この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、原稿作成のためのメモ代わりに書き残してきた「忘備録」を、後日リライトしたものです。
守山から湖北町まで、琵琶湖の東岸を縦走
筆者が琵琶湖に行くのは圧倒的に冬が多い。
理由は、その時にしか撮れない被写体があるからだ。
最初の訪問地は、琵琶湖大橋にほど近い守山市の「なぎさ公園」。冬の風物詩として知られる寒咲菜花がニュースで既に満開と聞き、その様子を見にやって来た。
この季節の琵琶湖は、タイミングが合えば比良山から蓬莱山に一帯に広がる見事な霧氷を目にすることができる。なぎさ公園は、この霧氷と青空に、ネオンカラーの花が映えてこそ見栄えがする。
その守山から近江八幡を越えて、次に立ち寄ったのは「安土」。ご存知、織田信長が天下布武を目前にした土地だ。
今回のお目当ては安土城址ではなく、この安土歴史博物館と同じ敷地に建つ「信長の館」。両者には800円の共通割引券がある。
長い石段が続く安土城址は、雪が降ると滑りやすいし、冬は殺風景なだけ。つまりこの時期に行くのは、あまり賢明ではない。
信長のことが知りたいのなら、今は暖房が効いてお客の少ないガラガラの博物館が狙い目である。
写真は安土城の入口に近い羽柴秀吉の屋敷の再現模型だが、既に秀吉が重臣として高い位置にあったことがよく分かる。こういうものまで展示されているのは面白い。
「安土城天主信長の館」の館内には、1992年に開催されたセビリア万国博覧会に出展された原型の安土城の復元天守(5・6階部分)がある。
その中で筆者の目を引いたのがこちらの展示。信長が武勲をたたえるために、安土城に家康を招いた際に用意した御膳料理だ。
接待役を命じられたのは明智光秀だったが、料理は信長の不満を買い、光秀は接待役を外され、播磨で毛利と戦う秀吉の援軍に回されることになる。
それからしばらくして「敵は本能寺」へと歴史が流れる。「軍師官兵衛」の総集編でもそのシーンが使われたので、記憶に新しい人も多いと思う。
さて。桜の名所で知られる長浜城は、秀吉が初めて「一国一城の主」となった思い出の城だ。
本能寺の変の後、一時は柴田勝家の所領となるが、すぐに奪還し賤ヶ岳の合戦で功を上げた家臣の山内一豊が城主となる。ただ江戸時代に入るとすぐに廃城され、城の大部分は彦根城の築城時に使われた。
桜の時期は人が多いのと時間がないことが重なり、中を見ることができなかったので、今回はゆっくりと天守まで登ってきた。だが感想は「期待外れ」(笑)。この城は外から眺めるだけでいい。
その後もクルマは湖岸を北上し、最終目的地の湖北町野鳥センターへ。
ここへは1年ぶりに訪れたのだが、今回はオオワシ撮りではなく、その撮影環境を再確認することが目的だ。
しかし撮影とは不思議なもので、欲のない時ほど簡単に撮れる(笑)。
筆者が現地についてほどなく、オオワシは見事な飛翔を見せてくれた。ちなみに筆者の前でカメラを構えていた人は、なんとこの瞬間を6時間近く待っていたという。
撮影を終えたのは午後3時前。湖北町を後にし、彦根インターに向かう途中で、偶然たんぼで落穂をついばむコハクチョウの群れに遭遇した。
野鳥センターで、今年は水位が高く、なかなか日中はその姿を見ることが難しいと聞いていたが、ツイている日はこんなものだ(笑)。