菅原道真公を祀る、黒田如水ゆかりの「太宰府天満宮」

昭和34年に生まれた筆者の同世代なら、さだまさしの名曲「飛梅」を知る人は多いと思う。その懐かしい歌が聞きたいという人はこちらをクリック
今は本当に便利な時代だ(笑)。

「飛梅」は1977年7月25日に発売されたソロ2枚目のオリジナル・アルバム「風見鶏」に収録された楽曲で、太宰府天満宮を舞台に『大鏡』等に記されている菅原道真公の、特に飛梅伝説をモチーフにしている。

その後の「防人の歌」や「まほろば」など、さだまさしの得意とする日本の古典的題材作品に連なる最初の曲で、その何とも叙情的で繊細な描写が、彼をスターダムへ押し上げたといっても過言ではないだろう。

さて。飛梅伝説は、菅原道真が平安京朝廷内における藤原時平との政争に敗れ、遠く大宰府へ左遷されることとなった901年(延喜元年)に、屋敷で日頃から愛でてきた梅の木・桜の木・松の木との別れを惜しんだことに端を発する。その際に、梅の木について詠んだのが、この有名な和歌だ。

東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅花(うめのはな) 主なしとて 春な忘るな

現代語訳
主人(こと、私)がいなくなっても、春が来るたび忘れることなく、梅の木よ、芳しい花を咲かせておくれ。

伝説によれば、桜はそれから悲しみに暮れ、見る見るうちに葉を落とし、ついには枯れてしまう。いっぽう梅と松は、道真公の後を追いたい気持ちを抑えきれずに空を飛んだ。

ところが松は途中で力尽き、摂津国八部郡板宿(現・兵庫県神戸市須磨区板宿町・飛松岡)に降り、結局この地に根を下ろした。だが梅は、見事その夜のうちに主人の暮らす大宰府まで飛んで行ったという。その3本の木があったとされるのが、写真の京都御所前に残る菅原道真の生家・菅原院天満宮だ。

というわけで、此処から先は「飛梅」の歌詞に沿いながら、太宰府天満宮の見どころに迫っていこう。

もちろん、最初から「その気」で取材に臨まなければ、このストーリーは書けない(笑)。しかし、マニアック過ぎて雑誌には載せられない(爆)。

心字池にかかる 三つの赤い橋は
一つ目が過去で 二つ目が現在

三つ目の橋で君が 転びそうになった時
初めて君の手に触れた 僕の指

心字池というのは、「心」の字をかたどって造られた神社仏閣などにある日本式庭園の池の総称。

太宰府天満宮の心字池には、太鼓橋・平橋・太鼓橋の三橋がかかっており、仏教思想でいう「過去・現在・未来の三世一念の相」を現わしているという。そして、この橋を渡ることでによって、三世の邪念が払われると信じられてきた。

手を合わせた後で 君は御籤(おみくじ)を引いて
大吉が出る迄と も一度引き直したね
登り詰めたらあとは 下るしかないと
下るしかないと気付かなかった天神様の細道

普段の太宰府天満宮のおみくじは「梅色」。
ただし今年2014年はワールドカップサッカーの必勝を祈願したサムライブルーだったそうだ。筆者が行った直後に、その入れ替えが行われたようで、残念。

裏庭を抜けて お石の茶屋へ寄って
君がひとつ 僕が半分 梅ヶ枝餅を食べた

来年も二人で 来れるといいのにねと
僕の声に君は 答えられなかった

梅が枝餅の由来は、菅原道真が太宰府で罪人同様の生活を強いられていた時代に遡る。毎日の食事にも事欠くという悲惨な暮らしぶりを見かねた老婆(後の浄明尼)が、梅の枝に栗餅を巻き付けて差し入れたのがその始まりだそうだ。

ちなみに梅ケ枝餅は、門前通りの多くの店でも売られており、写真はその中の寺田屋で食べたもの。「お石茶屋」は太宰府天満宮本殿裏の奥まった場所にあり、少し分かりにくいかもしれない。

さて、この展開も、そろそろネタ切れ(笑)。ということで、これから先は一般的に云われている見どころを辿ることにしよう。

太宰府天満宮には12頭もの牛の像があるというが、菅原道真と牛の関係については、有名な牛が歩みを止めた場所を墓所にした話以外にも、道真の誕生日・承和12年6月25日(845年)や、死去日・延喜3年2月25日(903年)が丑の日だった、あるいは、道真公が大宰府に落ちてゆく途中で命を狙われた時、白牛に助けられたなどの逸話が残されており、それが神使説へと通じているようだ。

中には置かれた牛の頭を撫でると賢くなるという話もあるが、はたしてどうなのだろう。だが、この前を通るほとんどの人がそうする…もちろん外国人もだ(笑)。

重層の入母屋造りで檜皮葺の二重門を持つ「楼門」は、慶長年間(1596~1615年)に石田三成が再興したとされるが、明治時代に焼失し1914年に再建された。

本殿は天正19年(1591)に、小早川隆景によって再建された五間社流造の安土桃山建築。右側の欄間には、中国に古くから伝わる登龍門伝説が彫られている。

さて。太宰府天満宮は、黒田官兵衛のゆかりの地でもある。

キリシタンであることからもわかるように、官兵衛は信心深く、天満宮の祭りごとがあれば寄進を積極的に行っていた。中津から福岡に封じられた際には、太宰府天満宮の境内横に仮住まいをしており、その際に茶の湯に使っていたとされる井戸が写真の「如水の井戸」で、その隣には勘兵衛の御霊を祀る「如水社」がある。

「如水の井戸」と「如水社」があるのは、楼門の外に建つ宝物殿の横。飛梅の横から抜ける梅林の方ではないので、くれぐれも迷わないように。

太宰府天満宮の駐車場事情

 

太宰府天満宮にマイカーで行く場合は、門前通りではなく裏手に有料駐車場が並んでいる。お勧めは、太宰府天満宮の裏口正面にある「三条駐車場」。平面でゲートもなく、キャンピングカーでも安心して停められる。

時間があれば、少し戻って門前町から歩くほうが面白い。

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太宰府天満宮
〒818-0195 福岡県太宰府市宰府4−7−1
☎092-922-8225

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