車中泊旅行歴25年のクルマ旅専門家が、京都の大原三千院の歴史と見どころ及び、マイカーアクセスと駐車場事情を詳しくガイドしています。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊スポットガイド
この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の中のひとつです。
~ここから本編が始まります。~
現代の三千院は、苔むす庭に癒やされる”大原観光のランドマーク・スポット”
三千院」 DATA
「三千院」
創建:延暦年間(782年 – 806年)
開基:最澄
宗派:天台宗
〒601-1242
京都府京都市左京区大原来迎院町540
☎075-744-2531
拝観料:大人700円
専用駐車場なし
(周辺の民間駐車場を利用)
拝観時間:通常9時~17時
(受付最終16時30分)
11月 8時30分~17時
12月~2月 9時~16時30分)
三千院の筆者の歴訪記録
※記録が残る2003年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2003.11.21
2008.05.16
2008.11.25
2011.11.23
2012.11.28
2020.06.04
2024.04.13
※「三千院」での現地調査は2024年4月が最新です。
三千院 目次
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三千院の歴史と由緒
まず、
多くの紹介サイトに、西暦782~806年の延暦年間に天台宗の開祖・最澄によって創建されたと記されている「三千院」だが、実はその当時から現在の場所にあったというわけではないらしい。
それって、どういうこと?
奈良の「薬師寺」がそうであるように、昔から寺院が何らかの理由で移転するのは珍しいことではない。
だが「三千院」の場合は、創建から現在に至るまでの経緯が、どの資料を見ても「分かったような分からぬような…」(笑)で、いまひとつ釈然としない…
そこで
”大原観光のランドマーク・スポット”とも呼べる古刹だけに、そのあたりをどうにかできないものかと思い、あれこれ調べて、筆者の中ではどうでも良さそうなところを端折りつつ(笑)、物足りなく感じたところには少し情報を加味して、まとめてみた。
そもそも
「三千院」のルーツは、最澄が比叡山に「延暦寺」の起源とされる「一乗止観院(現在の根本中堂)」を造営した際に、寺内にある東塔南谷の梨の大木の傍に庵を構え、「円融房(えんにゅうぼう)」と名付けたことに始まる。
そして860年(貞観2年)、その地に承雲(じょううん)和尚が、最澄自刻の薬師如来像を安置した伽藍を建て、「円融院」と改称する。
その後、慈覚大師円仁に引き継がれた「円融院」は、最雲法親王の入室により、平安時代の後期以降は、皇族が住持する「門跡」となった。
時折耳にする「門跡」は、平安時代の末期から鎌倉時代の初めに造られた、皇族や貴族が住職を務める位の高い寺院のことで、今でも「三千院」は「天台宗五箇室門跡」のひとつに数えられている。
寺院なのに、天皇家の菊の御紋が「御殿門」に掲げられているのはそれゆえだ。
ただ、それ以降の「円融院」は紆余曲折の道を辿り、何度か転居を繰り返した後、1871年(明治4年)にようやく現在の大原の地に落ち着いた。
「三千院」と呼ばれるようになったのは、それからのことだ。
ちなみに「三千院」の名の由来は、「一念三千」という天台宗の教えで、「人の心の動きには、一瞬一瞬に三千の世界が存在する」という意味を持つという。
ここまでの話でハッキリしたことは、「三千院」は「延暦寺」の創建当時に、最澄によって作られた「円融房」の血を引く寺院の”移転先”であるということ。
承雲和尚が安置したと伝わる、最澄自刻の薬師如来像も一緒に移転してきたのなら良かったが、どうやらそれはないらしい。
つまり、「西暦782~806年の延暦年間に天台宗の開祖・最澄によって創建された」と云うのは、厳密に云うと現在の「三千院」に当てはまるようには思えない。
とはいえ、「円融院」が大原の地に移転されたのには理由がある。
最雲の時代に「延暦寺」は、さまざまな念仏行者によって秩序が乱れるのを危惧し、彼らを取り締まる出先機関としてこの地に政所を置き、比叡山を下りて隠棲する僧たちの草庵を管理していた。
つまり平安時代から、大原は「延暦寺」と強い結びつきを持つ土地だった。
この写真は比叡山の山頂から見た大原の遠景だが、当時の大原には「来迎院」や「勝林院」など、今も現存する寺院を含めて49もの堂宇が並ぶ一大宗教空間が広がっており、「比叡山の別所」と呼ばれていた。
なるほどそれなら、「三千院」の境内に平安時代の建造物があることに合点が行く。
境内に建つ「往生極楽院(旧称・極楽院)」は、平安時代の末期から大原の地にあった阿弥陀堂で、1871年(明治4年)に梶井門跡の本坊(旧:円融院)がこの地に移転し、「三千院」となってから境内に取り込まれたもので、元来は「三千院」とは別の寺院だ。
ちなみに「往生極楽院」の建物は重要文化財で、中に祀られている「阿弥陀三尊像」は国宝に指定されている。
ただ「阿弥陀三尊像」は、ここだけではなく、世界遺産の「中尊寺」や「法隆寺」にもある。
いずれにしても…
紹介されている通り、「三千院」が西暦782~806年の最澄創建の寺院であれば、「延暦寺」と同様に世界遺産に登録されていても不思議ではないと思っていたが、これで少しは”もやもや”が晴れて、スッキリしてきた。
京都にあるからと云っても、「格式が何より大事」というものではあるまい。
三千院の見どころ
さて。
実はここからが「本論」というか、この記事の「核心」になる。
寺社仏閣というのは面白いもので、格式と人気が必ずしも一致するとは限らない。
筆者は「三千院」が”大原観光のランドマーク・スポット”と云われる所以は、境内の随所に大原の代名詞とも呼べる「癒やし感」が満ち溢れていることにあると思う。
とりわけ心を和ませてくれるのが、この「往生極楽院」が見える庭に佇む「わらべ地蔵」だろう。
ほどよく古びており、創建時からずっとここで微笑んでいるかのように見えるのだが、実はこの小さなお地蔵さんは、平成になってから置かれたものだという。
寺社に足を運ぶ人は、誰しも多かれ少なかれ、心の何処かに”救済”や”開放”を求める気持ちがあると思うが、真の満足感に通じるのは、それに働きかけてくれるものがあるかどうか…
その意味でいうと、「わらべ地蔵」は「三千院」が本来有している「癒やし感」を増幅している”装置”だと思う。
つまり僕らは「わらべ地蔵」にというより、それが置かれた古刹の穏やかな風景に和みを感じている。
であるなら…
三千院の見どころは、「あなたが和みを感じる風景があるところ」だ。
それを見つけるには、既成概念にとらわれず、またパンフレットも頼りにせず、肩の力を抜いて心の命ずるままに歩いてみよう。
なお、一般的な「三千院の見どころ」が知りたい人は、こちらのサイトを参考に。
Ps: それでは物足りないという人へ。
まず噂の「わらべ地蔵」に興味がある人には、律川を渡ったところに並ぶ「おさな六地蔵」がお勧めだ。
ここは表情豊かなお地蔵さんが見やすいところに置かれているので、インスタ映えが狙えるいい場所と思う。
もうひとつの、ちょっとマニアックな見どころは”門の外”にある。
「三千院」の御殿門まわりの石垣は、後の安土桃山時代に築かれた多くの名城と同じ「野面積み」で、後年に石垣づくりの名手で名を馳せる、近江坂本の穴太衆(あのうしゅう)が手掛けている。
しかしなぜそれほど堅牢な石垣が、「三千院」に必要だったのだろうか…
実は戦国時代の導火線となる「応仁の乱」で、京都は戦乱が続き、荘園を持つ寺社も防衛手段として石垣を築き、僧兵をおいて侵略に備えていた。
その最先端にいたのが、のちに織田信長から焼き討ちに遭う比叡山の「延暦寺」だが、前述したように大原は平安時代からその「延暦寺」の政所だったため、守りをしっかり固めておく必要があったわけだ。
ちなみに信長は比叡山を焼き討ちにした際に、その石垣の堅牢さに驚き、穴太衆を集めて安土城を築城している。
三千院界隈に残る逸話
ここまで来たら、
門から出たついでに、付近に残る逸話についても載せてしまおう(笑)。
そのひとつは、「三千院」の御殿門の前を奥に進んだ突き当りにある、紅葉で名高い「勝林院」に残された、大河ドラマゆかりの話になる。
まず
「魚山大原寺 勝林院(ぎょざんだいげんじしょうりんいん」の正式名を持つこの寺院は、日本音楽の源である天台声明(しょうみょう)発祥の地で、浅井長政の安堵状をはじめ、明智光秀、徳川家康らに関係する資料が発見されるなど、戦国時代の激動を今に伝える古刹で知られているが、その本堂に大河ドラマが絡んでいる。
写真の擬宝珠には、江戸時代に三代将軍・徳川家光の乳母「春日局(かすがのつぼね)」が、”永遠のライバル”だった「家光」の実母「江姫」が亡くなった際に、冥福を願って本堂を再建したとの記録が刻まれている。
興味のない人はご存知ないかもしれないが、実は「春日局」と「江姫」は、いずれも大河ドラマの主役に取り上げられている人物だ。
まず「春日局」は、1989年に放映された第27作でタイトルもズバリ「春日局」。脚本を橋田壽賀子が描き下ろし、ヒロインは大原麗子が演じた。
いっぽう気丈で知られた「江姫」は、「豊臣秀頼」を生んだ「淀君」の妹で、「織田信長」の姪にあたり、のちに「徳川家康」の嫡男・「秀忠」の正室となった女性で、2011年に放送されたNHK大河ドラマ第50作「江 ~姫たちの戦国~」では、ヒロインを「上野樹里」が演じていた。
ただこの時に再建された本堂は、1736年正月の火災により焼失。現在の本堂は1778年に再建されたものになる。
最後は「三千院」の前でも売っている、「しば漬け」の話で締めくくろう。
なお長くなるので、その話は以下の記事に詳しく記載している。
三千院へのマイカーアクセスと駐車場事情
まず大原までのアクセスについては、こちらの記事にまとめている。
上と同じページだが、リンクは直接マイカーアクセスの項に飛ぶので安心を。
続いて近くの駐車場について。
「三千院」界隈にある駐車料金の相場は、1日300円~500円になる。
国道367号線周辺に、広くて入庫しやすい駐車場が多数揃っているので、初めてならそこを目指すのが無難だ。
国道367号から「三千院」通じる参道は、マップの青と赤の2本ある。
だがいずれも三千院に近づくほど道は狭く、人でいっぱいになる。
そのため通行禁止ではないようだが、「三千院」の前まで観光客がクルマで行くことは、空いていても物理的に不可能に近いと思ったほうがいい。
こちらが青の表参道の様子。
参道沿いに飲食店やお土産店が並んでいるので、常に人で溢れており、これでも空いているほうだろう。
加えて裏参道よりも傾斜の強い上り坂なので、リピーターは裏参道を歩いていく。
いっぽうこちらは「三千院」に近いが、店がほとんどないマップ赤の裏参道。
裏参道沿いには、途中に何件か広めの駐車場があるものの、「三千院」に近づくほど道が細くなるので、早めに停めてしまうほうがいい。
一番安い300円の駐車場は、国道から近い裏参道にある。ちょっと分かりづらいので、Googleマップをリンクしておこう。
もちろん狙いは朝いちばん。ハイシーズンの休日は10時には満車になると思う。
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