京都・洛南にある豊臣秀吉ゆかりの桜の名所「醍醐寺」の、歴史と魅力をご紹介。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド
この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」がまとめた、「一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台」を車中泊で旅するためのガイドです。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
~ここから本編が始まります。~
桜の名所になったきっかけは、太閤殿下が主催した「醍醐の花見」
醍醐寺 DATA
醍醐寺
〒601-1325
京都市伏見区醍醐東大路町22
☎075-571-0002
拝観券
通常期:1000円(三宝院庭園・伽藍)
春期(3/20~G.W最終日):1500円(三宝院庭園・伽藍・霊宝館庭園)
拝観時間
3月1日〜12月第1日曜日まで:9時〜17時
12月第1日曜日の翌日〜2月末日までの期間:9時〜16時30分
※閉門時間30分前で受付終了
醍醐寺の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2011.04.06
※醍醐寺での現地調査は2011年4月が最後で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2024年5月に更新しています。
醍醐寺 目次
ビフォー 豊臣秀吉
極端な話、京都で春に桜が咲かない寺社仏閣は皆無に等しい(笑)。
だが、時間と予算に限りがある観光客にとって大事なのは、その中の”本当に高い拝観料を払ってまで観る価値があるところ”はどこかだろう。
その意味では、天下人となった「豊臣秀吉」が一世一代の花見を催した「醍醐寺」が、歴史ファンにとってランキングの高いスポットになるのは間違いあるまい。
平安時代の874年に建立された「醍醐寺」は、京都市伏見区にある真言宗醍醐派総本山で、本尊は薬師如来、創建は「空海」の孫弟子にあたる「理源大師聖宝」による。
当時は醍醐山の山頂付近に御堂があり、修験者の霊場として発展した。
現在もそこには国宝の薬師堂・清瀧宮、国重要文化財の開山堂・如意輪堂など数々の堂宇が点在し、”上醍醐”と呼ばれている。
907年。
「醍醐天皇」が「醍醐寺」を自らの祈願寺と定め、醍醐山の麓に壮麗な伽藍群を建立する。
それが”下醍醐”こと、現在の「醍醐寺」だ。
平安時代末期の1115年には三宝院が建立され、「醍醐寺」は京都有数の大寺院へと発展を遂げるが、室町時代の1467年に勃発した「応仁の乱」による兵火で、”下醍醐”の伽藍は五重塔を残して焼失し衰退した。
醍醐天皇の功罪
「醍醐天皇」は、「藤原時平」「菅原道真」を左大臣・右大臣として、摂政・関白を置かずに天皇親政の政治を行った人物で、34年の長きにわたって律令体制維持に努めた「醍醐天皇」の治世は、後に”延喜の治”と呼ばれ、律令政治の理想とされた。
そのいっぽうで、「藤原時平」の讒言を受け入れ、「菅原道真」を太宰府に左遷したことでも知られており、それがきっかけで無念の死を遂げた「菅原道真」の霊を鎮めるために建立されたのが、京都の「北野天満宮」と福岡の「太宰府天満宮」になる。
ビフォー 豊臣秀吉
さて。
その寂れた「醍醐寺」の再建を担ったのが、天下人となった豊臣秀吉だ。
1598年に後述する”醍醐の花見”を行ったことがきっかけで復興が始まり、焼失した伽藍の大部分が再建された。
ちなみに、「醍醐寺」が世界遺産に認定された主な理由はこちら。
1000年を超える歴史を持つ「醍醐寺」は、開山以来、僧侶・天皇・貴族・武家、さらには民衆の祈りとともに歴史を育み、文化を伝承してきた。
しかし明治維新後に、新政府が”神仏分離”を押し進めたことに呼応するかたちで盛んになった、「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」運動に巻き込まれ、京都・奈良を中心とする多くの寺院と同様に、財源を求めて仏像や宝物の譲渡を余儀なくされる状況に追い込まれる。
しかし「醍醐寺」は、一切の宝物を流出させることなく困難な時期を乗り越え、その後は、火災や震災によって伽藍の一部が被害を受けることはあっても、大きく荒廃することなく現在に至っている。
現存する仏像・文書・絵画などの貴重な寺宝は約15万点で、そのうち75,537点が国宝に、また430点が国重要文化財の指定を受けており、その存在がユネスコからも大きな評価を受けるもとになったようだ。
醍醐の花見
かくかくしかじかで、桜がなくても行ってみたくなる「醍醐寺」だが、やはり気になるのは「醍醐の花見」だと思うので、最後はその話でまとめよう。
「醍醐寺」では、憲深林苑(けんじんりんえん)で咲き始める河津桜を皮切りに、しだれ・ソメイヨシノ・山桜・八重ザクラ、そして三宝院の大紅しだれと、金堂わきの大山桜が咲き終わるまでの約3週間にわたって、様々な桜が咲き誇る。
実はその多くは、「秀吉」が”醍醐の花見”を催すために、数ヶ月かけて近隣諸国から移植をしたものだと云われており、その数およそ700本。
いかにも秀吉らしい逸話だが、一方では「秀吉」と良好な関係を築いていた第80代座主(ざす=住職)の「義演(ぎえん)」が、太閤の最期が近いことを感じ取り、英雄の最後にふさわしい大舞台をしつらえるために、あちこちに桜を手配をし、実現させたともいわれている。
そして1598年4月20日(慶長3年3月15日)、後に”醍醐の花見”と呼ばれる盛大な宴会が、三宝院裏の山麓において催された。
それは「秀頼」「淀殿」「北政所」ら近親者を初めとして、諸大名からその配下の女房女中衆約1300人を召し従えた盛大な催しで、九州平定直後の”北野大茶湯(おおちゃのゆ)”と双璧をなす、「秀吉」一世一代の催し物として語り継がれている。
その約5か月後に、「秀吉」は幼い「秀頼」を「家康」らに託してこの世を去るわけだが、一連の歴史が判明し、様々に描かれている現代だからこそ、その場に足を運んで感無量になることも多い。
なお「醍醐寺」では、現在でもこれにちなんで毎年4月の第2日曜日に「豊太閤花見行列」を催している。人混みに耐えるガッツのある人は、ぜひ!(笑)。
醍醐寺の場所とアクセス
公共交通機関
地下鉄東西線「醍醐駅」から850メートル・徒歩約15分
駐車場利用可能時間
3月1日から12月第1日曜日
9時~16時20分
12月第1日曜日翌日から2月末日
9時~15時20分
駐車料金
普通車:5時間まで700円
以降100円/30分
大型車(車高2.1メートル以上):2000円
以降300円/30分
※普通車1000円と表示しているサイトが多いようだが、こちらの2024年3月1日に更新された公式サイトでは700円となっている。
なお上の写真は2011年に撮影したもので、当時はボンゴフレンディーだったため、ハイエースでの入庫経験はない。ただGoogleで調べたところ、2024年5月時点で駐車場の仕様に変更は見受けられないようなので、利用は難しいと思われる。
安いのは「アルプラザ醍醐」の駐車場
醍醐駅東側にあり、駅西側の市営駐車場とともに駅ショッピングセンター利用者がメインの駐車場。
料金
入庫から最初の2時間は無料、以降100円/1時間。
24時間最大500円
ただしこちらもGoogleでみると、車高2.3メートルまでの立体駐車場のようだ。
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