この記事は、既に車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、2019年に還暦を迎えて書き下ろした、自らの経験に基づく話です。
旅と放浪の違いのひとつは、「自ら決めたゴール」があるかどうか。
ちょっと大袈裟かもしれないが、近頃は「断捨離(だんしゃり)」や「終活」といった、「人生を仕上げる」行動に中高年の関心が高まっているようだが、それは「旅」においても当てはまる。
既に20年近い歳月を、クルマ旅に費やしてきた筆者にとって、日本で知らない観光地は、もはや皆無と云っても過言ではないと思う。
ただ、「人生の仕上げ旅」というかたちで日本各地を周るのと、行ってみたい地をアットランダムに訪ねるのはちょっと違う。
「仕上げ」という言葉には、「仕事の最後の工程」という意味があり、「完了」が暗示されている。
すなわち、「人生の仕上げ旅」というのは、古くは「伊勢・熊野参拝」、あるいは「四国八十八霊場巡礼」、最近では「日本百名山登山」のように、「完結性のあるテーマ」を持つものではずだ。
つまり、きちんとしたゴールがあって、そのゴールに到達することが人生における何がしかの「完了」に通じるところに意味がある。
中には、定年して年金暮らしになれば長旅ができるようになり、ようやくそれが叶えられると思っている人がいるかもしれない。
だがそれは違う。
短い休暇を利用しながら数回に分けて周ろうとも、先ほど書いた条件に当てはまっていればそれでいい。
そもそも65歳から始めてできることに、たいしたものはない。
むしろ現役のうちから始めて、ちょうど臨終に間に合うくらいのロングスパンなテーマであってこそ、「人生の仕上げ旅」と呼ぶにふさわしいプログラムが描ける。その意味からすれば「70歳定年」は、旅がしたい人から「夢と希望」を奪う、とんでもない話だと思う(笑)。
また「人生の仕上げ旅」がひとつである必要もない。複数のプログラムを同時並行で進めることは十分に可能で、実際に筆者はそうしている。
問題は、その旅に「家財道具を一式積んで出かける必要」があるのかどうかだ。
もしあると云うのなら、それは旅というより放浪…
