この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の中のひとつです。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。

富士山本宮浅間大社」は、世界文化遺産「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」の象徴的存在
富士山本宮浅間大社の概要
噴火を繰り返していた富士山を鎮めるために建立された「富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)」は、全国に約1300社ある浅間神社の総本宮。
本殿は富士宮市内にあるが、富士山8合目以上も所持しており、山頂には奥宮が鎮座する。
奥宮では7・8月の開山期に神職が奉仕し、登山者の安全などを祈願するほか、お札やお守り・御朱印の授受なども行なっており、世界文化遺産「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」の象徴的存在と云っても過言ではない。
ちなみに富士山は、7合目から下の部分については、静岡県と山梨県の県境が決められているが、8合目以上については「富士山本宮浅間大社」の敷地ということで、地図上にも県境は記載されていない。
ただし山頂の山小屋の郵便番号は、便宜上、静岡県側の〒418-0011になっているそうだ。
富士山本宮浅間大社の歴史
さて。「富士山本宮浅間大社」の歴史を辿ると、806年に平城天皇の命を受けた坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が、山宮浅間神社の神様を現在の場所に移し、壮麗な社殿を建てたのが始まりとされている。
平安時代から江戸時代にかけては、朝廷や武将など時の権力者達から信仰を集めるようになるが、中でも徳川家康は熱心で、関ヶ原の合戦の戦勝を記念して、1606年(慶長11年)に現在の楼門と、「浅間造」という独特の神社建築様式を持つ本殿を寄進している。
もっとも、富士山はそれ以前から駿河一円を支配する徳川家の土地だと認識されており、八合目以上はこの時一緒に「富士山本宮浅間大社」に寄進された。
「富士講」と呼ばれる富士山を崇拝する民間信仰が現れ、庶民の信仰が篤くなるのは江戸時代中期以降で、信仰としての富士登山が盛んになり、それに呼応して「富士山本宮浅間大社」への参拝客も増大する。
明治時代には社格が官幣大社に昇格し、1982年には浅間神社の総本宮にふさわしい、現在の「富士山本宮浅間大社」へと改名された。
ちなみに「富士山本宮浅間大社」の境内に昔からある湧玉池は、富士山の雪解け水が何層にもなった溶岩の間でろ過され、湧き出でている水源で、国の特別天然記念物に指定されている。
古来はこの霊水で身を清めてから富士登山をする風習があった。
意外だったのは「富士山本宮浅間大社」の本殿に祀られているのが、木花之佐久夜毘売命(このはなさくやひめのみこと)という女神様だったこと。
木花之佐久夜毘売命の本名は葦津姫(カヤツヒメ)で、天照大御神の孫・ニニギノミコトの妻である。
ゆえにご利益は、安産・縁結びなど女性にちなんだ内容となっており、御神木も桜の木だ。
さっきまでの勇猛な話とはずいぶん違っている気がしないでもないが、実は「富士山本宮浅間大社」の御神体は富士山である。
ご承知の方も多いと思うが、日本の神社は祀神と御神体が別物になっている。
ヤマト王権の神社管理担当者は、実にうまい作戦を思いついたものだ(大笑)。
富士山本宮浅間大社の駐車場
「富士山本宮浅間大社」には2つの駐車場がある。
見えているのは浅間大社第二駐車場で、道から見えるが入り方が分かりづらい。逆に場所はわかりにくいが、入庫しやすく空いているのは浅間大社の第一駐車場で、車中泊も可能だ。
浅間大社第1駐車場
「富士山本宮浅間大社」の楼門そばにある発券式のパーキング。開閉式のバーはあるが、精算機の軒先が出ていないのでハイルーフ車も入庫できる。
約75台収容で、第二駐車場より空いている場合が多いようだ。料金は入庫後30分までは無料で、以降は1時間毎に200円。24時間最大の駐車料金は1500円。
なおトイレは山門入口の観光案内所の隣にある。
浅間大社第2駐車場
ややこしい話だが、参道がある赤鳥居(第二大鳥居)の裏手にあるのが、浅間大社の第2駐車場。
こちらは場内に係員が常駐し、手書きで発券を行う。収容台数は約75台で、料金も第一駐車場と同じだが、こちらの利用時間は7時から17時30分までになる。
富士山本宮浅間大社周辺の見どころ

なお参道入口に立つ大鳥居の向かいには、B1グランプリで有名になった富士宮焼きそばが食べられる「お宮横丁」もある。
世界文化遺産「富士山」 車中泊旅行ガイド
車中泊でめぐる「富士山ー信仰の対象と芸術の源泉」をテーマにした、オリジナルのマイカー旅行ガイドです。


