この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、原稿作成のためのメモ代わりに書き残してきた「忘備録」を、後日リライトしたものです。
下田の吉田松陰ゆかりの地めぐり
下田に来たのは、2010年の同時期以来2度目になる。前回も雨に祟られて取材には苦戦を強いられたのだが、今回もまた雨。どうも下田には歓迎されていないようだ(笑)。
ただ、ここには屋根付きの道の駅があるので、車中泊は至って気楽。しかも高さは2.5メートルまでOKで、筆者のキャンピングカーでも入ることができる。
とりあえず道の駅の写真を撮りつつ、2階の観光案内所へ向かう。
お目当てはコレ。
2010年の龍馬伝で、下田の観光協会は大河ドラマの集客力をよく学んでいる(笑)。案の定、手回しよく「花燃ゆ」前半の主役ともいえる吉田松陰ゆかりの地をまとめたパンフレットを用意していた。
その取材にでかける前にお腹が空いたので、遅めの昼食をとることにした。
せっかくなので南伊豆名物の金目鯛の煮付けを選択。1700円は大予算オーバーだが(笑)、2時半に定食を食べれば夕食は酒の肴で済んでしまうので、足して2で割ればそれなりだろう。
さて、吉田松陰といえば、まさに昨日のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」で大きく取り上げられた松下村塾の主。
久坂玄瑞、高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)、伊藤博文などに大きな影響を与えたことで知られる長州藩士だ。
思想家で尊皇攘夷論者であった吉田松陰は、海外の情勢をその目で確かめようと、下田から黒船に乗り込むことを画策するが、ペリー提督の許可が得られず頓挫する。
その際に小舟を隠し、身を潜めていたのが柿崎弁天島で、先端には「踏海の朝」と名付けられた吉田松陰と金子重輔の銅像が建っている。
いつものように、小さな石碑から建屋まで、パンフレットに紹介されているところは、ほぼ隈なく探し当てて、その証拠写真を撮ってきたのだが(笑)、とりわけ訪ねて良かったと思ったのが、蓮台寺温泉にある「吉田松陰寓寄処(旧・村山行馬郎邸)」だった。
密航をもくろみ、無事下田に到着できた吉田松陰だったが、はじめに宿をとった旅館・岡村屋で、不幸にも疥癬(かいせん)という皮膚病を患ってしまう。
その湯治の為に訪れたのが蓮台寺温泉で、そこで運良く医師の村山行馬郎と出会い、数日間匿われた屋敷が、今もほぼ当時のままで残されている。
松陰が湯治をした浴室と匿われていた部屋の他に、使用した机や硯(すずり)なども展示されており、見学に100円が必要だが、希望すれば下田での吉田松陰・金子重輔の足跡なども細かく解説してくれる。松蔭ファンにすれば、まさに「破格」といえる安さに違いあるまい(笑)。
大満足で蓮台寺温泉を後にした筆者が次に向かったのは、そこから1キロほどのところにある下田河内(しもだこうち)温泉の「金谷旅館」だ。一軒宿で江戸時代末期創業の老舗旅館には、知る人ぞ知る檜造りの千人風呂がある。
類まれな情緒を醸す千人風呂。お湯はやさしい肌触りのぬる湯で、奥の木戸を開けるとそのまま露天風呂に通じている。いずれも居心地がよく、まさに評判通りの名湯だった。
温泉からあがったところで、やる気と体力のエンプティーランプが点灯した(笑)。下田の道の駅に戻り、トイレに近い大型車用の駐車場にクルマを停める。理由はテレビが見たいからだったが、結局野外でも結果は同じ(笑)。道の駅下田の難点は、地デジの電波が弱いことだった。
雨は夕方にはあがったが、代わりに驚くほどの強風に襲われた。おさまりそうになかったので、寝る前に屋根下に避難して一夜を過ごすことにする。
そして翌朝、ついに「晴れの下田」が姿を現した(笑)。
朝一番から周辺を撮影し、ペリーロードまで足を伸ばす。
下田を出た後は、石廊崎をショートカットして松崎に向かい、今度は清水行きのフェリーに乗るべく、土肥を目指して西岸を北上した。
素晴らしい青空に誘われ、途中で堂ヶ島にも立ち寄るが、ここで嫌な予感が頭をよぎった…
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