車中泊旅行歴25年のクルマ旅専門家が、学問の神様「菅原道真」を祀る「北野天満宮」を、その成り立ちから詳しく紹介しています。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド

この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」がまとめた、「一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台」を車中泊で旅するためのガイドです。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
~ここから本編が始まります。~
”学問の神様”菅原道真を祀る「北野天満宮」は、ミステリアスな逸話から誕生した異例の神殿

北野天満宮 DATA
北野天満宮
〒602-8386
京都市上京区馬喰町 北野天満宮
☎075-461-0005
開門時間:7時~17時
参拝無料
宝物殿
入館料:500円
毎月25日・1/1・4月中旬〜5月中旬(青もみじシーズン)・11月上旬〜12月上旬(紅葉シーズン)・12/1・2月上旬〜3月下旬(観梅シーズン)のみ営業
開館9時〜16時(入館は15時30分まで)
駐車場
1時間600円、以降30分200円で、最大料金の設定はなし
ただし、御祈祷・御手洗川足つけ燈明神事・国宝御本殿石の間通り抜け神事奉賽者、宝物殿拝観者、もみじ苑・青もみじ苑・梅苑入苑者は、受付にて90分間無料のQRコードチケットがもらえる。
北野天満宮の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2014.11.24
2022.01.16
2022.02.21
2022.03.08
2022.04.09
※「北野天満宮」での現地調査は2022年4月が最新で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2024年5月に更新しています。
北野天満宮 目次

菅原道真の不幸

実在人物が「神様」として祀られているのは、「武田信玄」「徳川家康」「吉田松陰」など、特に戦国時代以降はさほど珍しいことではない。
だが、平安時代に生きた「菅原道真(すがわらみちざね)」ほど、ミステリアスな逸話の残る歴史上の人物はいまい。
おそらくその理由は、功績に対して不遇過ぎた晩年の人生に起因している。

平安時代の貴族・学者・漢詩人・政治家として活躍した「菅原道真」(845年~903年)は、「宇多天皇」に重用された忠臣として名高く、さらに次の「醍醐天皇」のもとで、右大臣にまで上り詰めたエリート官僚だった。
だがその才能を妬む左大臣「藤原時平」の政略により、身に覚えのない罪を着せられ、901年に突如「太宰府」に左遷されられてしまう。
「太宰府」の長官職に当たる「太宰権帥(だざいのごんのそち)」の地位にありながら、事実上は幽閉状態で、一度も登庁せず、与えられた官舎は床が朽ち、屋根は雨漏りするようなところであったという。
そして2年後、失意のままこの世を去った。

「菅原道真」が最初に神として祀られた地は、故郷の京都ではなく福岡だった。
「道真」の死から2年後の905年(延喜5年)に、近臣の「味酒安行(うまさけやすゆき)」が埋葬した地に祠を造り、「天満大自在天神」と名づけたことが始まりとされている。
この話の詳細は「車中泊で旅する九州編」に収録している「太宰府」と「太宰府天満宮」の記事で紹介しているので、興味があれば合わせてご覧いただきたい。
北野天満宮 建立のあらまし

さて。
とはいっても、格式の上では京都の「北野天満宮」が”本宮”になる。

写真は重要文化財の三光門で、豊富な彫刻の中に日月星(じつげつせい)があることから、そのように呼ばれている。

「北野天満宮」の生い立ちがミステリアスなのは、ここからだ。
「菅原道真」亡き後の京都では、日食・月食や干ばつ、洪水、疫病が流行り、”道真の祟り”という噂が流れていた。
そんな折、「道真」をおとしめた「藤原時平」とその娘、さらに「道真」左遷の片棒を担いだ「藤原菅根」が相次いで死んだ。
さらに続けて、左遷に関わった「時平」の一族、そしてその血族の皇太子までが不慮の死を遂げる。
さすがに朝廷も「道真」鎮魂のために腰を上げざるを得なくなり、「醍醐天皇」は位を右大臣に戻し、従ニ位から正ニ位に昇進するなどの措置をとったが、まったくその効果は現れなかった。

そして930年(延長8年)6月、今度は御所の清涼殿に落雷があり、大納言の「藤原道貫」ほか5名が焼死する。
「醍醐天皇」はショックで体調を崩し、帝位を譲った七日後にこの世を去った。
それから10余年の月日が経った942年(天慶5年)、右京七条に住む「多治比文子(たじひのあやこ)」という少女に、「道真」から託宣(たくせん)があり、5年後にも近江国の神官の幼児である「太郎丸」に同様の託宣が下った。
私はこの世にあった時、よく右近馬場に遊んだものである。思わぬ禍に遭い左遷され、京に帰ることも叶わなかったが、こうして時々京に戻ってみると、胸内の怒りが薄れてゆく気がする。
今の私は天神の号を得て、国を鎮護せんと思っている。
どうかこの地に祠を構えて、私が京に滞在するための便を計って欲しい…

947年(天暦元年)、ついに朝廷は託宣に基づき現在の京都北野に「菅原道真」を祀る社殿を造営。
さらにその後、政敵であった「藤原時平」の甥の「藤原師輔」が、自らの屋敷を寄贈し、壮大な社殿に作り直された。
そして永987年(延元年)、初めて勅祭が行われ、「一条天皇」から「北野天満宮天神」の称が贈られる。
話は少し逸れるのだが…
「一条天皇」に、見覚えというか聞き覚えのある人は、2024年に放送されているNHKの大河ドラマ「光る君へ」をご覧の方だと思う。

出典:NHK
俳優の「塩野 瑛久」が演じる「一条天皇」の母は、「吉田羊」が演じる「藤原 詮子」で、最愛の妻は「高畑 充希」の「藤原 定子」といえば、「ええっ!あのイケメンか」となるに違いない(笑)。
云われてみれば、確かに同じ平安時代の出来事ではあるが、聞くまでは気づかない人物関係…
これだけではなく、現在の京都御所は「柄本 佑」が扮する「藤原道長」が婿入りした、「黒木 華」が演じる「源 倫子」の実家があった場所だ。
これぞまさしく、平安のトリビア。
番組の最後で、ここらあたりにも触れてくれると、日本人としては嬉しいね。

さて、話を元に戻そう。
「北野天満宮」の国宝の本殿は、1607年(慶長12年)に「豊臣秀頼」が造営した、八棟造と称される絢爛豪華な桃山建築。

さらに境内は、「道真」が愛でた梅と紅葉の名所になっている。
また毎月25日は縁日で、境内には多くの露店が立ち並び賑わいをみせ、宝物殿も特別公開されるようだ。

「道真」の御霊としての性格が薄れ、学問の神として広く信仰されるようになったのは、さらにそれから500年を経過した江戸時代以降のことだという。
実はこの話には、まだ続きがある…

平安時代から、京都には町の辻々に「鬼神像」と呼ばれる木製の人形を置いて、遠方から舞い込む邪気を祓う慣習があったといわれる。
それがなんと平成14年の北野天満宮1100年大萬燈祭の際に、本殿の奥にあった長持ちの中から発見された。
鬼神像は北野天満宮の宝物殿に保存されており、筆者は幸運にも「特別展」でそれを目の当たりにすることができた。
鬼神像13体はいずれも憤怒の表情をしており、”「道真」のたたり”と無関係であるようには思えなかった。
北野天満宮のアクセス&駐車場

収容台数約300台を誇る「北野天満宮」の駐車場は、筆者が参拝した当時は無料だったが、残念なことに2023年7月26日以降有料化されている。
駐車料金は1時間600円、以降30分200円で、最大料金の設定はない。
ただし、御祈祷・御手洗川足つけ燈明神事・国宝御本殿石の間通り抜け神事奉賽者、宝物殿拝観者、もみじ苑・青もみじ苑・梅苑入苑者は、受付にて90分間無料のQRコードチケットがもらえる。
なお駐車場は半舗装で、木が覆いかぶさっているため、キャブコンは入庫できない場所もあると思う。
PS/その他の京都に残る、菅原道真ゆかりの地
筆者はさらに、菅原道真公にゆかりの深い京都の2つの神社にも足を運んでいる。
菅家邸址(菅大臣神社)

「菅原道真」の邸や、”菅家廊下”と呼ばれた学問所のあった場所に建立された「菅原道真公」を祭神とする神社で、「道真」誕生の地とも伝えられ、「天満宮誕浴の井」が保存されている。

「天神御所紅・白梅殿」と呼ばれ、境内には本殿・幣殿ほか、八棟の社殿が建つ。

本殿はかつての下鴨神社の本殿を、1869年(明治2年)に移築したもので、”幣銅巻柿葺”の豪華な建築は、鎌倉期のものとされている。
また有名な「飛梅」伝説の地もここ。

「さだまさし」の楽曲でもお馴染みの「飛梅」伝説は、「菅原道真」が政争に敗れ、遠く「大宰府」へ左遷されることとなった901年(延喜元年)に、屋敷で日頃から愛でてきた梅の木・桜の木・松の木との別れを惜しんだことに端を発する。
その際に、梅の木について詠んだのが、この有名な和歌だ。
東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅花(うめのはな) 主なしとて 春な忘るな
【現代語訳】
主人(こと、私)がいなくなっても、春が来るたび忘れることなく、梅の木よ、芳しい花を咲かせておくれ。
伝説によれば、桜はそれから悲しみに暮れ、見る見るうちに葉を落とし、ついには枯れてしまう。
いっぽう梅と松は、道真公の後を追いたい気持ちを抑えきれずに空を飛んだ。
ところが松は途中で力尽き、摂津国八部郡板宿(現・兵庫県神戸市須磨区板宿町・飛松岡)に降り、その地に根を下ろした。
だが梅は、見事その夜のうちに主人の暮らす「大宰府」まで飛んで行ったという。

ただ不思議なことに、飛んでいったはずの梅の木はまだそこにあり、1000年を経て”区民の誇り”になっていた(笑)。

それにしても…
もはやこうなると中を覗く人もいるはずだし、子供はお勉強もできないと。
名家の子孫も大変だね!(爆)。
菅原院天満宮

「京都御苑」の「蛤御門」から、烏丸通を丸太町通に向かって少し下ると、「菅原院天満宮」がある。
ここは「菅原道真」の先祖三代が住んでいた邸宅跡で、「菅原道真」と父「是善」、祖父「清公」を祀っており、ここも「道真」生誕の地とも云われている。

「菅原道真公 産湯の井 」は、「道真」が誕生した際に産湯に使われたとされる井戸で、2010年(平成22年)に改めて採掘され、今も地下水が湧き出ている。
ちなみに京都市内には、「菅原道真」生誕地と伝わる場所が、この2つに南区の「吉祥院天満宮」を加えた3ヶ所あり、そのうち胞衣塚のある「吉祥院天満宮」と、産湯の井戸がある「菅原院天満宮神社」が有力視されているようだ。
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