この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、現地取材を元に「車中泊ならではの旅」という観点から作成しています。

明智光秀、生誕の地と伝わる山城跡
近年の大河ドラマは、「歴史ドラマ」というより「ホームドラマ」だと、テレビである人が云っていたが、確かにそうかもしれない。
特に「龍馬伝」はそれが顕著すぎて、問題にもなっていた。
ただ、明らかな真実を曲げて脚色するのと、わからない部分を想像で埋めるのは「似て非なるもの」だ。
40歳になるまでの生い立ちが謎に満ちた「明智光秀」の生涯を描くというのは、化石しか残されていない恐竜を、生きている姿に復元するようなもの…
これから紹介する「明智城址」は、まさにその「化石」に当てはまる。
明智城址の真実
1342年(康永元年)に、美濃源氏の流れをくむ土岐頼兼が、「明智」と改名すると同時に築き、その後約200年にわたって代々の居城とした、可児市指定史跡の明智城は、自然の地形を生かした典型的な中世の山城で、長山城または明智長山城とも呼ばれていた。
様々な学説を見るかぎり、どうやらここまでは確かなようだ。
だが、その明智氏が光秀の祖先かどうかは、未だはっきりしていない。ゆえに光秀出生の地とされる地域は、今なお6ヵ所もあるわけだ。
すなわち、これ以上「明智城」を掘っても、ドラマのストーリーは進まない。

出典:NHK
そこで「明智城」の話はいったん横に置いて、今度は「西村まさ彦」が演じる「明智光安」という人物に目を向けてみよう。
光安は実在人物で、甥が光秀、姪が帰蝶、さらに1556年(弘治2年)に勃発した斎藤道三・義龍父子の長良川合戦では道三に味方し、義龍の軍勢に攻撃されて戦死する。
ドラマで忠実に描かれたこの話も真実のようだ。
さきほどの話の通り、光安が「明智城」の主であったかどうかはわからないが、これが本当なら、斎藤道三と明智家の接点がはっきりする。
つまり「麒麟がくる」は、出どころの異なる2本の真実をつなぎ合わせることで、1本のストーリーに仕立ててある。
とはいえ、光秀まで斎藤道三と面識があったのか、というより光秀が光安の近くに住んでいたのかさえも、はっきりしていないのが実情だ。
そう考えてドラマを思い起こすと、「麒麟がくる」の脚本を手掛ける「池端俊策」氏の際立った想像力が見えてくる。
筆者にとっては、ビビットカラーの着物が派手すぎるとか、出番の多い駒ちゃんや伊呂波太夫が架空の人物だとかいう支流の話はどうだっていい(笑)。
それよりも、若き光秀がどのようにして織田信長に辿り着くのか… その本流の組み立てのほうがずっと面白い。
たぶん池端氏も明智城址に足を運んでいると思うが、ここでどんなことを思い、また閃いたのか…
「明智城址」の駐車場
「明智城址」の見どころについては、もう山のように紹介サイトがあるので割愛するが、ひとつだけ取り上げておこう。
写真は本丸跡に立つ明智光秀の銅像だが、読者の中には以前に「明智城址」を訪ねた際にはなかったぞ?っとお気づきの人があるはずだ。
実はこの像が立てられたのは2020年6月。まさに「麒麟がくる」の副産物ということなのだろう。
さて。これから「明智城址」に行こうと思う人にとっては、ここからが大事な話になる。
現地には駐車場がないので、一番近くて無料で停められる「花フェスタ記念公園・西入口」の駐車場をガイドしておこう。ここには「ぎふ可児大河ドラマ館」もある。
駐車場から明智城址までのアクセス
ナビゲーションでは上の「花フェスタ記念公園・西入口」の駐車場を紹介したのだが、実は「麒麟がくる」の放送開始直後は、大勢の見学客に備えて下の「臨時駐車場」が開放され、そこに「明智荘散策マップ」も備えてあったらしい。
ちなみに「花フェスタ記念公園」は、大阪で云えば「千里万博公園」級の広さを持っており、駐車場も西と東に分かれている。ゆえにナビでは確実に「西入口」を指定しないと、余分に1キロ近く歩くハメになるのでご注意を。
筆者が訪ねた11月には、もう「臨時駐車場」は閉鎖され「明智荘(あけちのしょう)散策マップ」も入手することができなかった。
幸いなことにPDFのデータが見つかったので、リンクしておこう。念の為、一番わかりやすいマップも用意しておいた。
ポイントは★印をつけてある最初の角を間違わないこと。
ここさえ正しく曲がれば、あとは表示に従って進めばいい。
途中から歩行者専用の近道を通るよう誘導される。案内通りに行ければ、駐車場から大手門までは15~20分程度で到着できるだろう。
