車中泊旅行歴25年のクルマ旅専門家が、京都の寂光院の歴史と見どころ及び、マイカーアクセスと駐車場事情を詳しくガイドしています。
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この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の中のひとつです。
~ここから本編が始まります。~
寂光院は、飛鳥時代建立と伝わる平家物語ゆかりの尼寺
「寂光院」 DATA
「寂光院」公式サイト
創建:伝・推古天皇2年(594年)
開基:伝・聖徳太子
宗派:天台宗
〒601-1248
京都市左京区大原草生町676
☎075-744-3341
専用駐車場なし
(周辺の民間駐車場を利用)
拝観時間:9時~17時
※季節により変動
拝観料:大人600円
寂光院の筆者の歴訪記録
※記録が残る2003年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2003.11.21
2010.09.26
2012.11.28
2024.04.22
※「寂光院」での現地調査は2024年4月が最新です。
寂光院 目次
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寂光院の歴史と由緒
「寂光院」は聖徳太子(574-622年)が594年に、父の用明天皇の菩提を弔うために創建したとされる天台宗の尼寺で、建立当初の本尊は聖徳太子作と伝えられる六万体地蔵尊だったが、現存はしていない。
この話は数多ある「寂光院」の紹介サイトに、”もれなく”記されているが、実はその創建については伝承の域を出ておらず、確かな史実は分かっていないらしい。
そこで時代検証してみると、おもしろいことが分かった。
まず日本で一番古い寺院とされる「飛鳥寺」の創建は596年、また京都最古の寺院「広隆寺」の創建は603年。
規模が違うとは云え、正しければ「寂光院」は日本最古のお寺になる(笑)。
次に聖徳太子といえば、冠位十二階・十七条憲法・遣隋使派遣などの国家体制を整え、天皇による中央集権を進めた人物だが、奈良の斑鳩を拠点に飛鳥時代に活躍した彼が、なにゆえ京都の山深い大原の地を、父の菩提を弔う場所に選んだのか…
それほど歴史を知らなくても、日本人なら疑問を抱かざるを得ないと思うのだが、多くのライターはそこをサラッと済ませ、誰もが関心を示す「建礼門院」の話にページを割いているようだ(笑)。
その中でウィキペディアだけは、空海による開基説や、11世紀末に大原に隠棲し、大原声明を完成させた融通念仏の祖・良忍が開いたとの説を紹介しており、常識的に考えれば、筆者もそのほうが自然だと思う。
ただ、聖徳太子は幼年時代から「京都」には縁がある。
聖徳太子の母は、用明天皇の正妃の穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)で、一時期、蘇我氏と物部氏との争乱を避けるため、幼い聖徳太子を連れて、”実家の里”とも呼べる丹後に身を寄せていた。
かつて丹後は、ヤマト王権を打ち立てた天皇家とは異なる部族が支配していたが、両部族は婚姻関係を結び、共存の道を歩んでいたことが歴史上判明している。
そのことと、「寂光院」の建立に関連があるかどうかはわからないが、どちらの血も引く聖徳太子が、用明天皇を慕う母の願いを叶えるために、この地を選んだという話は、まったくないともいえまい。
ちなみに京都には、「広隆寺」「六角堂」「乙訓寺」、さらには東山にある八坂の塔でお馴染みの「法観寺」と、聖徳太子が建立したと伝わる寺院が他にもあるが、それには5世紀中頃に新羅から渡来した秦氏の首領・秦河勝が、 聖徳太子の側近として絡んでいるという。
京都にはまだ、あまり表には出ていない歴史が隠されているようだ。
それはさておき、
前述したように「寂光院」を有名にしたのは、平清盛の娘「建礼門院・徳子」が登場する「平家物語」だ。
祇園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらはす。
この一節から始まる「平家物語」は、鎌倉時代に成立したとされる作者不詳の物語で、平清盛(1118-1181年)の繁栄と専横から、源氏の挙兵、そして幾多の合戦を経て平家一門が滅亡するまでを描いており、
「寂光院」はその中の、建礼門院の晩年を描いた「灌頂巻(かんぢょうのまき)」の大原御幸に登場する。
建礼門院徳子
徳子は平清盛の次女で、16歳の時に高倉天皇に嫁ぎ、安徳天皇を授かるが、高倉天皇はわずか20歳にして崩御し、「建礼門院」となる。
そして同時に、世の中は源平争乱の時代へと進んでいく。
源義経の登場で勢いを増す源氏に押され、西へ西へと追い詰められた平家一門は、最終決戦地となった壇ノ浦で敗れて散る。
建礼門院は、まだ8歳だった安徳天皇を抱きかかえて海に入水したが、着ていた十二単が浮き輪代わりとなってしまい、自分だけが沈まず、源氏に助けられてしまう。
その後は京に戻されて29歳で出家し、「寂光院」に侍女たちとともに庵を構え、滅亡した平家一門と安徳天皇の菩提を弔いながら、59歳で生涯を終えた。
寂光院の見どころ
「寂光院」は、開放感と優しさに包まれながら、広い園庭を見て周る「三千院」とは真逆で、箱庭のような境内を、示された順路に従って歩きながら、刻まれた歴史の痕跡を辿っていくことになる。
極端な話、何も知らずにパパッと歩けば10分もかからずに周り終えてしまうだろう。
ゆえに「寂光院」では、行く前に少し予習をしておくといい。といっても、それには15分もあれば十分だ(笑)。
まず、「寂光院」のベストフォトスポットは、受付から山門に至る間の石段だ。
❶本殿
「寂光院」の本堂は、飛鳥・藤原様式および平家物語当時の様式を、改修ごとに残しながら後世に伝えられてきたもので、近年まで徳川家康や豊臣秀頼・淀君らの手によって、修復・再興された桃山様式のものが残されていた。
しかし2000年(平成12年)5月、何者かの放火により全焼してしまう。
堂内の本尊・地蔵菩薩は大きく損傷し、建礼門院と阿波内侍(建礼門院に仕えていた寂光院の第2代住持)の像も失われてしまったが、それらは2005年に古式通り忠実に復元され、今日に至っている。
なお本殿の中では、不定期に「寂光院」の無料ガイドを行っているので、最初にそれを聞いてから境内を周るといい。
❷建礼門院 御庵室遺跡
本堂の北奥には、建礼門院が隠棲していたと伝えられている庵跡がある。
現在は石碑が立つだけだが、御庵室跡の右奥には当時使用していた井戸跡が残され、今も水が湧き出している。
場所は一度境内の門を出て細い道を渡り、隣の敷地に移動するので分かりにくいが、案内が用意されているので、それに沿って林の中を進むと見えてくる。
千年姫小松・汀の池
1186年(文治2年)の4月下旬に、後白河法皇が忍びの御幸で建礼門院の閑居を訪ねる、「平家物語」の大原御幸の際に、
池水に汀の桜散り敷きて
波の花こそ盛なりけれ
の和歌を詠んだ場所で、桜(汀の桜)と松(姫小松)が往時を忍ばせている。
ただ、姫小松は樹高15メートル余りの樹齢数百年になる大木だったが、2000年の火災で枯れてしまい、倒木の危険があるため伐採された。
筆者が汀の池で、この写真を撮影したのは2003年の11月。この頃はまだiPhoneもなく、インバウンドもいなかった(笑)。
今は紅葉の季節に、こういう時間のかかる写真を撮ろうと思うなら、貸し切りに近い平日の早朝にでも出かけない限り、”通行を妨げる迷惑行為”になるだろう。
そう思うと、「寂光院」でフォトジェニックなカットを撮るのは、車中泊でもしないかぎり難しい。
❸宝物殿
汀の池の裏手の一段下がった敷地に建っているので、ちょっと分かりづらいが、建礼門院の経歴や、「平家物語」ゆかりの文化財が無料で見学できる、寂光院の穴場的存在だ。
2006年の秋に本堂の復興を記念して建てられ、一角にはミュージアムショップも併設している。
四方正面の池
錦鯉が放たれた本堂の東側にある池で、北側の背後の山腹から水を引き、三段に分かれた小さな滝が設けられている。
池の四方は回遊出来るように小径がついており、本堂の東側や書院の北側など、四方のどこから見ても正面となるように、周りに植栽が施されている。
建礼門院徳子 大原西陵
こちらが寂光院の東の背後の高台にある、建礼門院徳子の墓所と伝わる大原西陵。
もともと境内にあったが、明治以降は宮内庁の管理下に移り、切り離された。
駐車場から来ると、「寂光院」の門前の手前に一直線の石畳の道があり、入口に表示があるのですぐに分かるが、「寂光院」を先に見て、帰りにお参りして帰るのがお勧めだ。
寂光院へのマイカーアクセスと駐車場事情
まず大原までのアクセスについては、こちらの記事にまとめている。
問題は駐車場だが、これがどうもネット情報では分かりにくい(笑)。
そこで皆さんが、「ここが知りたい!」と思っているであろう点から説明しよう。
まず「寂光院」周辺に無料駐車場はない。
「寂光院」の拝観時に使える有料駐車場は、マップのブルーの道沿いに集中しており、大小合わせれば5件以上あったと思うが、いずれも料金は終日300円だ。
さらにネットで「寂光院 駐車場 近く」のように検索すると、どうやら「寂光院前有料駐車場」というのが一番近いことに気がつくと思う。
それがマップのP2で、ここになる。
確かに「寂光院」の入口の眼の前にあり、平面で台数も10台以上停められる。
つまり入庫できれば最高!だ(笑)。
しかしブルーの道は「寂光院」に近づくほど細くなり、「大原山荘」を超えると対抗もままならないところが断続する。
しかも日中は、ここを徒歩の観光客がひっきりなしに通るようになる。
すなわち、運良く行きはスイスイ進んで「寂光院前有料駐車場」に停められても、帰りはドツボにはまる可能性が高い。
ということは…
そのリスクがもっとも少ない、マップのP1にあたるこの「寂光院口駐車場」が、実は一番の安パイといえるだろう。
ここまでは道も広く、キャンピングカーでも嫌がられはしない。
「寂光院」まで約800メートル離れているが、道中はフラットで歩きやすく、10分ほどで到着できる。
仮に「寂光院口駐車場」が満車の場合は、「寂光院」から遠い順に狙っていこう。
もし同乗者がいるなら、一時停車できるところを見つけ、徒歩で先に空きがあるかどうかを見に行ってもらうのも手だ。
ここはクルマで進めば進むほど辛くなる。
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