この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、日本全国で1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、「車中泊ならではの歴史旅」という観点から作成しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
龍馬伝に登場した、坂本龍馬にゆかりの深い人物の思い出の地をめぐる。
ここではその本流から逸れた、どちらかというとマニアックなゆかりの地をピックアップしてみた。
その切口は「龍馬伝」。
せっかく遠路はるばる高知市にまで足を運ぶのだから、細々した史実にこだわりすぎるより、ドラマの中で印象深かった登場人物にゆかりのある場所を訪ねるほうがおもしろいと思う。
坂本家墓所
坂本家一族の墓所は、通称・丹中山(たんちやま)の中にある。
元々は2ヶ所に分かれていたが、現在は史跡として整備され、龍馬の父・八平を筆頭に一族21人が眠っている。
高知市が公式ホームページで紹介しているくらいなので、観光客がお参りに行っても構わないということだろう。
せっかくなので、ここで坂本家についても簡単にふれておこう。
坂本家の系譜
「坂本家」のルーツは、龍馬の4代前の質屋「才谷屋」を営んでいた高祖父・大浜直益が「郷士」の株を買い、長男直海(龍馬の曽祖父)に分家を立てさせたことから始まる。
本来の「郷士」は、武士の待遇を受けていた農民を指す言葉だが、江戸時代の後期には、生活に困窮した「郷士」が、その株を商人に売ることもあったようだ。
土佐藩の場合、「郷士」は長宗我部元親を支えた半農半武士軍団「一領具足」の末裔が多いとされるが、坂本家の先祖は江戸時代の初めに、山城国(京都府)から引っ越してきた「部外者」らしい。
そんなわけで幼い頃の龍馬は、比較的裕福な家庭環境で育てられた「ぼんぼん」だった。
さて。ここからは「龍馬伝」のキャストで家族を紹介していこう。
草刈民代が演じた龍馬の実母「幸」は、龍馬が12歳の時に亡くなっている。ドラマでは、龍馬が京都の定宿にしていた寺田屋の女将「登勢」を一人二役で演じていたのが懐かしい。また父「八平」役の児玉清は、「龍馬伝」が遺作となった。
ところで、龍馬の子役を演じた濱田龍臣くんの隣に立つ、「乙女」役の娘さんが誰だか分かるだろうか? 彼女はなんと、のちに朝ドラのヒロイン「まれ」となる女優の土屋太鳳。確かにそういわれると面影が。
最後は龍馬の兄「権平」役の杉本哲太と、その妻「千野」役の島崎和歌子。龍馬と20歳年が離れた権平は、自分の次に坂本家を継ぐよう、再三、龍馬に手紙を出したが、龍馬は「40歳になるまで、自由にさせてもらいたい。その後は土佐に帰るから」と答えていたそうだ。
しかし龍馬が33歳でこの世を去ったため、権平は龍馬の姉である千鶴の息子「直寛」を龍馬の養子にし、郷士坂本家を継がせている。
武市瑞山先生殉節之地
土佐勤王党を率いた武市瑞山(武市半平太)が、吉田東洋暗殺事件の罪で投獄され、切腹した場所。四国銀行帯屋町支店の角にひっそりと立つ。
坂本龍馬と武市半平太
坂本龍馬と武市半平太は、同じ道場で剣術を習う幼なじみで、遠縁に当たるともいわれている。ただ幼なじみとは云え、半平太は龍馬より7歳上の、「兄貴分」にあたる存在だ。
また武市家は元々土着の豪農だったが、「郷士」よりさらにランクの高い「白札郷士」に位置づけられていた。
いずれにしても、2人ともお金に困ることのない恵まれた環境で育っており、共通点は多かったようだ。
土佐藩の不条理な身分制度に強い不満を抱く2人だったが、半平太はやがて長州藩の久坂玄瑞に傾倒し、久坂の師である吉田松陰の尊皇攘夷思想に共鳴して「土佐勤王党」を結成する。
龍馬も当初はそれに参加しており、半平太の使いで萩まで足を運んでいる。
その「土佐勤王党」が起こした事件が、吉田東洋暗殺事件だ。吉田東洋は徳川寄りの姿勢をとる土佐藩主・山内容堂の右腕として、藩政の実権を握っていた人物だったが、この一件を境に、藩論は一気に攘夷派へと傾いた。
勢いにのる半平太は、「土佐勤王党」を率いて、土佐藩の藩論を尊皇攘夷で統一しようと図ったが、1863年(文久3年)に長州藩が京都の政界で失脚し、尊王攘夷派の勢いがなくなると、山内容堂は「土佐勤王党」の粛正に乗り出す。
半平太は吉田東洋暗殺の首謀者として捉えられ、この地にあった南会所の牢に投獄されるが、拷問を受けてもそれを認めず、「主君への不敬」という罪状をもって切腹となる。享年37歳。
最期は腹を三文字に斬り、不屈の信念を最後まで見せつけたというが、「龍馬伝」で、切腹を申し付ける前に半平太と対面した容堂が、「お主が長宗我部でなければ…」とつぶやいたセリフが、いまでも記憶に残っている。
平井収二郎先生誕生之地
土佐藩の「郷士」で龍馬の幼なじみ。ただ優柔不断な龍馬を嫌っていたようだ。
「龍馬伝」では宮迫博之が演じていたが、知略に優れ、武市半平太が土佐勤王党を結成すると、その側近となって活躍するが、山内容堂の怒りを買って切腹を命じられた。
さて。筆者が取り上げた理由は、ここが龍馬の初恋の人と云われる妹の「加尾」の実家でもあるからだ。
演じていたのは、ご当地出身の女優・広末涼子。坂本龍馬より4歳年下で、和歌もたしなむ才色兼備だったと云われている。
「龍馬伝」では、「加尾」が龍馬に思いを寄せていたにもかかわらず、龍馬と加尾が近づくことを警戒した兄の収二郎が、朝廷工作として三条家恒姫(信受院)の付き人として京に送ってしまう。
龍馬には「加尾」のほかにも、北辰一刀流の剣術開祖・千葉周作の姪にあたる「佐那」との恋話があったようだが、いずれも進展せず、京都で出会った「おりょう」を妻に迎えている。