この記事は車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、日本全国で1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、「車中泊ならではの歴史旅」という観点から作成しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。

天守の壁にご注目。そこには深い歴史の綾がある
歴史探訪、大坂城と大阪城。【目次】
歴史に残る大阪城は2つある。
大河ドラマ「真田丸」に登場した「大坂城」を覚えている人はいないだろうか。
今の大阪城は白いが、テレビの中の大阪城は黒かったはずだ。
よく見ると日本各地に残るお城には「黒壁」と「白壁」があるのだが、秀吉が城を「黒壁」にしていたため、家康は対抗して「白壁」の城を築くようになったことが、そのきっかけだという。
写真は秀吉の軍師だった黒田官兵衛が築城した「中津城」。そりゃ、黒いのが当然だね!(笑)。
実は豊臣家滅亡後、かつての大坂城は秀吉の面影を消し去るために破却されて石垣ごと埋め立てられ、そのうえに現在の大阪城が徳川流で再建されている。
その事実を分かりやすくするため、豊臣の城は「大坂城」、徳川の城は「大阪城」と漢字で区別している資料もある。
豊臣の「大坂城」。
徳川の「大阪城」。
大坂城のヒストリーと遺構
「大坂城」は織田信長の攻撃に10年間耐え続けた石山本願寺の跡地に、天下統一を目指す豊臣秀吉が、1583年(天正11年)から15年がかりで築城したとされる。
2020年に放送された大河ドラマ「麒麟がくる」の中で、信長を苦しめ続けた石山本願寺については、大阪城公園の隣にそびえ立つ「大阪歴史博物館」に行けば詳しいことがわかるのだが、ここでは「After信長」の話から進めたいので割愛する。
さて。
本能寺で信長を葬った「明智光秀」を山崎で打ち破り、返す刀で織田家の重臣だった柴田勝家を賤ヶ岳で倒した秀吉は、天下統一の本拠地を大阪と定め、雄大極まりない大阪城の建築に着手する。
その規模は現在の4~5倍という広大なもので、本丸中央に建てられた望楼型五重天守には、黒漆喰の壁に金色に輝く彫刻が埋め込まれていたという。
だが秀吉の死後、水運の利に恵まれ難攻不落を誇った名城は、1615年(元和元年)の大坂夏の陣で落城、豊臣家は滅亡する。
「大阪夏の陣」での炎上と、その後の徳川軍の破却に加え、戊辰戦争と平洋戦争でも大きな被害を被ったことから、中世・大阪城の遺構と呼べるものは石垣だけしか、残っていない。
そう思われている人も多いと思うが、実は「大阪夏の陣」の遺構が、今も場内の一画に残されている。
砲弾を浴びる天守を捨て、豊臣秀頼と淀殿の親子は、当時ここにあった籾を貯蔵するための櫓で命を絶ったそうだ。
「露とおち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢」
秀吉はこの顛末を予期して、辞世の句に詠んだのかもしれない。
大阪城のトリビア
1620年(元和6年)、江戸幕府二代将軍・徳川秀忠は大阪城の天下普請に着手し、普請総奉行の藤堂高虎に、「石垣を旧城の2倍に、堀の深さも2倍に」と命じる。
そして1626年(寛永3年)、10年に渡る大規模な再興工事の末、外壁が白漆喰に様変わりした、純白層塔型の「徳川大坂城」の天守が完成した。
もちろん秀忠のハッパが効いて、大阪城の石垣は日本一の高さを誇っている(笑)。
ちなみに、2番に高い石垣を持つ伊賀上野城も、藤堂高虎の築城だ。
大坂城の石は、廃城になった伏見城をはじめ、加茂(京都府)や六甲(兵庫県)からも運ばれたが、良質の花崗岩の産地であった瀬戸内海の島々からも多くの石が切りだされ、船で大坂まで運ばれている。
島の中には、苦労して切り出してきたにもかかわらず、大坂まで運ばれないまま、400年以上も港に置き去りにされている石が今も見られるところがある。
小豆島の「道の駅 大阪城残石記念公園」もそのひとつ。
こういうのを見ると、当時の将軍様の権力がよく分かる。
ここまで書くなら、ついでに関白様のチカラも紹介しちゃおう。
世界自然遺産・屋久島の「縄文杉」に行く途中にある「ウィルソン株」は、1586年(天正14年)に、豊臣秀吉の命令で大坂城築城の為に切られた樹齢3000年とも云われる屋久杉の切株だ。
歩いて行くだけでも大変な秘境から、いかにして巨木を運び出したのか分からないが、あまりのスケールの大きさに、空いた口が塞がらない。
今なら、世界中から間違いなくバッシングされるだろう(笑)。
トリビアの最後は、現代の大阪城の話。
実は「大阪城」の天守は、1665年(寛文5年)の落雷で焼失したあと再建されず、大手門や多聞櫓以外の建物も、1886年の戊辰戦争の動乱で焼失している。
現在の大阪城は、戦前の1931年(昭和6年)に再建されたものを復興すべく、昭和33年から41年にかけて櫓・蔵などが修復され、1997年(平成9年)に行われた「平成の大改修」によって、天守が修復されている。
その天守の見どころは、四層までは白壁で、五層目が黒壁に金箔で虎や鶴の絵を描いている点で、これまでの話を総合すると、三代目の大坂城は豊臣・徳川の「折衷城」ということになる。
なんと大胆、というか中途半端な!
歴史上なかったものを建造するなんて、ありえない(笑)。
大阪人はやっぱり太閤さんが好き!
ということで、現在は大阪城天守の横にある豊臣時代の石垣を発掘し、それを展示する施設を建設中だ。
大阪府にはぜひ万博とカジノで儲けて、ここに木造の「豊臣大阪城」を復元してもらいたい。
吉村さん、よろしくね。
大阪城探訪のベストシーズンは、「梅」「桜」「桃」の咲く季節
ここまでは「史跡・大坂城と大阪城」の話をしてきたが、ここからは府外から車中泊で「大阪城公園」を訪れる人に向けての話をしたい。
というのは、大阪城そのものはどの季節に見ても変わらないのだが、天守を取り巻くように整備された「大阪城公園」には、花の咲く木がたくさん植えられており、特に「梅林」「桜並木」「桃園」は美しい。
同じ行くなら、それと合わせて大阪城を楽しんでいただくほうがいいだろう。

大阪城見物に利用できる、駐車場&お勧めの車中泊スポット
これは「どこまで大阪見物がしたいか」あるいは「どういう環境で車中泊がしたいか」によって違うのだが、ここでは大阪城のお勧め駐車場と、離れたところにある車中泊スポットを紹介しておこう。
大阪市内で泊まりたい!
大阪城までクルマで来て、見学後に車中泊のできる駐車場に移動し、それからコアな大阪の街に繰り出したい人には、こちらの「てんしば」がお勧めだ。
コインパーキングとは思えない環境が、大阪のほぼど真ん中に存在する。
なお大阪城の周辺にはたくさんの駐車場があるが、土地勘のない人にも分かりやすくて良心価格なのは、「D-parking 大阪城公園駅前駐車場」だろう。
料金精算機の屋根も出っ張っていないので、キャブコンでも入庫できる。
そして何よりここはJR大阪城公園駅を目指せば迷わず戻って来れるし、すぐ近くに食事処とコンビニもある。
下の写真の左側が駐車場だ。
D-parking 大阪城公園駅前駐車場
全日 8:00~22:00 60分/¥350
全日 22:00~8:00 60分/¥150
24時間営業
収容台数171台
大阪城まで電車で行ける、生活環境の整った場所で泊まりたい!
電車で20分、トイレ・温泉・スーパーマーケット・食事処いろいろありの駅前コインパーキングをご紹介。
ここはたぶん、現地を見たら驚くに違いない(笑)。
歴史大好き・写真大好きのための、大坂城スペシャルガイド


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