントは、なぜ「藤堂高虎」がこの立地を選んで築城したのか… すなわちその「おいたち」にあると筆者は思う。

宇和島城

豊臣時代の1600年(慶長5年)に、伊予国板島(現在の愛媛県宇和島市)に7万石を拝領した「藤堂高虎」は、同年10月に起きた「関ヶ原の戦い」で東軍に加勢し、その活躍により20万石の加増を受けて、現在の今治市内にあった「国分山城」に移り、初代「今治藩」の主となった。

ところが「国分山城」は、中世の山城で城下町の造営には適さなかった。

今治城

そのため「高虎」はそこを捨てて、海沿いの蒼社川(総社川)左岸にあたる現在の地を選び、2年後の1602年に近世城郭と城下町の建設に着手。

そして1604年に「今治城」の普請(土木工事)を完成させている。

今治城

ちなみに「今治城」は、砂が吹き揚げられてできた砂丘に築かれたため、「吹揚城(ふきあげじょう)」とも呼ばれた。

この時の城下町が今日の今治市街地のルーツになっているのだが、実は「今治城」の城内には、当時国内最大級といわれた船入(城の港)が完備していた。

今治城

つまり「高虎」の狙いは最初から海に乗り出すことで、特にかつて「村上水軍」が支配してきた、芸予諸島を中心とする瀬戸内の制海権を握ることにあった。

具体的には、交易路を支配して富を得る経済効果と、西国大名の交通路を押さえる軍事的効果の獲得が挙げられる。

今治城

築城当時の船入は現在の「今治港」に継承され、「今治」が海事都市として発展していく要因のひとつになった。

現在の「今治市」は、同じ東予地方の「西条市」「新居浜市」「四国中央市」と並ぶ工業地帯で、「今治市」に本社を置く「今治造船」は、造船業で日本一の規模を誇っている。

しまなみ海道

目的は変われど、400年以上前に「藤堂高虎」が残した遺産が、こうして今も今治の町に根付いているのだから、日本という国はおもしろい。

今治城

今でも海と繋がっている「今治城」のお掘りには、海の魚が泳いでいる。

過去にはサメが目撃されたという話もあり、真剣に探してみたが、この日は小さなフグしか見つからなかった(笑)。

今治城の見どころ

今治城

続いて、築城当時から残る「今治城」の見どころを紹介しよう。

大まかに云うと、同じ築城の名手でも、「加藤清正」の城が「戦のための城」であるのに対し、江戸時代以降も活躍した「藤堂高虎」の城は、城下町まで想定した「治めるための城」とされる。

ゆえに「高虎」の城はシンプルで、単純な縄張りなのが特徴だ。

層塔型天守

今治城 天守

そんな「今治城」で、もっとも注目すべきは「層塔型」と呼ばれる天守だろう。

今治城で「藤堂高虎」が確立したという「層塔型天守」は、柱の長さを規格化したシンプルな構造で、広い居住空間が確保できるだけでなく、木材が調達しやすいことから、工期も短縮することができた。

さらに「高虎」はそれを標準化して、のちの天守の基準とし、幕府開府後の「江戸城」や、大阪の陣のあとに再建された「徳川大阪城」の天守も、この層塔型で築き上げている。

ただし…

今治城

現在残る「今治城」の天守は、1980年(昭和55年)に再建された、5層6階の「模擬天守」だ。

1608年、「藤堂高虎」は伊賀一国と伊勢8郡に転封となるが、それに際し天守を解体して大阪まで運び、1610年(慶長15年)に天下普請の「丹波亀山城」に移築した。

亀山(現亀岡市)は近畿の枢要地で、「関ヶ原の戦い」以降も大坂城の「豊臣秀頼」に心を寄せる諸大名に備えて、要所を固めたい「家康」の意図を汲み取った「高虎」は、「伊賀上野城」に移築するつもりだった「今治城」の天守を、「亀山城」に譲ったという。

今治城

現在の「今治城」は、その「亀山城」の古写真や平面図をもとに、鉄筋コンクリートで再建されたもので、内部は「今治城」の歴史を史料やパネルなどで紹介するミュージアムになっている。

今治城

また最上階には展望台が設置され、瀬戸内海を一望することができる。

ちなみに、それまでの天守の主流は「望楼型」と呼ばれるものだった。

国宝 犬山城

国宝 犬山城

現存12天守の中では、丸岡城(福井県)・犬山城(愛知県)・彦根城(彦根城)・姫路城(兵庫県)・松江城(島根県)・高知城(高知県)の6天守が、「望楼型」に該当している。

犬走り

今治城 犬走り

「今治城」で見られる、もうひとつの「藤堂高虎」が編み出した城造りの技が、堀と石垣の間にある「犬走り」だ。

「犬が走れる程度の狭い空間」という意味からそう呼ばれ、敵に攻められた場合は、足場にされる欠点はあるのだが、「今治城」のような軟弱な地盤の上に、高石垣を伴う大城郭を構築する場合には、石垣の基礎部分を固めるために有効な土木技術上の工夫だったという。

「藤堂高虎」以降の今治城

津城趾

「今治城」は1608年頃にすべての工事を終えるが、1609年(慶長14年)に、「藤堂高虎」は伊勢国(現在の三重県北中部)の津藩(現在の三重県津市)に移封となる。

今治城

その後、「高虎」の養子「藤堂高吉(たかよし)」を挟んで、1635年(寛永12年)に「徳川家康」の甥にあたる「松平定房」が入城し、「今治藩」3万5千石の新たな治世が始まった。

「松平定房」の父親「松平定勝」は、「徳川家康」の父親違いの弟で、ともに母親は「於大の方」。大河ドラマ「どうする家康」では、「松嶋菜々子」が演じていたので記憶にある人も多いだろう。

もともと「久松姓」だった「定勝」は、「家康」から徳川一門の証として「松平姓」を授かり、その後「松平定勝」と名乗るようになった。

以降「久松松平家」は、江戸幕府内で重用されるようになり、譜代大名として全国各地へと送り込まれる。

松山城

中でも西日本の大名達に睨みを効かせたい四国には、松山に「定勝」の次男の「定行」が、そして今治には五男の「定房」がそれぞれ封じられた。

「松平定房」は「江戸城」の城代を務めるなど、幕府からも一目置かれていた人物で、領国経営に力を注ぎ、明治維新まで続く「今治藩」の基盤づくりを推し進めた。

今治城

明治維新を迎え、「今治城」も建造物のほとんどが取り壊されて、内堀と主郭部の石垣を残すのみとなる。

今治城

しかし1953年(昭和28年)に県指定史跡となり、1980年昭和55年)以降は、主郭部跡に天守をはじめとする櫓、門などの再建が進み、現在は雄大な城郭の姿が復元されている。

造船やタオルに代表される地場産業があるおかげで、今治市は財政が豊かなのかもしれないね(笑)。

なお余談になるが、

ここまで紹介してきた写真は、すべて筆者自身が撮影したもの。気がつけばずいぶん多くの城を訪ね歩いてきたものだ(笑)。

今治城の駐車場&アクセスマップ

今治城 駐車場

「今治城」の普通車用に設けられた第1駐車場(56台・100円/1時間)には、ご覧のゲートがある。

ただ高さは2.9メートルまでOKなので、ハイエース・ハイルーフクラスまでは余裕で入れると思うが、キャブコンで屋根に積載物がある場合は、厳しいかもしれない。

なお満車に備え、土曜・日曜・祝日の9時から18時に限り、市道今治駅天保山線のお堀南東側が、普通自動車のみ駐車可能になっている。

詳しい場所はこちら。

マップをグーグルナビに切り替える方法 スマートフォンでご覧の方は、「拡大地図を表示」をタップし、画面が切り替わったら下の「ナビ開始」をタップするとナビゲーションが始まります。 高速道路か国道にするかを選びたい場合は、「ナビ開始」ボタンの左にある「経路」をタップすると表示されます。

 

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