この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、日本全国で1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、「車中泊ならではの歴史旅」という観点から作成しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ、弘法大師三大霊跡のひとつ
四国が生んだスーパースターと云えば、「坂本龍馬」も間違いではないと思うが(笑)、その龍馬よりも1000年以上前に生まれ、仏教のみならず、文化、教育、土木に及ぶ多大な業績を残した人物が、「空海」こと弘法大師だ。
「善通寺」はその弘法大師の誕生地にして、真言宗善通寺派の総本山。空海ゆかりの国宝や大楠があり、創建当時の伽藍配置を残している。
「善通寺」は平安時代初頭の807年に、唐から帰国した弘法大師が先祖の菩提を弔うため、807年(大同2年)から6年の歳月をかけて建立した真言宗最初の根本道場で、父の文君佐伯善通公の名をとって寺号とした。
広大な境内は創建地である東院(伽藍)と、空海生誕地とされる西院(誕生院)に分かれている。
本格的な興隆を迎えたのは鎌倉時代に入り、天皇や上皇からの庇護や荘園の寄進を受けるようになってからで、その背景には、平安後期に広まった弘法大師信仰があり、誕生の地に伝わる大師自筆とされる「瞬目(めひき)大師像」への崇敬があるとされる。
「瞬目大師像」は、御影堂の本尊で50年に1度、弘法大師遠忌のとき開帳される。次回は2034年の予定だが、生きていれば見てみたいものだ。
東の伽藍、西の誕生院という現在の形式ができあがったのは、誕生院が建立された1249年(建長元年)。
室町時代には兵火に遭い伽藍を焼失するが、1588年(天正16年)に生駒親正から28石、生駒一正から35石の寄進を受けたて立ち直る。さらに江戸時代は、高松松平家や丸亀京極家の庇護を受けて大いに栄えた。
明治に入ると付近に陸軍基地が置かれ、軍都として発展する。江戸時代までは、現在の東院である善通寺と現在の西院である誕生院は別の寺院だったが、明治元年に単一の寺院となった。
弘法大師は、四国・京都・和歌山のみならず、伊豆の修善寺や神奈川の川崎大師など、日本各地にゆかりの場所がたくさんある。
それもあって、旅人には親しみを抱かせる人物だけに、ここまで来たらお遍路さんでなくても、善通寺には足を運んでみる価値はあると思う。
なお、四国霊場八十八ヶ所では1番ではなく、75番目の札所になる。
最寄りの車中泊スポット
善通寺から一番近い車中泊スポットは、7キロほどのところにある「道の駅ふれあいパークみの」だが、ここは勧めない。
そこよりはまだ10キロほど離れるが、同じ温泉併設の「道の駅たからだの里さいた」のほうが、車中泊には好適だ。
香川県 車中泊旅行ガイド
車中泊ならではといえる高知の愉しみ方をご紹介。