この記事は車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、日本全国で1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、「車中泊ならではの歴史旅」という観点から作成しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。

「亀山社中(海援隊)」の本質は、”チーム龍馬”

「亀山社中」 マイカーアクセス&ベスト見学ガイド【目次】
「亀山社中」の概要

「亀山社中」は、1865年(慶応元年)に薩摩藩や長崎の豪商・小曽根家の援助を受けて、元神戸海軍操練所にいた坂本龍馬とその同志によって設立された結社のこと。
ちなみに「亀山」は地名で、「社中」は仲間や結社を意味しており、「亀山社中」の名前は、廃窯となった亀山焼関連の跡地を借り、そこに本部を置いたことに由来している。
ただ「亀山」は、明治以降に付け足された後世の創作という説もあるようだ。
「亀山社中」は、表向きは船の回送や運輸業に加え、銃器や軍艦の買付けなどを行ったことから「日本の商社のルーツ」といわれている。
分かりづらいのは、その「亀山社中」と「海援隊」の関係だが、簡単に云えば両者の実態は同じで、「スポンサー」が途中で代わっただけ。
薩摩藩の援助を受けて結成された、1865年の夏頃から1867年の1月までが「亀山社中」、その後解散する1868年までの土佐藩がスポンサーだった期間は、「海援隊」の名前で活動している。

出典:NHK
さて。
20名余りいた「亀山社中」創業時のメンバーは、制服というべき白袴を身につけていたので「亀山の白袴」と呼ばれていた。
この頃の「亀山社中」は、薩摩藩・参政の小松帯刀配下の、龍馬以外の土佐脱藩浪士を中心とした一団だったといわれており、龍馬はほとんど本部どころか長崎にもいなかったはずだ。
「亀山社中」最大の業績

出典:NHK
龍馬は裏で薩長同盟に参画するなどの政治活動を行っており、幕末・維新史において、重要な役割を果たしたとされている。
その意味からすると、「亀山社中」は龍馬が描くシナリオの実働部隊だったと考えるほうが理解しやすい。龍馬が企てる「大仕掛け」は、到底ひとりでは実現できない。
そんな「亀山社中」がやってのけた大仕事は、長崎に事務所を構えるスコットランド人のグラバーから、薩摩藩の名義で武器や軍艦ユニオン号を購入し、幕府にバレることなく長州藩へ無事に届けたことだ。
この成功は長州藩、薩摩藩、そして「亀山社中」に”トリプルwin”をもたらした。
まず長州藩にとってのwinは、海外の最新鋭の武器弾薬を手に入れられたこと。
亀山社中設立の約1ヶ月前に、幕府から「第二次長州征伐」が発令されていたため、長州藩は一刻も早く最新鋭の武器を手に入れる必要があった。
次に薩摩藩にとってのwinは、豊富な長州藩の米を手に入れられたこと。
シラス台地という火山灰で覆われた土地に位置する薩摩藩は、昔から稲作に不向きで、毎年米不足に悩まされていた。
最後の亀山社中にとってのwinは、いうまでもなく「仕事」を受注できたこと。
長州藩に武器を運んだ帰りに、薩摩藩に米を運ぶことは、亀山社中にとって一挙両得の利益を生んだ。

これにより龍馬は犬猿の仲と見られていた薩摩藩と長州藩の間に、商いを通じて信頼関係を築き、倒幕の一大勢力となる「薩長同盟」締結の立役者となった。
ちなみに龍馬が率いる「亀山社中」の面々は、1866年(慶応2年)6月の第二次長州征伐時に、ユニオン号に乗り組んで下関海戦に参加し、長州の勝利に貢献している。
運命の転機「清風亭会談」

その後、薩摩藩の手を離れた「亀山社中」は、ワイルウェフ号の沈没や、大極丸の代金未払い問題等の難題に遭遇し、深刻な経営難に陥ってしまう。
そのタイミングで龍馬に訪れたのが、土佐藩の参政・後藤象二郎との面会、そう世に云う「清風亭会談」だ。
会談の結果、両者は互いを認め合うかたちで意気投合。
龍馬は脱藩の罪を許され、「亀山社中」は土佐藩の支援を受けることが決まり、名前も「海援隊」に改めた。
その「海援隊」は、「いろは丸事件」で名を馳せる。
ただ長くなるので、その話は下の岩崎弥太郎の記事に詳しく載せている。

さて。「海援隊」は、分かりやすく云うと船会社と海軍を兼ねた組織で、その中で、隊士に航海術や政治学、語学などを教える学校的な役割も果たしていた。
またほぼ同時に、陸軍にあたる「陸援隊」も設立され、龍馬と親しい中岡慎太郎が隊長となった。

両者は「大政奉還」による有事に備えて用意された部隊だったが、その直後に京都で隊長の龍馬と慎太郎が同時に暗殺されてしまったことから、一度も戦うことなく解散している。
最後に。
坂本龍馬の功績は、「亀山社中(海援隊)」という優秀なサポートチームなしでは成し得なかった。
近藤長次郎・陸奥陽之助・沢村惣之丞、そして岩崎弥太郎…
「龍馬伝」のいいところは、”チーム龍馬”を支えた彼らの活躍が分かりやすく描かれていた点にあると思う。
龍馬とのエピソードを記した参考記事
沢村惣之丞
陸奥陽之助
岩崎弥太郎
長崎市亀山社中記念館

「長崎市亀山社中記念館」は、長きに渡って放置されてきた「亀山社中」の遺構を、現在の建物所有者の厚意により、長崎市が当時の姿に近い形に再現し、「龍馬伝」放送前の2009年(平成21年)8月1日にオープンした。
母屋は10畳、8畳、3畳の部屋と土間に分かれており、3畳の部屋と土間の上には「隠し部屋」の中二階がある。

主な展示品は、複製の龍馬の書簡や紋服、刀、ブーツ等。
ちなみに名誉館長は、坂本龍馬に造詣が深い武田鉄矢氏が務めている。
もっとも… この博物館の価値は「本当にあったとされる場所」に建てられていることだろう。
入館料310円
9時~17時(最終入館16時45分)・無休
もうひとつの、亀山社中

実は「長崎市亀山社中記念館」のすぐ近くに、地元の「亀山社中ば活かす会」が運営する「亀山社中資料展示場」がある。
「亀山社中ば活かす会」は、地元の龍馬愛にあふれた熱い人たちの集まりで、展示場自体は素朴な建物だが、龍馬ファンなら外したくない存在だ。

館内には上野彦馬が撮影した幕末の志士たちの写真や、「五箇条の御誓文」の元になったとされる「新政府綱領八策」の原文写しなど、ファン垂涎の資料約150点が展示されており、展示は「長崎市亀山社中記念館」よりこちらのほうが見応えがある。
しかも入館は無料。
開館時間は9時から17時。
ただ2020年の年末に再訪した時は閉館していたので、休館日は電話(095-828-1454)で確認するほうがいい。
ついでに、履いてから帰りたい「龍馬のぶーつ」

観光パンフレットによく登場する「龍馬のぶーつ」は、1995年に亀山社中創設130周年を記念して、「亀山社中ば活かす会」の呼びかけによって創られたモニュメント。

「長崎市亀山社中記念館」のすぐ近くにあるポケットパークに建っており、長崎の街並みが見下ろせる。
「長崎市亀山社中記念館」へのマイカーアクセスガイド

石段の多い細い坂道に囲まれた「長崎市亀山社中記念館」にはもちろん、坂本龍馬の銅像が立つ「風祭公園」にも専用の駐車場はない。

そんな「長崎市亀山社中記念館」にもっとも近いのは、無料で開放している「瓊浦(けいほ)高校 臨時駐車場」になるのだが、ここは土日祝しか利用できない。
そのため平日は、「伊良林3丁目駐車場(60分/200円)」が最寄りになる。
ちなみに「風祭公園」に一番近いのは、ゲートのない平面の「小川ハタ店駐車場(60分/200円)」だが、そこから「亀山社中記念館」まで歩くと、間違いなく息が上がる(笑)。

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