「クルマ旅専門家」・稲垣朝則が、10年以上かけてめぐってきた全国の温泉地を、「車中泊旅行者の目線」から再評価。車中泊事情や温泉情緒、さらに観光・グルメにいたる「各温泉地の魅力」を、主観を交えてご紹介します。
日本最後の完全城郭建築
松山城は、市の中央にある標高132メートルの勝山山頂に本丸が建ち、裾野に二之丸・三之丸がある日本有数の平山城で、姫路城、和歌山城とともに日本三大平山城のひとつに数えられている。
松山城は2つある?
日本には松山城が2つあるが、一般的には格式の高いこの城を指すことが多いようだ。ただ、混乱を避けるために「伊予(いよ)松山城」と称することもある。
ちなみにもうひとつは、岡山県の高梁市にあることから、「備中(びっちゅう)松山城」と呼ばれている。
秋になると雲海の上に天守が浮かぶことで有名だが、NHKの大河ドラマ「真田丸」で、CGIを駆使したイントロの映像に使われたことでも脚光を浴びた。
さて。松山城は高台にあるため、現代人は身分にかかわらず、ロープウェイかリフトを利用して登城する。
それを昔の殿様が見たら、きっと仰天するに違いない(笑)。
天守最上階は360度の展望が開けており、松山平野から、遠く瀬戸内海まで見渡すことができる。
ちなみに岡山の倉敷は、松山藩に物資を届けるために開かれた港だったという。いやはや徳川の力、恐るべし!(笑)。
松山城の見どころ
自慢の天守は、黒船来航の翌年にあたる1854年(安政元年)に再建されている。
そのため、「現存十二天守」の中ではもっとも新しいが、我国最後の完全城郭建築ともいわれている。
城内の21棟の建造物は国の重要文化財に指定され、戦災などで失われた建造物も、その多くは木造で復元されている。
また天守曲輪、本丸、二之丸の石垣はほぼ完全に残っており、当時の縄張りもほぼそのまま維持している。
全国の名城に名を連ねる理由は、そこにある。
松山城の歴史
今度はその歴史を、簡単に振り返ろう。
築城に着手したのは、もともと秀吉の家臣で、関が原の戦いでは徳川方についた西国大名の加藤嘉明(よしあき)。
だが、松山城の完成直前に会津藩へ転封となり、次に城主となった蒲生氏郷の孫・蒲生忠知(がもう ただとも)が後を継いで、二之丸などを完成させた。
しかし跡継ぎに恵まれず、在藩7年でお家断絶となってしまう。
徳川家康の甥にあたる松平定行が城主となるのは1635年。それ以降、明治維新までの235年間にわたり、四国の親藩大名としての役目を担ってきた。
この間、天守は1642年に五重から三重に改修され、更に1784年の落雷で焼失した後、幕末の1854年に再建されて、今日に至っている。