歴史が好きで経験豊かな「車中泊旅行家」が、滋賀県にある「豊臣秀吉」にゆかりの深い「長浜城」築城のあらましとエピソード及び、駐車場・車中泊事情を紹介しています。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド
この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づきまとめた、『一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台』をクルマで旅するためのガイドです。
~ここから本編が始まります。~
現代の「長浜城」は、桜で有名な豊公園に建つ歴史博物館だが、この地に刻まれている「秀吉」の功績と躍進の軌跡を知れば、その本当の価値が見えてくる。

長浜城 DATA
長浜城歴史博物館
〒526-0065
滋賀県長浜市公園町10-10
☎0749-63-4611
大人500円
9時~17時(受付最終16時30分)
月曜定休
※12月27日から1月2日まで休館
「長浜城」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2014.04.11
2015.01.18
2022.11.06
2026.03.19
「長浜城」での現地調査は2026年3月が最新です。
長浜城

現在の長浜城は、黒壁スクエアに近い桜の名所

筆者は大阪で生まれ育った人間だが、京阪神在住者が抱く「長浜城」のイメージは、『琵琶湖の北東に位置する、観光名所の「黒壁スクエア」のすぐ近くにある、桜で有名な公園』というのが、『当たらずとも遠からず』ではないだろうか。
もしかすると「黒壁スクエア」が、かつての「長浜城」の城下町にあることを知らない人も多い気がする(笑)。

現在の「長浜城」の天守は、1983年に「犬山城」をモデルに復元されたもので、中は「長浜城歴史博物館」になっている。
そのうえ、石垣や堀も当時のものはほぼ消失しているため、もはや『戦国時代の遺構』とは呼び難い。
ゆえに築城したのが「羽柴秀吉」であるとはいえ、「日本100名城」どころか「続日本100名城」にも選ばれておらず、悲しいかな、お城としての評価はすこぶる低い。
ちなみに「長浜城」は、「豊臣家」の滅亡後に跡形もなく取り壊され、石垣をはじめとする多くの資材が、「彦根城」築城のために使われた。

「関ヶ原の合戦」に勝利した、「徳川家康」の家老「井伊直政」の新たな居城として、江戸時代初期に完成した『総構えの城郭』が残る「彦根城」は、国宝はもちろん、世界遺産登録候補にも挙がっている名城のひとつだ。
「長浜城」の影を薄くしている要因のひとつには、その存在も挙げられるだろう。
そのようなわけで、
「長浜城」に歴史を感じるために訪れる人は、近年ほとんどいなかったと思う。

だが、大河ドラマ「豊臣兄弟!」が放送されている2026年は、桜が散ったあとの「長浜城」にも、足を運ぶ人が増えるはずだ。
重要なのは、長浜城築城のあらまし

出典:NHK
大河ドラマを続けて見ている方には、もう”お馴染み”といってもいいほどの登場回数を誇る「長浜城」だが、着目すべきはその『築城のあらまし』だ。
貧しい百姓から城持ち大名となった「秀吉」にとって、「長浜城」は「木下藤吉郎」時代に成し遂げた数々の武功の”集大成”で、小者として「信長」に仕え、最後は天下人まで駆け上がる「秀吉・サクセスストーリー」の、「エピソード2」にあたる重要な時代だったと云える。
ちなみに、筆者が考える「秀吉・サクセスストーリー」は、以下の4つのエピソードに分けられる。
「エピソード1」
清州城デビュー~岐阜城奪取
「エピソード2」
天下布武~長浜城築城
「エピソード3」
中国攻め~大阪城築城
「エピソード4」
天下統一~臨終
その「エピソード2」を大河ドラマを交えて辿ると、こんな感じになる。

出典:NHK
「木下藤吉郎」らの活躍で、念願の「美濃」を掌握した「織田信長」は、”天下布武”のために避けては通れぬ、京への通り道にある「北近江」の領主「浅井長政」に、妹の「お市」を正室として送り込み、盟約を結ぶことに成功する。
写真は「豊臣兄弟!」第10話で放送された、「お市」と「長政」の婚礼シーン。
「お市」は「篤姫」が懐かしい「宮﨑あおい」、「浅井長政」は朝ドラ「あんぱん」で、「のぶ」の最初の夫「次郎さん」を好演した「中島歩」だ。

出典:NHK
しかし、その”天下布武”に待ったをかけたい越前の「朝倉義景」が、「信長」包囲網を画策したことで、「朝倉氏」と古くから結びつきがある「浅井氏」は”板挟み”となり、結局その関係が断ち切れず、盟約を破って「信長」の背後を襲った。
「麒麟がくる」では「朝倉義景」を「ユースケ・サンタマリア」が怪演していたが(笑)、「豊臣兄弟!」では「鶴見辰吾」が演じるようだ。

写真は福井県敦賀市にある「金ヶ崎城跡」で、実際に足を運んで撮影してきた。
「金ヶ崎の戦い」では、「信長」を生かすために「秀吉」が”殿(しんがり)”を務め、撤退戦を成功させたとされているが、これは江戸時代の軍記物などで広まった話で、近年の研究では「明智光秀」や「徳川家康」など複数の武将が、分担して務めた可能性が高いと云われている。

出典:NHK
こちらは「どうする家康」で、しんがりを命じられた「ムロツヨシ」演じる「秀吉」。いくら「家康」の”引き立て役”としても、さすがに扱いがひどすぎる脚本に呆れ、途中から見るのが嫌になった。
その反動かどうかは分からないが、「豊臣兄弟!」の「秀吉」は、戦闘もそれなりに強く、ずいぶんカッコいい(笑)。

「金ヶ崎」で窮地に陥れられた「信長」は、無事に岐阜に帰りつくやいなや、ただちに体制を立て直し、「家康」とともに北近江に出兵する。
そして姉川の河原で「浅井・朝倉」連合軍を打ち破り、ひとまず鬱憤を晴らした。

しかしその後も「浅井・朝倉」の抵抗は続き、業を煮やした「信長」は、翌年に彼らをかくまう「比叡山延暦寺」を焼き討ちするなど、次々と外堀を埋めていく。
その「信長」の作戦に貢献したのが、「木下藤吉郎・秀吉」だった。
「姉川の戦い」時点の「秀吉」は、まだ「侍大将」クラスの役職で、主力の一翼として戦闘に参加はしていたものの、目立つ手柄を立てたという話は聞かない。
しかし、兵站(戦闘部隊の後方から、食料・武器・弾薬の補給、輸送などを行うこと)・築城・調略などの“裏方”に回って以降は、その能力を大いに発揮する。

「信長」から与えられた少数の兵を指揮して、苦労の末に難攻不落を誇った「小谷城」を攻略し、「長政」を自刃に追い込むと同時に、「お市」と3人の姫を無事取り戻すことにも成功した。
写真が難攻不落と呼ばれた「小谷城跡」。
現地には今も「浅井長政 自刃の地」がそのまま残されている。

その恩賞として「浅井氏」の領地を拝領した「秀吉」は、山城の「小谷城」ではなく、水陸いずれの交通の便にも優れ、城下町が形成しやすい琵琶湖の湖畔に、新たな城を築くことを決断する。

「小谷城跡」は軽く散策するだけでも2~3時間はかかる、日本屈指の山城だけに、「秀吉」の判断は賢明だった(笑)。
1574年(天正2年)、「秀吉」は当時今浜(いまはま)と呼ばれていたこの地を、「信長」の名から一字を拝して「長浜」と改名し、城作りにとりかかった。

さて。
ここまでのくだりは、最近では2011年放送の「江〜姫たちの戦国〜 」、2014年放送の「軍師官兵衛」、さらには2020年放送の「麒麟がくる」、2023年放送の「どうする家康」でも取り上げられていたので、こうして改めて振り返れば、それぞれのシーンが蘇ってくる人もいると思うし、筆者のように実際の舞台となった「金ヶ崎」や「姉川古戦場」そして「小谷城」に足を運べば、そのイメージはより鮮明になる。
実はこれこそが『長浜城の楽しみ方』だ。
城跡自体に「遺構」はなくても、この築城にいたるまでの「秀吉・サクセスストーリー」を知れば、彼の”頑張り”と、それに見合う成果が得られた満足感が伝わってくる。

おそらく2026年放送の「豊臣兄弟!」では、その「エピソード2」に愛と笑いの脚色を加えて、もっとも深く掘り下げた内容が放送されるに違いない。
なぜなら、この間の経験が「秀吉」を大きく成長させる糧となり、その後の展開の「伏線」になるからだ。
「長浜」で「羽柴」に姓を変えた「秀吉」は、この地で約10年かけて、領主と城下町づくりの経験を積むと同時に、子飼いの家臣を育て上げ、「秀吉サクセスストーリー」の「エピソード3」にあたる、「中国攻め」~「本能寺の変」~「大坂城築城」へと駒を進めていく。
長浜城のトリビア

「トリビア(trivia)」とは、知らなくても困らない、どうでもいい知識とか、「へぇ~」と興味をそそる、おもしろ話という意味を持つ英語。
『長浜城の見どころ』のような、どれも変わり映えのしない同じ話より、筆者はずっと興味深いと思っているので、ここではそれを幾つか紹介したい。
長浜城は琵琶湖と直接通じていた

出典:NHK
このイラストはNHKの「英雄たちの選択」で紹介されていた復元図だが、これを見ると、「長浜城」は琵琶湖にせり出すように築かれており、城内に直接通じる港を持つ”水城”であったことが伺える。
「長浜城」の詳しい縄張は、史料が少なく全容は明らかでないが、発掘調査では湖岸付近から石垣や石組みの遺構が確認されている。

ただ現在の「豊公園」は、公園整備のために一部を埋め立てて造成しているため、琵琶湖には通じているものの、『ここまでのものだった』と気づく人はまずいまい。
当時の琵琶湖は、日本海側からの物資が調達できる「北陸」と、政治・経済の中心であり、最大の消費地でもあった「京都・大坂」への水上輸送の要衝だった。
それは経済面のみならず、軍事においても兵と武器、さらに食糧の補給が容易であることを意味し、また同時に、海と違って入口が限られた琵琶湖を背にすることは、防御がしやすい利点も兼ね備えていた。

さらに「秀吉」は、「小谷城」の近くを通っていた「北国街道」を、長浜の城下町を通るようにつけ直し、中山道へのアクセスも改善している。
これを見ると「長浜城」の築城は、『物資と人の流れを押さえること』をコンセプトにして、入念に練り上げられた、軍事・経済・政治のすべてにおける極めて合理的なミッションだったことがよくわかる。
そしてそれは、主君「信長」の戦略に沿うものでもあった。
長浜城は小谷城の資材を転用して作られ、解体後は彦根城に転用された

戦国時代には、廃城となった城の石垣や、建物の柱・梁の転用はもとより、門や櫓をそっくりそのまま移築している例がある。
その中でも「長浜城」は、築城時に難攻不落と云われた「小谷城」の資材を転用しただけでなく、「浅井長政」が「竹生島」に隠しておいた材木まで、見つけ出して使用したことが分かっている。
だが「秀吉」がこの世を去って「徳川」の時代になると、今度は「長浜城」が廃城となり解体される。
そしてその資材の多くは、「関ヶ原の合戦」に敗れて処刑された、「石田三成」の所領「近江国」を新たに拝領した、「徳川家康」の重臣「井伊直政」がおさまる「彦根城」に転用された。

写真は「長浜城」から移築されたと伝わる、「彦根城」の「天秤櫓」。
「井伊年譜」にその旨が記され、昭和の解体修理でも移築建物であることは確認されているが、それが『秀吉の時代からあった長浜城のもの』だという確実な証拠は、今もまだ見つかっていない。

また長浜市内にある「大通寺」の「台所門」も、「長浜城」の「大手門」を移したものと云われている。
ただこちらは扉金具に天正16年の銘があることから、「山内一豊」が城主時代のものである可能性が高いという。
ちなみに「長浜城」は「本能寺の変」の後、いったん清洲会議で「柴田勝家」の所領となるが、その年の末には「秀吉」が「勝家」の甥の「勝豊」を降伏させて奪還している。

そして、1583年に事実上の「信長」の後継者を決めるべく、「秀吉」が「柴田勝家」と雌雄を決した「賤ヶ岳合戦」の後、槍の名手と謳われた「山内一豊」が「長浜城」に入り、6年間城主をつとめた。

出典:NHK
その時代の話は、2006年に放送された大河ドラマ「功名が辻」で描かれている。
長浜城主時代の「秀吉」には、実子がいた!

出典:NHK
最後は「長浜城主」時代の「秀吉」の、「うっそ~!」と声が出そうな、とびっきりのトリビアを紹介しよう。
それは、この頃の「秀吉」に「秀勝」(幼名:石松丸)という実子がいたという話。
ただ「秀勝」は、側室との間に生まれた男子で、幼くして亡くなっているため、ほとんど表舞台には出てこない。
しかし「秀吉」は「秀勝」によほど愛着があったようで、その後2人の養子に同じ名前をつけているため、話がややこしくなる。
次の「秀勝」は、「織田信長」の四男「於次丸」だが、同じく早世している。
3人目は「秀吉」の姉の子で甥にあたる、のちの関白「豊臣秀次」だが、謀反の疑いをかけられ、高野山で切腹した。
ご存知のように「秀吉」は晩年になって、若き日々に「小谷城」から救出した、「信長」の妹「お市」が生んだ長女の「淀君」を側室に迎える。
その「淀君」が「秀頼」を生んだため、自身の血を引く跡継ぎができたことで、養子の「秀次」に謀反の疑いをかけ、切腹に追い込んだとも云われている。

出典:NHK
写真は2016年の大河ドラマ「真田丸」で、「秀頼」を演じた「中川大志」。
筆者が知る「秀頼」の中では、いちばんカッコいいかもしれない(笑)。
しかし正室の「寧々」はもとより、その他大勢の側室にも子供が授かっていないことから、「秀頼」が「秀吉」の実子であるかどうかを疑う声が多いのは事実だし、筆者もそれを疑っている。
だが「秀勝」の話は事実のようなので、「もしかしたら?」は有りうるのかも。
実子だとしてそのまま生きていたら、「信長」と「秀吉」の血を引く「秀頼」と、「家康」の嫡男「秀忠」の正室となった、「お市」の三女「江」が生んだ、「信長」と「家康」の血を引く「家光」の、まさにサラブレッド同士の『戦国最強血統決戦』が実現していたかもしれないと思うと、興味は尽きない。
それに「秀頼」の正室「千姫」は、「徳川秀忠」の長女で「家光」の姉。2人の間に子供は生まれなかったが、こうなるともう、競馬の世界だね(笑)。
長浜城の駐車場&アクセスマップ

「長浜城」がある「豊公園」には、普通車446台が収容できて、24時間出入りができる、大きな駐車場が用意されている。

料金は3時間まで無料で、3時間を超えて9時間以内までは、300円プラス1時間ごとに100円、9時間以上24時間以内は、最大料金の1000円になる。
なおジルクラスのキャブコンについては、入庫時に「大型車」と判定されるものの、出庫の際に清算ゲートのインターホンでその旨を伝えれば、遠隔操作で普通車扱いにしてくれるようだ。
詳しい内容は、こちらのブログがレポートしている。
ちなみに車高2.4メートルの筆者のハイエースは、そのまま普通車扱いだった。

駐車場には、ウォシュレット付きの真新しいトイレがあるので、車中泊も可能だが、さすがに桜の季節は夜桜の見物客が多く、『騒々しいのを覚悟のうえで』ということになるだろう。
黒壁スクエアは長浜城の城下町の一画にある

前述したように、「長浜」には城下町が残っており、今はその一画が「黒壁スクエア」と呼ばれる、滋賀県随一の人気観光スポットになっている。

「黒壁スクエア」には、小洒落たガラスショップやカフェが並んでいるが、少し離れた「北国街道」から「大通寺」に至るあたりには、当時の城下町の面影が今も残る。
なお、「黒壁スクエア」の界隈にもコインパーキングはあるが、停められる台数はけして多くない。
もともと城下町だけに「長浜城」から歩ける距離なので、筆者は徒歩で行かれることをお勧めする。

その近道と「黒壁スクエア」の”おいしい周り方”を、別途こちらの記事にまとめているので、ぜひあわせてご覧いただきたい。
「長浜城」と「黒壁スクエア」は、普通に周っても2.3時間はかかると思うが、ここは時間をかけてもいいところだと思う。
さらに前述したような、周辺の見どころまで含めると、1泊2日でも時間を持て余すことはないだろう。
長浜の車中泊事情

前述したように、「豊公園」の駐車場でも車中泊ができないことはないが、幸いにも「長浜城」の北と南に道の駅がある。
お勧めなのは「長浜城」から約10キロ・20分ほどの、すぐ近くに日帰り温泉施設がある「道の駅 浅井三姉妹の里」だ。
いっぽう「彦根城」と抱合せるのなら、琵琶湖沿いに南へ約4キロ・10分ほど走ったところに「道の駅 近江母の郷」がある。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」 ゆかりの地
琵琶湖 車中泊旅行ガイド

旅行者のための「お城めぐり入門講座」
車中泊でクルマ旅 総合案内
クルマ旅を愉しむための車中泊入門
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