この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の紹介です。

興味深い史跡を時代順にご紹介。

吉野山の著名人ゆかりの史跡【目次】
役小角が創建した金峯山寺

話の展開上、このページでも紹介しないわけにはいかなかったが、中千本にある世界遺産「金峯山寺」については、以下の記事に詳細を載せている。
金峯神社と源義経

奧千本にある吉野山の地主神「金山毘古命(かなやまひこのみこと)」を祀る神社で、社殿は世界遺産、境内の一部を世界遺産「大峯奥駈道」が通る。
平安時代には修験道の修行場となり、摂政・関白として政治の中枢を担った藤原道長も、祈願に訪れたとされている。
ちなみに現在の社殿は、大正初年に再建されたものだ。

金峯神社の境内を坂道を3分ほど下ると、義経が弁慶らと潜伏したことにちなんで名付けられた「義経隠れ塔」が残る。
このお堂は、追手に囲まれた時に屋根を蹴破って逃げたことから、「蹴抜け塔」とも呼ばれている。
1185年(文治元年)冬、義経と弁慶らは源頼朝の討伐を受けて、吉野山に身を隠したが、ここでも追討を受けたために静御前と別れ、東国へ脱出した。
後述する吉水神社にもゆかりの品が残されている。
奥千本に残る西行庵

吉野山には桜に惹かれて多くの文人墨客が訪れているが、中でも西行が奥千本に庵を結び、多くの和歌を残した話は有名だ。
西行はここで3年ほど修行をしたと伝えられている。

西行は平安後期の歌人であり僧侶。
俗名は佐藤義清(のりきよ)で、若き日には平清盛の盟友として、鳥羽院に北面の武士として仕えたが、23歳で出家し、東山・嵯峨・鞍馬などで草庵を営んだ後、30歳頃に陸奥に最初の旅に出た。
その西行を師と仰ぎ、この時の西行の陸奥の旅をトレースした紀行文が、俳聖・松尾芭蕉が残した「奥の細道」だ。

もちろん、吉野山へも2度訪れたという芭蕉の句碑も近くに残る。

西行庵は、金峯神社から山中に少し入ったところにある。

西行庵の近くには、
とくとくと 落つる岩間の苔清水 汲みほすまでもなき 住居かな
と西行が詠んだ苔清水が、今もこうして湧き出ている。
後醍醐天皇の吉野朝宮跡

1336年(建武3年)、足利尊氏との政争に敗れた後醍醐天皇は、神器を持って京都を逃れ、吉水院(吉水神社)に一旦身を寄せた後、蔵王堂の西にあった実城寺に朝廷を置き、寺号を「金輪王寺」と改めた。
1339年(延元4年/暦応2年)、後醍醐天皇は吉野で崩御する。
だがその後も南北朝時代は続き、分裂から57年を経て、足利幕府3大将軍・義満の時代に朝廷は再統一された。

江戸時代に入ると、吉野に潜む豊臣親派の勢力を恐れた家康は、「金輪王寺」の寺号を没収して実城寺に戻した後、没収された寺号を吉野の勢力とともに日光に移し、金の字をとって輪王寺とした。
ちなみにその日光の輪王寺が、平成になって世界遺産「日光の社寺」の構成資産になるから、歴史の綾はおもしろい。

いっぽうの実城寺は、明治の「廃仏毀釈」で廃寺になり、一円の建物も取り払われたが、1958(昭和33)年、その跡に南朝四帝の尊霊と太平洋戦争の戦没者追悼の施設として、現在の南朝妙法殿が建設されている。
そのため、こちらは世界遺産には登録されていない。
吉水神社は吉野の歴史の生き証人

中千本にある吉水神社は、社伝に白鳳年間(西暦600年代中頃)に役小角によって建立された、金峯山寺の僧坊・吉水院(きっすいいん)と記された、吉野にある4つの世界遺産の中のひとつ。

源頼朝に追われた源義経が、静御前・弁慶とともに身を隠した場所であること、南北朝時代の一時期に後醍醐天皇の行宮になったことなど、数多くの歴史的逸話を持つことで知られており、書院(重要文化財)には、それらの名残が刻まれている。
明治初期の神仏分離令発令後、吉水院は後醍醐天皇、楠木正成(くすのきまさしげ)を祭神とする神社となるが、その背景には国家神道化の観点から、天皇を仏式で供養することが問題視されていたようだ。

なお楠木正成は、鎌倉幕府討伐から南北朝時代突入までの激動の時代を、後醍醐天皇に寄り添いサポートし続けた、日本の歴史上屈指の忠臣として名高い武将。
生誕地は大阪の千早赤阪村だが、東京の皇居前に写真の銅像が立っている。

さて。
1594年(文禄3年)、太閤秀吉は徳川家康を筆頭に、総勢5千人ともいわれる共を従え、吉野山で花見を行っている。
その際に吉水院は本陣として使われ、境内には秀吉が花見を行った場所として、太閤の花見塚が残されている。

現在の吉水神社の境内は、「一目千本」と呼ばれる、吉野きっての桜見物の名所になっているが、その頃にもこの光景を愛でることができたのか…
なかなか興味のあるところだ。
豊臣秀吉・秀頼ゆかりの吉野水分神社

上千本にある吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)は、水を司る天之水分大神(あめのみくまりのおおかみ)を主祭神とする神社で、「みくまり」が訛って「みこもり」となり、子授けの神としての信仰を集めている。

とりわけ前述した花見の際に、秀吉がこの神社を訪れ祈願したことから、秀頼を授かったという逸話は有名で、桃山建築の華麗な様式を伝える現在の社殿は、1605年(慶長10年)に、秀吉の意志を継いだ秀頼によって再建されたものだという。
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紀伊半島全域に及ぶ、日本を代表する広大なる世界遺産の愉しみ方をご紹介。この世界遺産なくして、紀伊半島は語れない。
※記事はすべて外部リンクではなく、オリジナルの書き下ろしです。
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