この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の紹介です。

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の理解は、解体から始まる
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」【目次】
熊野古道の本質は聖地巡礼の道ではなく、単なる熊野本宮大社へのアクセスルート
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の理解は、解体から始まる
原型がなくなれば何の話か分からなくなるので、解体しちゃう前に、まず2004年7月に世界文化遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」とは何ぞや?』という話から始めよう。
いろいろ資料を読み漁った結果、ここでは一番解りやすく感じた「わかやま文化財ガイド」の説明を部分転用させて頂いた。
古代から奈良や京都に住む人々は、紀の川(吉野川)から南の紀伊山地全体を、神々がこもり、仏が宿る聖域と考えてきた。
それは紀伊山地が都から見て太陽の光が差す南の方角にあること。
年間3000mmにも達する降雨量が険しい山岳地形を形成して、人々が立ち入ることを容易に許さなかったこと。
さらに山や岩、森や樹木、川や滝など、信仰心を呼び起こす特徴的な自然の景物に恵まれていたことに起因している。
その環境の中で、紀伊山地には「修験道の吉野・大掌(おおみね)」「熊野信仰の熊野三山」「真言密教の高野山」と、それぞれ日本を代表する宗教の「霊場」が育まれ、その影響は京都を皮切りに全国に波及し、日本人の精神的・文化的な発展と交流に極めて重要な役割を果たした。
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」のポイントは、それらの「霊場」が生み出される要因となった紀伊山地の袖秘的な自然と、その自然を神とし、仏として畏れ敬う精神が、宗教の枠を超えて共通しているところにある。
その結果、日本古来の神々への信仰とインドから中国・朝鮮を介して日本に伝来した仏教が結びつき、「神仏習合」という日本特有の思想を生み出した。
なるほど、この説明で世界遺産に登録された理由はよく解った。
だが裏返せば、この世界遺産は紀伊半島に存在した個別の宗教の聖地から「共通点」を見出し、「紀伊山地の霊場」という名の「網」を上からバサッと掛けただけにすぎない。
つまり実際にこの世界遺産の理解を深めるには、一度「網」を外して個々の「聖地」を訪ね、世界遺産に登録された「共通点」探しをすることが不可欠だ。
その際のキーポイントは「聖地の見方」。
世界遺産の話は、「後年に付加された意図的なありがたみ」をかわし、本来の「聖地の姿」と出会った後に、「なるほどそういうことか」と気づく話だ。
というわけで、この章のタイトルに用いた「解体」には3つの意味を込めている。
ひとつはまず「霊場」ごとに解体して共通点を見出すこと。
もうひとつは「霊場」に付随する情報を解体して、史実を把握すること。
最後は「参詣道」を解体して、整合性を確かめること。
世界遺産の登録にも、たぶん「大人の事情」が隠れている(笑)。
熊野古道の本質は聖地巡礼の道ではなく、単なる熊野本宮大社へのアクセスルート
冒頭のマップに記されている通り、この世界遺産には「聖地」とは別に、6本もの「参詣道」が組み込まれている。
それが俗に云う「熊野古道」になるわけだが、スーパーマンみたいな行者を除く、熊野詣に訪れた人たちが通った道は、事実上2本しかない。
これが先ほど書いた『最後は「参詣道」を解体して、整合性を確かめること』の意味で、仮に6本の「参詣道」を完全制覇しても、この世界遺産の意味を理解することにはたぶん繋がらない。
それにその偉業は、スーパーマンも驚く役小角や空海、それに熊野大好きの後白河法皇だって未達成だ(笑)。
吉野山と熊野の関連は?
まず世間一般的には、吉野と云えば世界遺産よりも「桜」だろう(笑)。
だが、その「桜」が聖地・吉野山のルーツと、深い関わりを持っていることをご存知だろうか。
吉野山では「吉水神社(よしみずじんじゃ)」「吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)」「金峯神社(きんぷじんじゃ)」も世界遺産の構成資産に登録されているのだが、「紀伊山地の霊場と参詣道」に直接的な関係があるのは、なんといっても「金峯山寺(きんぷせんじ)」だ。
「金峯山寺」は、飛鳥時代に修験道の開祖・役行者(えんのおずぬ)によって開かれた、金峯山修験本宗の総本山。
ちなみに、寺名に登場する「金峯山」は単独の峰の呼称ではなく、吉野山から続く大峯山系に位置する山上ヶ岳を含む、壮大な山岳霊場を包括する名称だ。
さらにそれに熊野まで修行の道を加えたものが、「大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)」になる。
ただ残念ながら筆者は、「大峯奥駈道」が続く大峰山には登っておらず、古代から現在まで続けられている「峯入り」等のレポートはできない。
その詳細はこちらのページでどうぞ。
筆者が詳しいのは、同じ天川村でも、大峰山への登山道の近くにあって、行者が修行の疲れを癒やした、洞川温泉から下のエリアになる。
高野山は「あと付け」?
さて。
最後は高野山についてだが、ここだけは「むりやり感」が拭えない(笑)。
何度も高野山に足を運んできた筆者には、この世界遺産をユネスコにねじ込むにあたり、空海のキャリアと高野山に残る建物の権威が必要不可欠だったために、「霊場」という言葉を引っ張り出して、付け加えたようにしか思えない。
「祈り」を「修行」にすり替えて、しら~っと通してしまうのが、広告代理店のすごいところだが、空海が「紀伊山地の霊場と参詣道」の企画書を読んだら、どんな反応をするのか見てみたいものだ(笑)。
最後に、なぜ伊勢神宮はこの世界遺産に含まれていないの?
高野山以上に、この世界遺産が取り込みたかった聖地が「伊勢神宮」であることは云うまでもないと思う。
「伊勢神宮」以上の権威を誇る「聖地」は、たぶん日本には存在しない(笑)。
しかし凄腕プロデューサーといえども、さすがに伊勢神宮だけは攻略できなかった。
その理由を知りたいとは思わないか…
熊野古道 車中泊旅行ガイド
紀伊半島全域に及ぶ、日本を代表する広大なる世界遺産の愉しみ方をご紹介。この世界遺産なくして、紀伊半島は語れない。
※記事はすべて外部リンクではなく、オリジナルの書き下ろしです。


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