幕末ファンに絶賛お勧め! 伊豆半島にある世界遺産「韮山反射炉」

韮山反射炉 世界遺産
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この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の紹介です。
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「韮山反射炉」では、築かれた時代背景と江川英龍に着目すべし。

韮山反射炉

伊豆半島にある世界遺産「韮山反射炉」【目次】

「反射炉」ってなに?

大事なのは時代背景 ~「反射炉」が日本に必要だった理由~

韮山反射炉を築いた、「江川英龍」という男

世界遺産「韮山反射炉」は、ここがすごい

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「反射炉」ってなに?

韮山反射炉

「反射炉」は18世紀から19世紀にかけて、鉄を精錬するために世界で使われていた溶解炉のことで、熱をアーチ型の天井に反射させることで、鉄の溶解温度(1700℃)が得られる構造になっている。

ヨーロッパでは、もともと融点の低い銅や鉛などの融解に利用されていたが、鉄を溶かして鋳型に入れ、複雑なパーツが作れるようになったことで、蒸気機関などの製造が可能となり、産業革命が起こるひとつのきっかけになった。

日本にはこの韮山反射炉のほかに、山口県萩市(萩反射炉)に遺構が現存し、両者とも世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産となっている。

また鹿児島市の仙巌園内に、反射炉の土台のみが、茨城県のひたちなか市那珂湊には1937年に復元されたものがある。

言い換えれば当時の日本にとって、「反射炉」はそれほど価値があるものだったわけだ。

ただ欧米とは違い、日本での需要は産業革命のためではなかった。

大事なのは時代背景 ~「反射炉」が日本に必要だった理由~

下関

当時の日本は欧米から開国を迫られており、近海に侵攻してくる軍艦を砲撃できる大砲の製造に迫られていた。

たたら

もちろん日本にも、「たたら」と呼ばれる独自の製鉄技術が存在していた。

その一番の需要が日本刀だったわけだが、たたら製鉄で「ハガネ」はできても、大砲を作れるだけの質と量を賄うことは到底できない。

そこで「反射炉」に目をつけるわけだが、その先見の明を持っていたのは、幕府では江戸の防衛上で重要な伊豆・相模の海岸域を管轄していた、韮山代官の江川英龍(ひでたつ)と、攘夷を強く唱える水戸藩主の徳川斉昭(なりあき)、そして西欧列強の脅威に晒された中国の情勢をよく知る、外海に面した薩摩・長州・佐賀藩だった。

韮山反射炉を築いた、「江川英龍」という男

韮山反射炉

江戸幕府後期の伊豆国韮山(にらやま)の代官の家に生まれた江川英龍は、民政の充実を図るだけでなく、西洋砲術を学び、黒船来航前後の幕府海防政策に携わった人物だが、その功績は多岐に及んでいる。

例えば代官になったばかりの頃に、英龍は領内で働く農民の生活の安定を図るために、二宮尊徳(にのみやそんとく)を招聘して、農地の改良を行っている。

また1836年(天保7年)に起きた甲州騒動では、英龍は商人に変装して現地に足を運び、代官の配下にある手代らが、地元の有力者と癒着して私腹を肥やしたり、不公平な施策を行ったりしていることを自ら確かめ、即座に処分している。

その結果一揆は沈静化し、領民からは「世直し江川大明神」と慕われたという。

ちなみに画像はNHKの「英雄たちの選択」から。実はたまたま録画してあった放送を見直しながら、この記事を書いている(笑)。

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さて。そんな英龍が本格的に海防に乗り出すのは、高島秋帆(しゅうはん)と出会い、西洋の最新の砲術を学んでからだ。

英龍はそれを更に改良した西洋砲術の普及のため、自宅で「韮山塾」を開校し、佐久間象山・橋本左内・桂小五郎(後の木戸孝允)ら、幕末から明治初期にかけて活躍した名だたる人物に影響を与えている。

ペリー艦隊

英龍はペリーが来航する16年も前に、軍艦を有する海軍の創設と海岸防備を強化するための農兵制度を幕府に提案するが、受け入れられず時が流れる。

だが1853年(嘉永6年)に浦賀沖に来航したペリー艦隊から、開国と通商を迫られたことに慌てた幕府は、その直後に英龍を「勘定吟味役格」に登用し、海防策を協議する。

お台場

しかしペリーの再来までに打てる対策は限られており、最終的にデッドラインの品川沖に、現在も残る「台場」を築造した。

翌年のペリー来航時には、第一から第三までの「台場」が完成していたため、ペリー艦隊は江戸湾に深く入って来られず、横浜からの上陸を余儀なくされたことから、この作戦は功を奏したと云える。

同時に、英龍は台場に配備する鉄製砲を鋳造するため、反射炉の建造に取り組むが、西洋からの技術支援が受けられず、オランダの書籍だけを参考に、独自で反射炉を設計したという。

だが英龍は、あまりの激務に体調を崩し、1855年(安政2年)1月に永眠。「韮山反射炉」の完成には立ち会えなかった。

「韮山反射炉」は、ここがすごい

韮山反射炉

韮山代官の跡を継いだ息子の江川英敏が、佐賀藩からの技術支援を受け、1857年(安政4年)に完成にこぎつけた「韮山反射炉」は、炉体と煙突が完全な形で現存している、世界で唯一の反射炉の遺構だ。

韮山反射炉

しかも「韮山反射炉」は、現存する反射炉本体のみで完結していたのではなく、関連する様々な建物群や、隣接する河川からなる大砲製造工場と連動する「産業システム」を形成していた。

韮山反射炉

そして実際に「韮山反射炉」では、1864年の使用中止までに、大小合わせて数百門の大砲を鋳造している。

韮山反射炉

なお、「韮山反射炉」ではガイドの説明を受けるのが効率的でお勧めだ。

●受付時間:9時00分~16時00分(土・日・祝祭日は9時00分~11時30分及び13時00分~16時00分)
●所要時間:約20分
●費用:無料
●実施日:韮山反射炉の開園日(年末年始等を除く)
●1人のガイドが案内できる人数:約30人(韮山反射炉には5人のガイドが常駐)

最後に。

反射炉の近くには、国の重要文化財に指定されている江川英龍をはじめ、代々世襲代官を務めた江川家の住宅・江川邸があるので、時間があればぜひ寄ってみるといい。

幸いにも「道の駅 伊豆のへそ」がすぐそばにあるので、日が暮れても心配はない(笑)。

☎055-949-3450 大人500 円/9時~16時30分
(10月~3月)・第3水曜定休

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