車中泊で旅する 黒田官兵衛ゆかりの地/大河ドラマ「軍師官兵衛」連動 【クルマ旅のプロが解説】 2023年2月更新

黒田官兵衛 後世に語り継ぎたい日本人

【2023年2月更新】
車中泊旅行経験25年の歴史に精通するクルマ旅専門家がまとめた、黒田官兵衛のプロフィールと、そのゆかりの地をめぐる旅に関する情報です。

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この記事は車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、日本全国で1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、「車中泊ならではの歴史旅」という観点から作成しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
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黒田官兵衛は、信長・秀吉・家康が信頼と恐れを抱いた戦国時代屈指の知将

備中高松城

車中泊で旅する 黒田官兵衛ゆかりの地

~プロローグ~
黒田官兵衛のプロフィールを簡単に

黒田官兵衛の年表

大河ドラマ「軍師官兵衛」

黒田官兵衛ゆかりの地/近畿・中国編

黒田官兵衛ゆかりの地/関東編

黒田官兵衛ゆかりの地/九州編

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~プロローグ~
黒田官兵衛のプロフィールを簡単に

中津城

当サイトでは、既に「黒田官兵衛」の生涯や功績を知っている人が、そのゆかりの地をクルマで旅してみたいと思った時に、役立つ情報を中心に掲載している。

そのためプロフィールについては、「物足りないと思う」ほど簡単にしか書いていないことを最初にお断りしておきたい。

黒田官兵衛 プロフィール

出典:鴻臚館

播磨国(現在の兵庫県)の姫路生まれで、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将。

正式名は黒田孝高(よしたか)。

官兵衛は字(あざな)で、剃髪後は如水(じょすい)と名乗った。

姫路城

豊臣秀吉の軍師として帯同した毛利軍との戦いで、「本能寺の変」の一報を受けた際に、伝説の「中国大返し」を企て、明智光秀との「天王山の戦い」を制した話は、秀吉のサクセスストーリーとして後世の語り草になっている。

大坂城

また藤堂高虎・加藤清正と並ぶ「築城の名手」として、大坂城、名護屋城ほか数々の名城の縄張りも手掛けている。

夢想之連歌

そのいっぽうでは、和歌や茶の湯を好む文化人であり、敬虔なキリスト教徒としての一面も持ち合わせていた。

中津城

後年は九州征伐で恩賞を受けて、豊前国(現在の福岡県・大分県の一部)の6郡を与えられ、中津城を築城して居城とする。

中津城

秀吉の死後、家康と三成の抗争状況を正確に把握すると、東軍に加勢するかたちで挙兵し、九州全土の制圧に乗り出すが、「関ヶ原の戦い」がわずか1日で終結したため終了せざるを得なかった。

福岡城跡

その後は、家康軍の勝利に貢献した息子の長政とともに筑前に転封され、福岡城と城下町の礎を築いた。

官兵衛のキャリアをより詳しく知りたい人には、こちらのサイトがお勧めだ。

詳しさだけでなく、分かりやすさと読みやすさにおいても、筆者が知る限り、このサイトに勝るところはない(笑)。

黒田官兵衛の年表

1546年(1歳)
播磨国(はりまのくに)姫路城主・小寺職隆の嫡男万吉として誕生する。

1567年(21歳)
志方城主・櫛橋氏の娘「光」を正室に迎え、家督を継いで姫路城主となる。

1569年(23歳)
姫路城に攻め入ってきた赤松政秀を撃退し、一躍有名に。

1575年(29歳)
羽柴秀吉の取次にて岐阜城で信長に謁見する。

1577年(31歳)
信貴山城の戦いで姫路城を秀吉に提供し、参謀として頭角を現す。

1578年(32歳)
荒木村重の説得に一人で乗り込むが、捕縛され約1年間幽閉される。

1582年(36歳)
中国大返しを豊臣秀吉に勧める。山崎の戦いで勝利。

1587年(41歳)
秀吉から豊前6郡を与えられ、馬ヶ岳城に入るが、翌年には中津城の築城に着手する。

1590年(44歳)
小田原の陣で北条父子を説得し無血開城させる。

1592年(45歳)
朝鮮出兵のための肥前名護屋城を築城。

1593年(47歳)
家督を長政に譲り、黒田如水に改名。

1600年(56歳)
関ヶ原の戦いに乗じ、九州平定を画策したが夢叶わず途中で終結。嫡男・長政は関ヶ原の戦いにおける働きが認められ、家康から筑前52万石が与えられる。

1601年(57歳)
福崎の地を福岡と改称し、福岡城の築城を始める。

1604年(58歳)
4月伏見藩邸にて死去。崇福寺に葬られる。

2014年
NHK大河ドラマに主演する(笑)。

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大河ドラマ「軍師官兵衛」

軍師官兵衛

2014年1月5日から12月21日まで放送されたNHK大河ドラマ第53作。主演はジャニーズ(V6)の岡田准一。

あらすじ ※NHKアーカイブスより転用

戦国時代の三英傑に重用されながらも、あり余る才能のため警戒され、秀吉には「次の天下を狙う男」と恐れられた希代の天才軍師・黒田官兵衛。

群雄割拠の戦国を生き抜き“生き残りの達人”とたたえられた官兵衛の鮮烈な生涯と乱世の終焉を描いた。

●作:前川洋一
●音楽:菅野祐悟
●語り:藤村志保、広瀬修子
●出演:岡田准一、中谷美紀、寺尾聰、谷原章介、松坂桃李、江口洋介、片岡鶴太郎、黒木瞳、竹中直人、柴田恭兵ほか。

上記の紹介文が掲載されているNHKアーカイブスでは、主題歌と映像のほかに、各話の簡単なあらすじも見ることができる。

アンドモア。

この動画は、主題歌に合わせて主だったキャストの名場面がスライドショーで次々と現れるユニークな構成で、ドラマを見ていた人には懐かしく感じられる秀作だ。

放送から数年を経て見るなら、こういう編集のほうがいいね(笑)。

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黒田官兵衛ゆかりの地/近畿・中国編

姫路城

姫路城(兵庫県)

赤松氏の築いた小規模な「姫山城」が前身の姫路城は、過去に3度大きな造営を受けている。

最初は赤松氏に士官する官兵衛の祖父・黒田重隆と、父・黒田職隆親子の手によって、山の地形を活かした山城に拡張され、それが勘兵衛に引き継がれた。

その後に勘兵衛から寄進を受けた豊臣秀吉が入城し、城郭を石垣で囲い、太閤丸に三層の天守を立ち上げ、姫路城と改名。西国統治の拠点となる。

平成の修理を終えた姫路城

五層の大天守を誇る、現在の世界遺産に登録されている姫路城は、関ヶ原の戦いの後に城主となった、家康の家臣・池田輝政が、9年の歳月を費やして1609年(慶長14年)に完成させたものだ。

姫路城 秀吉時代の石垣

その広大な敷地には、わずかではあるものの、勘兵衛や秀吉時代の名残と呼べる場所が残されている。

有岡城(大阪府)

有岡城跡

1578年(天正6年)、織田信長と大坂本願寺の戦いの最中に、信長から摂津の支配を任されていた、有岡城(兵庫県伊丹市)の荒木村重が叛旗を翻した。

信長は村重と旧知の仲だった官兵衛を有岡城に送り込み、翻意を促そうとしたが、逆に捕縛されて幽閉される。

その裏には勘兵衛の主君・小寺政職が、同じく信長を裏切るにあたって邪魔となる、官兵衛の暗殺を村重に依頼していたことがあるようだ。

有岡城跡

しかし村重は、官兵衛を有岡城の地下の土牢に幽閉するにとどまった。

通説では約1年後に落城した有岡城から救出された官兵衛は、膝の関節が曲がり、頭髪が抜けて禿頭になり、生涯回復しなかったとされている。

ただ官兵衛が土牢に幽閉された記録は、後世に書かれた二次史料にしか見当たらないため、この話が史実であるかどうかは分かっていない。

また官兵衛が戻らないため、信長は勘兵衛まで裏切ったと勘違いし、人質に取っていた嫡男の黒田長政の首をはねるよう秀吉に命じたが、官兵衛を信じる竹中半兵衛が、その命に背いて長政を匿い、事なきを得ている。

なお、有岡城跡については石垣がわずかに残るだけで、はるばる訪ねて見るだけの価値があるとは思わない。

備中松山城(岡山県)

備中高松城

岡山県の「備中高松城」は、官兵衛のサクセスストーリーを語る上で、外すことのできない舞台だ。

ここで伝説となった奇想天外な「水攻め」を繰り出し、勝利を手中に収めて、明智光秀の待つ京へと「大返し」をしたわけだが、実は伝承と真実には違いがあった。それについても以下の記事で言及している。

天王山(京都府)

天王山展望台

ちょっと気恥ずかしい話だが、筆者は天王山に登るまで、この山が秀吉と光秀の「天下分け目の戦場」だと思っていた。

だが考えてみれば、狭い山道を両軍あわせて4万とも5万とも呼ばれる軍勢が登れるわけがないし、山中に戦ができるような広いスペースもない(笑)。

天王山にあったのは秀吉の本陣で、天下分け目の合戦は、この展望台の眼下に広がる淀川の河川敷一帯で行われていた。

筆者のような人間が多いせいか、昔は「天王山の戦い」と呼ばれてきた合戦を、今は「山崎合戦」と呼ぶらしい(笑)。

大坂城(大阪府)

1583年(天正11年)、秀吉は官兵衛を「大坂城」の築城総奉行に任じ、縄張りを担当させた。

ただその「大坂城」は、徳川家康による2度目の「大坂(夏)の陣」で炎上し、その後は2代将軍・秀忠の手で、すべて破却され埋め立てられた。

現在の「大阪城」は、その上に徳川が建てた「大阪城」を再建したもので、勘兵衛の手掛けた城とは違っている。

黒田官兵衛ゆかりの地/関東編

小田原城

小田原城(神奈川県)

関東地方で黒田官兵衛ゆかりの地といえば、神奈川県に残る小田原城だ。

難攻不落を誇った小田原城も、世にいう秀吉の「小田原征伐」では兵糧攻めに屈するが、無血開城を北条氏に決意させた立役者が、使者として小田原城に乗り込んだ黒田官兵衛だった。

礼装で身を整えた官兵衛は、刀を差さずに入城して氏政、氏直と対面。関東の覇者である北条の武勇を褒め称えると、援軍なき籠城戦の不利を説き、これ以上の戦は無意味であると氏政を説得し、秀吉の天下統一に向けた最後の戦は終結を迎える。

石垣山城

また秀吉の「小田原征伐」には、一夜にして北条軍の戦意を喪失させたという石垣山城がつきものだ。

石垣山城

確証はないようだが、ここも官兵衛が縄張りした可能性は高いだろう。

黒田官兵衛ゆかりの地/九州編

バーチャル名護屋城

肥前名護屋城(佐賀県)

肥前名護屋城は、文禄の役(1592~1593年)と慶長の役(1597~1598年)の2度に及ぶ朝鮮半島出兵の為に、太閤秀吉が現在の呼子に整備した本営兼兵站(へいたん)基地だ。

肥前名護屋城の縄張りは、加藤清正か黒田宮兵衛か、定かではなかったようだが、勘兵衛の城づくりの特徴とされる「左曲がり」の構造であることから、勘兵衛の手によるものではないかと推察されている。

名護屋城跡

肥前名護屋城は、秀吉の死後に解体され、現在は跡地と石垣が残るだけだが、周辺は出兵した大名の陣屋跡も残されている。

ちなみに部材は唐津城などに転用された。

名護屋城跡の歴史と見どころ&駐車場ガイド【歴史に詳しいクルマ旅のプロが解説】
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中津城(大分県)

中津市街

九州平定における功績が認められた官兵衛は、現在の福岡県北東部と大分県北部エリアにあたる、豊前国(ぶぜんのくに)の2/3に該当する6郡を拝領した。

当初は現在の福岡県行橋市にある馬ヶ岳城に入ったが、翌年から中津城の着工を開始する。

中津城

理由は平定直後で不安要素の残る九州において、その支配を確実にするためには、水上交通の要所であり、情報伝達がスムーズに行える中津が最適とされたことにある。

完成した中津城は堀に海水を引いており、日本三大水城のひとつとして有名だ。

ちなみに12万石もの石高が与えられ、九州平定前に所有していた4万石と比べると大躍進を遂げた官兵衛だが、いずれにしてもその功績に対して少ないという見方がある。

一説では秀吉が官兵衛を恐れていた、また官兵衛がキリシタン大名だったことがその理由であるともされている。

福岡城跡

福岡城

関ヶ原の戦いののち、1601年(慶長6年)に黒田官兵衛・黒田長政親子によって築かれたのが福岡城だ。福崎だった地名は、官兵衛によって福岡に改められた。

朝鮮出兵の際に現地で習得した石垣技術による実戦仕様の城は、江戸時代を通じて黒田家の居城となった。

現在は城跡の大半が舞鶴公園として、また外堀は大濠公園として整備され、国の史跡に指定されている。

太宰府天満宮

「福岡城」の築城に着手した後、一時期官兵衛は太宰府天満宮にある鳥居の東に移住していた。

境内には茶の湯のために使用した「如水の井戸」が今も残されている。

福岡藩主黒田家墓所(崇福寺)

黒田官兵衛の墓

官兵衛は京都の伏見で人生を閉じたが、息子の長政とともに黒田家の菩提寺であった崇福寺境内の西北に接している、歴代の墓所に眠っている。

墓所は2014年3月に黒田家から福岡市に寄贈され、それを機に未公開から一般開放になったそうだ。

もちろんそれには大河ドラマ化されたことが、無関係ではないのだろう。

<墓所の見学方法について>
開門日:土曜日,日曜日 ※12月29日から1月3日は休館
開門時間:10時~15時
入場口:墓所の北門(崇福寺側からは入場不可)

※駐車場なし。付近のコインパーキングを利用。

北門周辺は道路が狭く駐車禁止となっており、一方通行もある。

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