この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、日本全国で1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、「車中泊ならではの歴史旅」という観点から作成しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
ドラマの原作、井上靖の「風林火山」に描かれた、武田晴信(信玄)の側室「由布姫」が眠る墓所がある寺院
筆者は兼ね兼ね、「大河ドラマと史実は必ずしも一致しない」という話を書いているのだが、これから紹介する大河ドラマ「風林火山」ゆかりの地の「小坂観音院の由布姫墓所」は、まさにその極みといえるところだ。
大河ドラマ「風林火山」ゆかりの地 諏訪・小坂観音院【目次】
「小坂観音院の由布姫墓所」は、井上靖の脚色から造られた
結論から云うと、小坂観音院に残る写真の墓所は、戦後に井上靖が記した小説『風林火山』(大河ドラマ「風林火山」の原作)で、由布姫こと諏訪御料人が側室となって以降、ここで過ごし、ここで死去したという脚色がもとで、現代になってから造られたものだ。
つまり諏訪御料人は実在人物だが、小坂観音院に残る由布姫の墓所は架空のもので、本当の墓所は伊那市高遠町の建福寺にある。
そして云い換えると、それは小坂観音院は史実の「武田信玄ゆかりの地」ではなく、大河ドラマ「風林火山」ゆかりの地ということを意味するわけだ。
ドラマをしっかり見ていた筆者は、山梨と長野に残る「風林火山ゆかりの地」をあちこちめぐってきたのだが、まさか小坂観音院が架空の墓所だとは、夢にも思わなかった。
ただこれ以降「大河ドラマゆかりの地」めぐりに、「嘘と真を見極める」という新しい楽しみ方が増えたのは事実(笑)。
今の大河ドラマは、民放でヒットを飛ばした脚本家を登用することが多く、「龍馬伝」や「真田丸」にいたっては、まさに「ホームドラマ」に近い場面も多い。
ご年配の中には、それが気に入らない人も多いようだが、筆者はむしろそれを楽しむことに切り替えた。
由布姫こと諏訪御料人のプロフィール
まず由布姫の里である諏訪は、海に通じる北信濃の覇権を狙う武田家にとって、背後の安全を保つ重要な拠点だった。
この頃の諏訪は由布姫の父・諏訪頼重が支配していたが、信玄の父・信虎は、信玄の妹を頼重に嫁がせて姻戚関係を結び、諏訪氏の力を借りて信濃経略を推し進めようとしていた。
だが、信玄には諏訪領を直接支配して、信濃経略の拠点にしたい考えがあった。
ちょうどその頃、諏訪氏の中で頼重と家臣の対立が勃発。
さらに一族の高遠頼継が、諏訪氏の惣領の地位を奪おうと機をうかがっていた。
諏訪氏と同盟関係にあり、それを破るには大義名分が必要だった信玄は、その仲介を理由に軍事介入し、反頼重勢力と結んで諏訪氏を滅ぼした。
その後、高遠頼継も滅ぼし、諏訪を手中に収めた信玄は、諏訪の人々の懐柔策として、諏訪氏の血を引く由布姫を側室に迎え、生まれた男子を諏訪の領主にすることを約束する。
信濃の領民の想いを受けた由布姫は、信玄の側室となって待望の男子・武田勝頼を生む。だが10歳の勝頼を残し、病から25歳の短い生涯を終えた。
成長した勝頼は、諏訪どころか信玄亡き後の武田家の当主となり、その領地を最大規模まで増やすのだが、無敵と恐れられてきた「武田の騎馬隊」が、長篠で小田・徳川連合の鉄砲隊に打ち破れ、武田家最後の当主となる。
「武田信玄」の側室にして、その最愛の女性だったと伝えられている由布姫は、絶世の美女であったとも云われているが、由布姫に関する記述のある文献は少なく、実際には分からないことが多いようだ。
ただ、民の想いを受け止めて父を殺された仇敵に嫁ぎ、生まれた最愛の息子が、信玄亡き後凋落していく武田家を最後まで率いて果てるという、悲劇のヒロイン性が、井上靖の心に響いたのかもしれない。
大河ドラマ「風林火山」
2007年(平成19年)放送の大河ドラマ・第46作。
戦国時代に「甲斐の虎」と呼ばれた武田信玄に仕えた軍師・山本勘助の、夢と野望に満ちた波乱の生涯を描いた秀作で、原作は井上靖が1950年代初頭に執筆した同名小説の『風林火山』。
脚本・大森寿美男。主な出演者は、山本勘助=内野聖陽、武田信玄=市川猿之助(亀治郎)、上杉謙信=Gackt、由布姫=柴本幸、武田信虎=仲代達矢ほか。
つい最近「半沢直樹」で話題になった歌舞伎俳優の市川猿之助と、ドラマ「とんび」や「JIN-仁-」で個性的な演技を見せてくれた内野聖陽の掛け合いは、もう濃厚すぎてホント観るのに疲れた(笑)。
それだけに清涼飲料水のような爽やかさをドラマに吹き込んだ、上杉謙信役のGacktに魅せられた。
Gacktは、恐るべし才能の持ち主だと思う。
そんな大河ドラマ「風林火山」の映像は、こちらのサイトで見られる。