車中泊旅行歴25年のクルマ旅専門家が、京都の洛南に残る西郷隆盛と坂本龍馬ゆかりの地をまとめてご紹介。
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この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の中のひとつです。
~ここから本編が始まります。~
寺田屋は、坂本龍馬と西郷隆盛ゆかりの旅籠
ええっと…、坂本龍馬が襲われたのは、「寺田屋」なのか「近江屋」なのかどっちだっけ?
幕末を「テスト勉強」で覚えてきた人ならそれが普通。学校を出てしまえば、興味がないことを特に知る必要はない(笑)。
だが京都を旅するなら、幕末の顛末には興味を持ったほうがいい。
理由は「見てみたい場所」が変わるからだ。とりわけ、それが顕著なのが伏見の町で、これから紹介する「寺田屋」は、そのランドマークと呼べる存在だろう。
ちなみに冒頭の答えは、いずれも「正解」。
ただ「寺田屋」では、ドラマチックな展開で九死に一生を得るが、「近江屋」ではそれが起きずに命を落とした。
さて。幕末に寺田屋で起こった惨事は2つある。
寺田屋騒動
ひとつは文久2年(1862年)に発生した、薩摩藩士の尊皇攘夷派粛清事件だ。
庶民としては龍馬襲撃事件のほうに興味が湧くが、歴史学者にとってはこちらのほうが重要らしく、一般的にはこちらを「寺田屋騒動」、あるいは「寺田屋事件」と呼んでいる。
【寺田屋騒動の顛末】
この頃の京都は、長州藩を筆頭にした尊皇攘夷派と呼ばれる「幕府討伐勢力」が勢いを増しており、世の中の構図は尊皇攘夷派(主に長州藩)VS公武合体派(京都守護職の会津藩+その配下にあった新選組)となっていた。
そして、そのどちらに時代が傾くかというキャスティング・ボートを握っていたのが「薩摩藩」だ。
だが当時の薩摩藩は、一部の過激な尊王攘夷派と、リベラルで家臣の信望が厚い西郷隆盛派、そして実質的な藩主にあたる島津久光率いる保守派の、3つの派閥に割れていた。
事件は、久光が千人の兵を率いて上洛したことが引き金で勃発する。
上洛にあたり久光は、扱いにくい西郷隆盛一派を捕縛し、大阪から帰藩させるよう命じる。そして京都に着くと、朝廷から尊皇攘夷派鎮圧の命を授かった。
この展開に驚愕した薩摩藩士の有馬新七ら尊皇攘夷派は、寺田屋に集結し、諸藩の尊皇攘夷派志士と共謀して、関白九条尚忠と京都所司代酒井忠義を討ち、その首を久光に奉じることで、強引に倒幕を促すことを画策する。
事前にそれを察知した久光は、襲撃計画を中止するよう、寺田屋にいる有馬に使者を送るが説得できず、最後は薩摩藩士同士による斬り合いに進展した。
薩摩藩は乱闘によって破壊された宿の修復と迷惑料の他に、同士討ちの口止め料として、多額の金銭を寺田屋に手渡したという。
寺田屋の近くにある大黒寺は薩摩藩とゆかりが深く、寺田屋騒動で亡くなった有馬新七以下9人が「伏見寺田屋殉難九烈士」として墓所に葬られている。墓石の文字は、有馬新七を幼年期から知る西郷隆盛の直筆だ。
それから4年後、同じ寺田屋で伏見奉行所による坂本龍馬襲撃事件が起こる。
龍馬は薩摩藩の寺田屋騒動が起きた年に土佐藩を脱藩しているが、その後勝海舟の弟子になったことで、運命が大きく変わる。
寺田屋で後に妻となるお龍と出会うのはそれから2年経った1864年。
翌1865年には長崎で亀山社中を立ち上げ、1866年1月20日には悲願の薩長同盟締結を成し遂げる。
まさに疾風が如く時代を駆け抜けようとしていた龍馬に、災難が降りかかったのは、そのわずか2日後のことだった。
1866 年(慶応2年)1月24日午前3時頃、用心棒として長州藩が遣わした三吉慎蔵とともに寺田屋にいた坂本龍馬は、伏見奉行所の幕府役人に襲撃される。
入浴中だったお龍の機転で龍馬は事態を知り、三好は槍、龍馬はピストルで応戦したが、手首を切られた龍馬は裏階段から庭に出て、隣家の雨戸を蹴破って裏通りに逃れた。
なんとか追っ手をかわし、5町ほど(500~600メートル)走って濠川に達した龍馬は、材木納屋で意識が薄れて動けなくなる。
そこで龍馬は「もはやここまで」という三吉の切腹をいさめ、薩摩藩士がいる島津屋敷(現在は松山酒造の敷地)へ助けを求めに行くよう指示を出し、救援を待った。
一足先に島津屋敷へ知らせに走ったお龍と三吉の連絡により、龍馬は島津屋敷に無事担ぎ込まれ、一命をとりとめた。
というわけでガイドブック等でよく見る西側の旅籠は、旧宅にならう形で明治に建てられたものだが、中は見学が可能だ。
建物や展示品が「本物」に越したことはないが、それに固執したところで何も変わらない。逆に、もし焼跡に全く関係のない住居や工場が作られていたとしたら、我々は何ひとつ見ることができず、こういう素敵な話も書けない。
そのことを思えば、再建は歴女・歴男にはありがたいんじゃないの?
まあ、お城を筆頭に、史跡とはそういうもんだと筆者は思っている(笑)。
最後は駐車場について。
無料なのは嬉しいが、停められるのはたったの2台だけ。しかも前の道は狭いので、空き待ちは難しい。
2019年1月 追記
なんと、寺田屋の無料駐車場はなくなりつつあった。建物の基礎らしきものが作られていたので、そこに何ができるか楽しみだ。
ちなみに、代わりのお勧め駐車場がこちら。寺田屋から徒歩1分ほどのところにある和菓子屋「小倉山荘」の向かいにある。
ここは平日なら、なんと24時間600円で停められる。このあたりは20分200円が相場なのでまさに激安!
寺田屋の近くには坂本龍馬商店街のほかに、黄桜や月桂冠の見学施設もあるので、こういうコインパーキングにクルマを入れ、あわせてじっくり見て廻るほうがいい。
これは2019年の取材で新発見!。ノンアルコールはたまに見かけるが、本物のビールを見たのは初めてだ。
島津屋敷で生気を回復した龍馬は、このあと西郷隆盛の勧めで、お龍を伴い鹿児島の霧島温泉に傷の湯治に向かう。
♪竜馬は続く~よ、どこまでも…♪(爆)。
霧島シリーズも、とことん取材済み。
もちろん龍馬が引っこ抜いたという天逆鉾が今なお刺さる、「高千穂峰」も踏破してるぜよ!
寺田屋
伏見区南浜町263
☎075-622-0243
見学料 大人400円
拝観・開館時間 10:00~15:40