坂本龍馬の学びの地 神戸海軍操練所

神戸海軍操練所 龍馬伝
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この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の中のひとつです。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
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始まりは、龍馬の人生を変えた勝海舟との出会い

神戸の夜景

「龍馬伝」にたびたび登場した「神戸海軍操練所」は、「三宮」のウォーターフロントで、夜景が美しいポートタワーやフィッシュダンスホールでお馴染みの「メリケンパーク」のすぐ東にあった。

現在はその跡地に記念碑が建てられているのだが、けっこう解りづらい場所なので、下に周辺の景色がわかる写真と詳細地図をつけている。

神戸海軍操練所跡

京町筋と海岸通の交差点の一角にあるNTTドコモビルの横。NTTのビルは2つあるので注意。海側のすぐ近くを阪神高速道路が通っており、その高架が大きく見える。

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駐車場はないので、クルマで行く場合は周辺のコインパーキングを利用しよう。見学時間はせいぜい10分ほど。

残念ながら、石碑以外の遺構はまったく残されてない(笑)。

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さすがにこれだけでは物足りないと思うので、龍馬が神戸海軍操練所で働くようになった所以を合わせて紹介しよう。

神戸海軍操練所の生みの親は、勝海舟

出典:NHK

1864年5月。神戸海軍操練所は、「龍馬伝」でまさか!の武田鉄矢(笑)が演じた、江戸幕府の海軍奉行・勝海舟(幼名:勝麟太郎)の提言で設立された。

勝海舟は、1860年に遣米使節の一員として咸臨丸で太平洋を横断し、アメリカに渡った時代の先覚者で、もともとは低禄の幕臣だったが、黒船来港後に海防意見書を提出したことをきっかけに頭角をあらわし、軍艦奉行並に抜擢される。

海外情勢を見聞してきた勝は、単純な攘夷論を強く批判し、欧米列強に対抗するには、海軍創設と開国が必要であるという、師の佐久間象山が提唱した「開国攘夷」論をともに掲げ、京都・大阪に近いこの場所に軍艦の操練所を設ける。

龍馬と勝海舟の出会い

ふたりの出会いは、神戸海軍操練所ができる1年半前の1862年に遡る。

同年春に脱藩したばかりの龍馬は、千葉道場師範代の千葉重太郎とともに、赤坂氷川にある勝海舟の屋敷を訪問した。この時、勝海舟は40歳、龍馬はまだ28歳。その目的は、尊王攘夷に反対する勝海舟の成敗にあったとされている。

勝は龍馬たちを見ると開口一番、「そなたら、俺を斬りに来たんだろう。隠してもわかる。顔に殺気がみえる」といきなり図星をついた。

龍馬が驚いて沈黙していると、勝は世界情勢と龍馬たちが云う攘夷論の愚かしさを諭し、海軍の創設とその費用を生み出す貿易の必要性を論じた。龍馬はその話を聞いているうちに、勝海舟の見識の広さ、人物の大きさに感服し、目的とは逆に弟子入りを決意する。

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挫折と転機

池田屋騒動之址

勝海舟と龍馬の夢舞台であった神戸海軍操練所は、あろうことか、翌1865年に幕命によって閉鎖されてしまう。

もともと神戸海軍操練所は、諸藩の浪人を集めたために幕府から睨まれていた。その中には長州や土佐藩のように攘夷運動の盛んな藩出身の浪人も数多くいたからだ。

海軍操練所が閉鎖されるに至った決定的な出来事は、京都で起きた池田屋事件。その浪士側に、海軍操練所の生徒が参加していたことが露見し、勝海舟は蟄居を命ぜられ、龍馬は再び居場所を失うことになる。

坂本龍馬と西郷隆盛

その後の龍馬は、勝海舟の口利きによって西郷隆盛の助けを借り、海軍操練所の仲間とともに、長崎へわたり亀山社中を結成。やがてそれが、薩長が同盟を結ぶ大きな架け橋となる。

今振り返れば、龍馬にとって神戸は、その後の躍進を支える、ほろ苦い胎動期を過ごした「学びの地」であったともいえるのだろう。

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もう1つの記念碑

海軍操練所顕彰碑と海軍営之碑

勝海舟の助けを得たことをきっかけに、大きくその世界を広げ飛翔していったのは龍馬だけではなかった。大政奉還後に暗殺された龍馬にかわり、後の明治を支えた政治家がいる。

陸奥宗光(陽之助)

陽之助は海援隊でも龍馬の腹心を務めていたが、ドラマの中で龍馬に「(刀を)二本差さなくても食っていけるのは、俺と陽之助だけだ」と言わせたシーンはとても印象的だった。

陽之助は龍馬が暗殺された後、岩倉具視に認められ、伊藤博文の政権下では閣僚として活躍している。

海軍操練所顕彰碑と海軍営之碑(レプリカ)

第4代兵庫県知事と、外務大臣を務めた陸奥宗光の功績を記念する顕彰碑。

並んで2つの石碑があり、一つは諏訪山にある「海軍営之碑」の複製といわれる。碑は神戸海軍操練所跡からメリケンパークに向かう途中の「みなと公園」の中にある。

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お勧めの車中泊スポット

メリケンパーク駐車場

最後に神戸の中心地、三宮にある「とっておき」の車中泊スポットを紹介する。

「メリケンパーク駐車場」は、広大なウォーターフロント「メリケンパーク」の南側にあり、オリエンタルホテルと隣接している。駐車場からはポートタワーやフィッシュダンスホール、そしてハーバーランドの美しい夜景が見え、その景色と利便性は、「夜間」の駐車料金に十分見合う価値がある。

阪神高速の京橋PA

なお、阪神高速の京橋PAでも車中泊は可能だ。神戸で終日観光したい場合は、前泊・後泊の車中泊地として利用するといい。

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