この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の紹介です。
「日本最古の神宮」というのは眉唾?
「伊弉諾神宮」は、「国生み神話」に登場する伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)の二神を祀る古いお宮だ。
本殿では年間を通して古式ゆかしき行事が執り行われており、運が良ければ、古くより伝わる淡路神楽の囃子を聴くことができる。
国生み神話
「古事記」および「日本書紀」によれば、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冊尊(いざなみのみこと)の二神が、天上の「天の浮橋」に立って、「天の沼(ぬぼこ)」で青海原をかきまわし、その矛を引き上げた時に、先から滴り落ちる潮(しお)が凝り固まってひとつの島になったという。
それが「おのころ島(淡路島)」で、二神はその島に降りて夫婦の契りを結び、国生みをおこなった。
よく「神社」と間違えられるが、「神社」は神様が降りてくるところで、用が済めばお帰りになられる。
いっぽう「神宮」は、神様が常駐しているところをいう。どっちの権威が高いかは、云うまでもない(笑)。
さて、ここからは筆者の「ボヤキ」だ。興味があればご覧いただきたい。
ご周知の通り、そもそも「神話」いや「古事記」「日本書紀」自体が奈良時代に作られているので、それ以前の話は朝廷の都合のいいように書かれている。
「伊弉諾神宮」のホームページの由緒には、古事記・日本書紀の神代巻に創祀の記載がある「日本最古のお社」とあるが、それも古文書を都合よく解釈しているにすぎない。
というわけで、ここでは誰もが唸る、説得力のある話だけを記しておこう。
天照大神の両親を祀る神社なら、「伊勢神宮」よりも社格が上であるのが当たり前だと思うが、実際はそうではない。
それは先日から行なわれている天皇交代の行事を見れば疑いようもない話だ。すなわち、日本建国のすべてを知る宮内庁は、「伊弉諾神宮」を重要視していないということになる。
学識者の間にも、伊弉諾尊を皇祖神の親とする信仰が宮廷に古くからあったとは思えず、2神が組み込まれたのは7世紀中頃以降で、淡路出身者か宮廷に食料を運んだ淡路の海人が伝えたとする説がある。
そして筆者もそう思う。
にもかかわらず、これだけの社が残されているのはなぜだ? 本当に大事なのはそこである。
文献には、国産み・神産みを終えた「伊弉諾尊」は、多賀の地の幽宮(かくりのみや、終焉の御住居)に鎮まった。
そして没後、そこに御神陵が営まれ「最古の神社」として創建されたのが伊弉諾神宮の起源であるとされている。
ここでも「神様って死ぬの?」という矛盾が見え隠れするわけだが(笑)、
事実は「伊弉諾尊」ではない「古代の淡路島で島民から慕われていた頭領のような人物」の古墳があったところに建っていた小さな社を、神話にあわせて豪奢なものに仕立て直したというようなところだろう。同じような話は日本各地にたくさんある。
しかし逆に云うと、これは当時絶対的な権力を誇っていた朝廷に、そういう「差し金」のできる黒幕が淡路にいたということなる。
如何なる作戦でこれを実現したのか… 1300年前の「忖度」をぜひ見てみたいものだ(笑)。もっともこれは淡路が御食国(みけつくに)であったことと何か関連があるのかもしれない。
断っておくが、仮に事実がそうだったとしても、今では名前も分からない淡路島土着のヒーローに敬意を払い、その魂が宿るこの地を参拝することに異論はない。
だが、権威欲しさから生まれた後付けの作り話や、今どきの「パワースポットごっこ」には同調したくない。もう筆者は還暦過ぎのおっさんなので、パワフルにではなく、静かに余生を過ごすステージに立っている(笑)。
最後は、伊弉冊尊(イザナミノミコト)について。
彼女は火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産んだ後に、灼かれて亡くなったとされ、その後に葬られた御陵が「花の窟(いわや)」といわれている。
ちなみに「花の窟」は三重県にあり、今は世界遺産に登録されている「日本最古の神社」である。
まあこれも、相当に無理がある展開だと思うけどなぁ~(笑)。