この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の紹介です。

売らない・貸さない・壊さない。住民運動によって守られた日本の「家」が、世界文化遺産へ。
白川郷の歴史と世界遺産ストーリー【目次】
白川郷は「一般市民の住まい」
「白川郷」の名で親しまれているこの集落は、正式名称を「白川郷・五箇山の合掌造り」といい、1995年12月にユネスコの世界文化遺産に登録された。
評価されたのは、長年にわたって豪雪地帯の大雪に耐え続け、屋根裏に養蚕の工夫が施された家屋と、集落を取り巻く自然の景観。
季節を問わず、訪れた人の誰もが「日本の原風景」という表現にうなずく情景が、今も変わらずそこには在る。
日本で最初に世界遺産登録が行なわれたのは1993年。
だが世界文化遺産は、大方の予想通り奈良や京都の自社仏閣が主だった。
しかし、白川郷は法隆寺や金閣寺に匹敵する価値があると判断された「一般市民の住まい」である。
そのことに我々はもっと着目すべきではないだろうか…
伝統と現実が混在するほうがむしろ「自然」
「白川郷」を語る際に、忘れてはならないのが住民運動だ。
この地域では昭和20年代のダム建設ラッシュにより、数多くの合掌集落が水没している。さらに昭和40年代の高度経済成長期には、合掌造りの家屋が村外に売却されたり、近代的家屋への立て替えが始まった。
確かによく見ると、集落の中には合掌づくりの家屋に混じって普通の家もある。
またメインストリートの国道158号沿いには、落ち着いた風景とは裏腹に、雑然と土産品を並べる店もある。
だが、白川郷は「テーマパーク」でも、映画のロケ地でもなく、実際に人が暮らす「村」である以上、伝統と現実が混在するほうがむしろ「自然」だ。
誰にでもエアコンやクルマを使い、店を繁盛させる権利はある。
窮地を打開したのは住民運動
その葛藤の中で、伝統消滅の危機を感じた白川村は、まずは廃屋になった合掌造り家屋を移築保存し、1967年から「白川郷合掌村」として一般公開を開始する。
さらに1971年には荻町住民有志が「白川郷荻町集落の自然環境を守る会」を結成し、「売らない、貸さない、壊さない」という市民憲章を制定して、合掌造り家屋と景観を守ってきた。
こうした努力の末、1976年に白川郷合掌造り集落は国の「重要伝統的建造物保存」に選ばれ、それが後の世界遺産登録への大きな礎となっていく…