「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド
この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づきまとめた、『一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台』をクルマで旅するためのガイドです。

~ここから本編が始まります。~
「柳生の里」は”時代劇好きのアラ還”にとって懐かしい、静かなる歴史観光スポット

柳生の里 DATA
柳生の里(旧柳生藩家老屋敷)
〒630-1237
奈良県奈良市柳生町155-1
☎0742-94-0002(柳生観光協会)
おとな350円
9時~17時(受付最終16時30分)
12月27日~1月4日 休館
柳生観光駐車場
収容台数43台・普通車1回600円
柳生の里の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2019.10.20
「武蔵の里」での現地調査は2019年10月が最終で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2026年2月に更新しています。
柳生の里【目次】

「柳生の里」はどこにあるの?

「柳生の里」は、京都府と三重県の県境に近い、現在の奈良市の東北部に位置する山間にある。
マップを見れば分かるように、「忍者」で有名な「伊賀」と近接しており、「柳生一族」が徳川将軍家の隠密・情報収集網として伊賀忍者を配下にした、あるいは忍者そのものだったとも云われている。
実際に「柳生家」と「伊賀衆」に接点があったことは、歴史上確かだったようだ。

また築城の名手と謳われ、「柳生一族」と同様に「徳川家」の信望が厚かった「津藩」32万石の城主、「藤堂高虎」が建てた「伊賀上野城」からは約27キロ・40分ほどなので、行かれる際には合わせて周るといいと思う。
「伊賀上野城」は、あの「松尾芭蕉」の生家にも近い。
アラ還にとって、柳生と云えば「十兵衛」

出典:東映
さて。
昭和34年生まれの筆者の記憶に残る「柳生」といえば、剣をふるう姿が凛々しい無敵の隻眼(せきがん)剣士、「柳生十兵衛」だ。
写真は、今はなき「千葉真一」演じる「柳生十兵衛あばれ旅」のワンシーン。
徳川3代将軍「家光」の治世下、風雲渦巻く中仙道を舞台に、二手に分かれた巡検使たちが、行く手をはばむ反徳川派の野望を打ち砕くという、時代劇ではお決まりのストーリーだが、この「十兵衛」を鮮明に覚えているということは、たぶん見ていたんだろうね(笑)。
ちなみに主なキャストは、「千葉真一」「真田広之」「志穂美悦子」「樹木希林」で、放送されたのは、あの「北の国から」と同じ1982年。
なんと40年以上も前の話だ。
柳生一族の系譜

「柳生一族」を調べてみると、「十兵衛」よりすごいのは親父の「宗矩(むねのり)」で、それよりもっとすごいのが爺ちゃんの「石舟斎」こと「宗巌(むねよし)」だった。

祖父の「柳生宗巌」は、戦国時代に「松永久秀」に仕えていた武将だが、「久秀」は「織田信長」に逆らって滅ぼされ、「宗厳」は浪人となる。
その後「宗厳」は新陰流の開祖「上泉信綱」に出会い、その武芸の腕前に心酔して弟子入りし、柳生新陰流を創始した。
ちなみに「石舟斎」は入道後の号で、小説などではこちらで呼ばれることが多い。

1594年(文禄3年)、「宗厳」は「家康」に招かれ、五男の「宗矩」を連れて武芸を披露する。
それ以降「宗矩」は「家康」に側近として仕え、「関ヶ原の戦い」にも従軍して、大和国柳生に2千石を与えられた。
その後、柳生新陰流は「徳川家」の御流儀となり、「宗矩」は2代将軍「秀忠」と3代将軍「家光」の兵法師範を務めるなど、歴代の将軍からも厚い信頼を得る。
かくして加増を重ねた「宗矩」は、1万3千5百石の大和国柳生の初代藩主となり、譜代大名に名を連ねるに至った。
猿楽や華道、茶道にも通じていたという「宗矩」は、大名となるに相応しい人物だったといえるだろう。
その偉大な「宗矩」の家督を次いだのが、「十兵衛」の通り名で知られる「三厳(みつよし)」だ。

「三厳」もまた文武両道に長けた人物で、「家光」の小姓として仕えていたのだが、突然辞職して新陰流の研究に12年間没頭した後、諸国をめぐる旅に出る。
「三厳」は家督を継ぐ際に、父「宗矩」の言葉に従って弟たちに石高の一部を分与したため、身分は旗本となっていた。
その後、「三厳」の弟で柳生家3代目当主となる「宗冬」は、徳川4代将軍「家綱」の兵法師範に任命され、分与や相続、加増などを合わせて1万石に達したため、柳生家はふたたび譜代大名に復帰している。
しかし4代目当主「宗在(むねあり)」の代で「柳生家」の血統は途絶え、以降は養子を迎えて家督を相続している。
ただ石高に変化はなく、先祖代々から伝わる新陰流を継承していく形で「柳生家」は存続し、明治維新を迎えている。
「宮本武蔵」と「柳生の里」

テレビ朝日系で放送された「柳生十兵衛あばれ旅」と同様、もしくはそれ以上に「柳生の里」の名を世に知らしめたであろう作品が、2003年に放送されたNHK大河ドラマ「武蔵MUSASHI」だ。

出典:NHK
「武蔵MUSASHI」の中では、京で「吉岡清十郎」に敗れた「武蔵」が、「石舟斎」に手合わせを願って「柳生の里」を訪れ、実際に教えを授かっただけでなく、幼馴染みで恋人の「お通」もそこで一時期暮らすなど、親密な関係ぶりが描かれているのだが、どうやらそれは原作者「吉川英治」の”脚色”のようだ。
「宮本武蔵」と「柳生石舟斎」「柳生宗矩」が生きた時代は重なっているものの、両者に面識があったという証は未だ見つかっていない。

出典:NHK
ただ共通の知人として、僧侶の「沢庵宗彭(たくあん そうほう)」がいたことは事実で、そこを接点にストーリーを組み立てていったのだろう。
確かに「武蔵MUSASHI」の中で、「沢庵和尚」はキーマンとして描かれている。
「柳生の里」の概要と見どころ

明治の「版籍奉還」以降は、ごく普通の農村になった「柳生の里」だが、一族ゆかりの地は今もあちこちに残されている。

ここではその代表的な史跡を紹介しよう。
旧柳生藩家老屋敷

柳生藩の財政立て直しに尽力を注いだ家老・小山田氏の屋敷で、入館料は350円。

石垣には1841年(天保12年)に尾張石工が築いたと記されている。

1964年(昭和39年)に作家「山岡壮八氏」の所有となり、「柳生宗矩」の生涯を描いた1971年(昭和46年)放映の、NHK大河ドラマ「春の坂道」の構想はここで練られた。
その後は奈良市へ寄贈され、現在は中に柳生観光協会がある。
神護山芳徳禅寺

柳生家の菩提寺で、「柳生の里」が一望できる山上にある。
江戸時代初期の1638年に、「柳生宗矩」が父の菩提を弔うために、親交のあった「沢庵(たくあん)」和尚を招いて建立した。

本堂には本尊の阿弥陀如来を中心に、「柳生宗矩像」と「沢庵和尚像」が安置されている。

また隣接する史料室には、柳生に関する資料も展示している(拝観料200円)。
正木坂剣禅道場

「柳生十兵衛」が、延べ約一万人ともいわれる弟子を鍛えたと伝えられる「正木坂道場」の名を受け継く剣道場で、屋根部分と柱は元々「興福寺」の別当「一乗条院」にあったものを奈良地方裁判所から移築し、正面入口には京都所司代の玄関を移設している。

1965年(昭和40年)に、当時の住職「橋本定芳氏」の尽力によって、「芳徳寺」のすぐ下に建てられたこの道場では、今でも柳生新陰流の精神「剣禅一如」に通じる、剣道と座禅の修行が行われている。
天乃石立神社

「柳生の里」一帯には剣豪の歴史のみならず、大和高原エリアの特徴とも云える「巨石信仰」の痕跡が残されており、「柳生の里」の山中にある「天乃石立神社」は、巨石をご神体として祀っている。

近くにある「一刀石」には、「柳生石舟斎」が天狗と試合中に一刀両断に断ち切ったという伝説も残る。
「柳生の里」の駐車場&アクセス

「柳生の里」には有料の観光駐車場があり、そこから見どころをゆっくり見て周っても、半日あれば十分だ。
柳生観光駐車場
収容台数43台・普通車1日600円

近くに広大なコスモス畑が広がる。

また丹波のように、大豆本来の姿の枝豆も売っている。
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