この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、日本全国で1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、「車中泊ならではの歴史旅」という観点から作成しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
桂浜は、坂本龍馬が少年時代に外国への夢を膨らませた思い出の地
月の名所で名高い「桂浜」は、龍頭岬と龍王岬の間に弓状に広がる砂浜で、松林と砂浜と紺碧の海が、まるで箱庭のように調和する独特の景観を見せている。
その裏山には戦国時代に四国統一を果たした、長宗我部元親の居城であった「浦戸城跡」があり、そこには現在「高知県立坂本龍馬記念館」が建っている。
坂本龍馬と桂浜の意外な関係
とまあ、桂浜と云えば坂本龍馬が登場してくるわけだが、高知のまちなかにある龍馬の生家から、桂浜までは約13キロ。
いくら龍馬が健脚だったとは云え、「天気がいいから、ちょっと海まで行って来るぜよ」っと出かけるには、さすがに距離がありすぎる(笑)。
なのに、なんで桂浜=龍馬なんだ?
実は龍馬と桂浜の接点には、継母「川島伊与」の存在が隠れている。
龍馬伝では松原智恵子が「伊与」を演じていたが、彼女の実家は桂浜の近くにあった「下田屋」という、木材などを扱う大きな廻船問屋で、坂本家と川島家は昔から付き合いがあったそうだ。
そんな関係で、龍馬は幼い時から姉の乙女と近くの鏡川から船に乗り、川島家に遊びに来ていた記録が残されている。その際にたぶん桂浜にも立ち寄っていたのだろう。
ちなみに当時の川島家の当主・伊三郎は、「ヨーロッパ」という異名を持つほどの外国通だったようで、龍馬少年は珍しい外国の話を聞いたり、世界地図などを観るのを楽しみにしていたという。
どこまで本当かわからないが(笑)、話としては実におもしろ~い!
坂本龍馬像にまつわるエピソード
桂浜の龍頭岬に立つ坂本龍馬の銅像は、国でも県でも市でもなく、地元の青年有志によって建立された。
本来なら戦時中の金属類回収令により、鉄砲の玉か何かに替わっているところだが、龍馬が海軍創設に関わっていたことから、供出を免れたという。
ちなみに1928年(昭和3年)に行われた龍馬象の除幕式には、旧日本海軍の軍艦が桂浜に来航し、祝砲を撃ったという逸話も残る。
それからおよそ80年。南国の強い日差しと潮風にさらされる場所に立ち続けてきた龍馬像も、さすがに老朽化が目立つようになってきた。
そこで今度は全国の龍馬ファンに募金を呼びかけ、集まった寄付金により1999年に大規模改修が行われた。
つまり今僕らが桂浜で見ている龍馬は、若干20歳の若者だ(笑)。
なお、龍馬像の写真がきれいに撮れるのは午前8時以降。それまでは像に日が当たらない。
龍馬に大接近
高さ13.5メートル、像だけでも5.3メートルある龍馬像は、銅像としては日本で一番大きいと云われている。
ただそのせいで、普段は見上げるアングルの写真しか撮ることができない。そこで始まったのが、「龍馬に大接近」というイベントだ。
例年、龍馬の誕生日であり命日でもある11月15日を挟んだ約2ヶ月間、龍馬像の隣に特設展望台が組まれ、龍馬の目線で太平洋を眺めることができる。詳しくは高知市観光協会のホームページで確認を。
桂浜の車中泊事情
桂浜は月の名所だが、実は朝日も美しい。
また桂浜公園には、桂浜水族館や土佐闘犬センターがあるほか、すぐ近くに「高知県立坂本龍馬記念館」もあるので、終日のんびり過ごすこともできる。