大坂在住で歴史に精通する、車中泊旅行歴25年のクルマ旅専門家が、世界遺産・比叡山延暦寺における、「一般観光客にお勧めの拝観方法」を解説しています。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊旅行ガイド
この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の紹介です。
~ここから本編が始まります。~
比叡山延暦寺の”くたびれない拝観方法”をご紹介。
比叡山延暦寺 DATA
比叡山延暦寺
創建:最澄(788年)
宗派:天台宗
〒520-0116
滋賀県大津市坂本本町4220
☎077-578-0001
専用の無料駐車場あり
※アクセスには、ケーブルまたは有料道路の利用が必要
拝観時間
●東塔地区
通年:9時~16時
●西塔・横川地区
1月~2月・12月:9時30分~16時
3月~11月:9時~16時
※受付最終は15時45分
拝観料:大人1000円
東塔・西塔・横川各地区共通
比叡山延暦寺の筆者の歴訪記録
※記録が残る2003年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2003.11.20
2005.11.21
2011.11.23
2024.04.22
※「比叡山延暦寺」での現地調査は2024年4月が最新です。
比叡山延暦寺

比叡山延暦寺の概要
仏様に興味がなくても、「比叡山延暦寺」が遣唐使として海を渡り、天台宗の開祖として、日本に仏教を根付かせた”伝教大師”こと「最澄」が、平安時代の創世記に創建した、”仏門の総合大学”と呼ぶべき存在であることはご存知だと思う。
そして「その悟りの地に一度は足を運んでみたい」と思う想いは、現役の僧侶と京都を訪れる日本人、さらにはインバウンドで来る人にも共通しているようだ。
ちなみに、
世界遺産「古都京都の文化遺産」に名を連ねている「延暦寺」の所在地は、厳密に云うと京都市ではなく、滋賀県の大津市じゃないの?
読者の中には、そうツッコミを入れたい人もいると思うが、この世界遺産の定義は【古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市)】となっており、事実、東塔エリアは大津市だが、西塔エリアとの間に京都府との県境がある。
さすがは文化庁。そのあたりの表記に抜かりはなかった(笑)。
さて。
世界遺産に登録されている寺院だけに、子供の頃に修学旅行で行った、奈良の「東大寺」くらいの広さはあるだろう…
そんな程度に高を括って行くと、ここではびっくりさせられることになる(笑)。
「比叡山延暦寺」は、一棟の建造物の固有名称ではなく、比叡山全体に広がる境内に点在する、約100棟の堂宇の総称だ。
しかもその境内の広さは、甲子園球場500個分に相当している。
そのため拝観は、大きく「東塔エリア」「西塔(さいとう)エリア」「横川(よかわ)エリア」の3つの地区に分かれて行われており、各エリアの主だったお堂を見て周るだけで、1日仕事になる。
しかも境内には、アップダウンに満ちた「山道」と、踏み外せば転がり落ちて行きそうな「石段」が待ち受けている。
ゆえにそれを知ると、「そこまでして、行くこともなかろう」と、気持ちが萎える人もあるだろう。
しかし「最澄」ゆかりの聖地に、少し足を踏み入れられれば気が済む人には、それなりの楽しみ方がある。
そしてこの記事は、そういう人に「比叡山延暦寺」を楽しんでもらうためのものだ。
延暦寺の発祥地とされる「東塔エリア」に傾注する

出典:比叡山ドライブウェイ
結論から云うと、
さほど仏教に興味がない人には、「延暦寺」発祥の地とされる「東堂エリア」をゆっくりご覧になるのがお勧めだ。
比叡山延暦寺へのアクセス
「東塔エリア」へのアクセスには、京都または大津側の麓からケーブルに乗るか、有料道路の「比叡山ドライブウェイ」、もしくは「奥比叡ドライブウェイ」を走るかの、合わせて4つの選択肢がある。
もっとも…
当サイトは”車中泊クルマ旅”で訪れる人に向けての内容なので、ガイドは有料道路の利用を前提に、クルマを「延暦寺第一駐車場」に停めて、拝観をスタートする。
拝観料は、おとな1000円。
この料金で「東塔エリア」「西塔エリア」「横川エリア」のすべてが観られるので、本来はかなりお値打ちだ。
そのため「東塔エリア」だけだと、もったいないように感じるかもしれないが、それでもたぶん、帰る頃には元が取れた気になれると思う(笑)。
なお「東塔エリア」には「延暦寺第三駐車場」もあり、メインスポットの「根本中堂」には近いのだが、そこに停めると、後述する”「比叡山延暦寺」のお勧めゾーン”をスルーしてしまうので、筆者は勧めない。
加えて、「比叡山ドライブウェイ」はちょっとややこしい道なので、その詳細を別記事にまとめているが、この記事は必ず見て行くほうがいいと思う(笑)。
比叡山延暦寺の着目スポット
「東堂エリア」の中心は、もちろん「比叡山延暦寺」の総本堂である「根本中堂」になるわけだが、歴史に興味のある人は、駐車場から大講堂に続く通りに並べられたイラストパネルに注目しよう。
ここが先ほど触れた”「比叡山延暦寺」の着目スポット”だ。
このパネルを1枚1枚読みながら進んでいけば、「最澄」が比叡山に「延暦寺」を創建するに至った経緯が、おおまかに分かる。
「伝教大師」最澄
「伝教大師」こと「最澄」は、805年(延暦23年)に遣唐使として唐に渡っているが、遣唐使としての功績は、天台教学・戒律・密教・禅の4つの思想を学び、日本に伝えたことと云われている(四宗相承)。
「最澄」が生きていた頃、ここは「比叡山寺」と呼ばれており、「延暦寺」という寺号が許されたのは、その没後824年(弘仁14年)以降のこと。
時の「桓武天皇」は「最澄」に帰依していたことから、「比叡山寺」は「桓武天皇」と、その側近であった「和気清麻呂」の援助を受け、京都の鬼門(北東)を護る国家鎮護の道場として栄えるようになった。
「最澄」帰国後の「延暦寺」は優れた僧侶を育成するため、12年間比叡山にこもって修学修行に専念する教育制度を確立していたが、それは現代の総合大学のような性格を有していた。
鎌倉時代以降には、浄土念仏の「法然上人」「親鸞聖人」「良忍上人」「一遍上人」「真盛上人」、禅では臨済宗の「栄西禅師」曹洞宗の「道元禅師」法華経信仰の「日蓮聖人」など、我国の錚々たる高僧が比叡山で時を過ごしており、彼らが修行を積んだ地が、現在の「西塔エリア」と「横川エリア」に残されている。
「東塔エリア」の拝観コースガイド
さて。
改めて「東塔エリア」のマップを用意したが、その拝観は云ってみれば、「最澄」が創り上げた大学キャンパスの校舎をめぐるようなものだ。
ただこのマップではアップダウンと石段の場所と傾斜が分からないので、それを加味した、筆者お勧めの拝観コースガイドに沿って、お堂の紹介をしていこう。
まず「延暦寺第一駐車場」の入場口から境内に入り、行きは下り坂になる❶の”「比叡山延暦寺」の着目スポット”をゆっくり歩いて「戒壇院」を目指す。
❷戒壇院
「戒壇」は、僧侶としての規範である「戒律(かいりつ)」を守ることを誓う儀式が行われる場所で、「比叡山延暦寺」の重要なお堂とされている。
建立は828年だが、現在の建物は江戸時代の1678年に再建されたものになる。
「戒壇院」を観た後は、緩やかな登り坂と石段を登って「阿弥陀堂」と「法華総持院」に向かおう。
❸阿弥陀堂と法華総持院
右手に見える「阿弥陀堂」は、比叡山開創1150年大法要を記念して1937年(昭和12年)に建立された新しい建物で、本尊に阿弥陀如来を祀り、参拝者が施主となって日々念仏回向が行われている。
お堂の前にあるのは、水琴窟(すいきんくつ)と呼ばれる日本庭園の装飾のひとつ。
手水鉢の近くの地中に作りだした空洞の中に水滴を落下させ、その際に発せられる音を反響させる装置で、琴の音のような美しい響きを聞くことができる。
いっぽう、”東塔”とも呼ばれる左手の「法華総持院」は、最澄が日本の6ヶ所の聖地に建立した宝塔を総括する建物で、”信長の焼討ち”から400年を経た1980年(昭和55年)に再建されている。
次は坂を下って、国の重要文化財に指定されている「大講堂」へ。
❹大講堂
僧侶が法華経の講義を聞いたり、お互いに問答をして勉強する学問修行の道場で、多くの法会の舞台としても利用されている。
過去には幾度も焼失を繰り返しており、現在の建物は初代から数えて10代目で、1634年(寛永11年)に山麓の坂本に建立された「讃仏堂」を、1963年(昭和38年)に現在の場所に移築したものになる。
本尊は大日如来で、その両脇には「日蓮」「道元」「栄西」「円珍」「法然」「親鸞」「良忍」「真盛」「一遍」といった、比叡山から大成して新たに宗派を確立した祖師の像が安置されている。
大講堂を拝観したら、いよいよランドマークの「根本中堂」へ。
❺根本中堂
「比叡山延暦寺」には、東塔・西塔・横川の各エリアに、「中堂」と呼ばれる仏堂があり、その最大の仏堂である東塔の「根本中堂」は、延暦寺の総本堂に位置づけされている。
「根本中堂」のルーツは、最澄が788年(延暦7年)に創建した「一乗止観院(いちじょうしかんいん)」で、度重なる焼失を乗り越え、復興の度に規模も大きくなってきた。
現在の建物は、江戸時代に「徳川家光」の命で復興された入母屋造りの国宝で、中には創建以来絶やさず灯され続けてきた「不滅の法灯」と、その奥に「最澄」自作と伝わる薬師如来が安置されている。
ただ、「根本中堂」は2016年から約12年がかりとなる大改修中で、この覆いが外されるのは2028年頃になる予定だ。
筆者はそれを知っていて訪ねたのだが、外観が撮れない代わりに”工事中ならでは”の見どころが用意されており、多少なりとも中が撮影できるのは今しかない。
考えようによっては、
この景観が次に見られるのは早くても20年、いや50年先になるかもしれないので、中高年には今が見納めだし、若い世代でも筆者みたいに、いずれは”昔自慢”ができるネタになるので、足を運んでおいても損はないと思う(笑)。
ちなみにこちらが改修工事前に撮影していた「根本中堂」だが…
本当に貴重なのは、まだほとんどシワが目立たない家内のほうかもしれない(爆)。
なお改修工事中でも、「根本中堂」では無料でお坊さんの説法というか、ほとんどガイドに近い楽しい話を聞くことができる。
時間は10分ほどだが、内容はなかなか興味深い。
例えば、「油断禁物」の油断とはどこからきているのか…
あえてここでは答えを明かさないので、ぜひ現地まで足を運び、直接話を聞いてきていただきたい。
さて。
再びマップを見ると、「文殊楼」は「根本中堂」の眼の前にあるように見えるのだが、その間にある石段はイラストとは大違いだ(笑)。
「東塔エリア」の地理を知らないままだと、”覚悟を決めてここを登るしかない!”と思ってしまうのだが、
実はマップに❻と記した「大黒堂」経由で迂回すれば、もっと楽にアクセスできる。
❻大黒堂
比叡山には、「最澄」が「一乗止観院」を創建した時に、この「大黒堂」が建つ地で「三面大黒天」と出会ったとされるエピソードあることから、日本の大黒天信仰の発祥の地と云われている。
お堂の本尊は「最澄」が彫ったと伝わる「三面六臂大黒天」で、後年に「豊臣秀吉」が開運を祈願したことから、「三面出世大黒天」と呼ばれるようになった。
❼文殊楼
「文殊楼」は、「最澄」が比叡山における修行として定めた「四種三昧(四つの修行の総称)」のうちの、「定坐三昧」を実践する道場とされており、「文殊菩薩像」を本尊として祀っている。
本格的なお堂は、「慈覚大師円仁」が中国五台山の文殊菩薩堂に倣って、866年(貞観8年)に創建したが、1668年(寛文8年)に焼失した。
現在の建物はその後に建てられたもので、国の重要文化財に指定されている。
ちなみに「文殊堂」の建築形式は二重門で、坂本から「比叡山延暦寺」に通じる表参道・東坂からの入口に建ち、”「比叡山延暦寺」の総門”としての役割を担ってきた。
門の右側に見えているのは、「比叡山延暦寺」の境内にある宿坊の「延暦寺会館」で、予約(☎077-579-4180)をしておけば、琵琶湖の眺望を楽しみながら精進料理が楽しめるほか、座禅(約60分)や写経(約90分)の修行体験もできる。
最後は、「比叡山延暦寺」に残る宝物の話に触れておこう。
「国宝殿」は1992年(平成4年)に開設された、伝教大師「最澄」の真筆をはじめ、仏像・絵画・書跡など、「比叡山延暦寺」の山内に残る国宝・重要文化財を管理、保存するための施設で、開館時間は9時~16時、入館には別途おとな500円が必要だ。
拝観共通券もあるが、なぜか割引にはなっていないので、別々に支払っても料金は変わらない。
ところで…
比叡山は1571年に「織田信長」に攻められ、焼き討ちに遭っている。
その際に「根本中堂」や「大講堂」が焼失したのは事実で、焼き討ちは麓の坂本から全山に及んでいる。
「比叡山延暦寺」の宝物が、同年代に生きた「弘法大師」が建立した「高野山金剛峯寺」に比べて少なく感じるのは、それと無関係ではあるまい。
また古いお堂の大半が江戸時代に築造されている理由は、徳川幕府3代将軍「家光」の時代になるまで、「根本中堂」等の再建が許されなかったことに起因している。
加えるなら「ガーデンミュージアム比叡」がお勧め
ここまでお読みいただいたところで、もう十分満足したという方も多いと思うが、それはきっと現地でも変わらないと思う。
しかし時間的には2時間ほどしかかからないと思うので、そのまま山を降りてしまうには早すぎるし、有料道路の元が取れた気がしないのも事実だ(笑)。
そこで、「東塔エリア」から10分もかからず行ける「ガーデンミュージアム比叡」をあわせて紹介しておきたい。
ご覧の通り、仏教とは縁もゆかりもない場所だが、花の美しい時期に訪ねると素晴らしい光景に出会えるし、琵琶湖の展望も素晴らしい。
もちろんランチも食べられるし、カフェもある。
特に筆者のように、「モネ」や「ルノワール」の絵が好きな人には喜ばれると思う。
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